捨てる神あれば拾う神あり

 これまで「風の旅人」に協賛してくれていた会社のうち二社が、業績不振でしばらく協賛を降りることになった。
 広告に頼った運営をするつもりはないが、三社〜四社ほど協賛していただくことで何とか収支トントンだったこともあり、手痛い打撃で、もはやこれまでかという状況に追い込まれていた。同時に、もう5年以上も続けているので、そろそろ潮時ではないかという気持ちもあった。
 それでも何の抵抗することなく沈んでいくのではなく、やれるだけのことはやってみようと思った。
 創刊号に次の文章を掲載したが、その時の開き直りの気持ちと同じだ。
 「食って生きて死ぬだけでない。好きか嫌いではない。損得でも善悪でもない。波打ち揺れ動く現実のなかで、右に左によろめくばかりではない。有限で不完全であることを知ればこそ、高きをのぞみ、暗闇にうずくまったり、たちどまったり、身を切られるように痛んだり、前に進めず、後に退けずとも、両手両足を投げ出して睨むことはできる。」
 それで、新橋の汐留や品川あたりに集中する大企業などを連日訪問する日が続いている。
 大企業に限らず、オーナーの志が高い中小企業もあたっている。
 15年以上前、大企業を相手にPRやマーケティングの仕事をしていた時にも大企業に通いづめていたが、その当時に比べて、大企業は随分綺麗になった。ビルディングが新しいということもあるが、どこも全面ガラス貼りで、天井も高く、床や壁はぴかぴかに磨かれている。また、ぴかぴかの床と壁とガラス貼りを背景にこちらに向かって歩いてくる担当者が、とても立派に見える。ここ数年、大企業は利益を社員に還元するのではなく、そういうところに多大なコストを費やしているのだろう。そうした器の立派さに導かれるように、優秀な若者たちが就職を希望するのだから、それもまた企業のマーケティング戦略なのだろう。就職する方も、採用する方も、”体面”は、この社会で高い優先順位を占めているのだ。
 また、セキュリティも昔に比べて随分厳しくなった。昔は、エレベーターをかってに昇り、ぶらりと担当者のいるフロアまで行って呼び出すことができたが、今はどの会社も広大な受け付けスペースの所で待機させられ、担当者が下に降りてきて、彼らと一緒に磁気カードでセキュリティチェックを受けてからビルのなかに入るようになっている。
 そういうことの一つ一つがとても新鮮で、興味深い。
 また、同じ企業の人でも、「風の旅人」をパラパラめくる時の顔の表情がまるで異なるのが面白い。「風の旅人」という雑誌は、反応する人はすごく反応するが、そうでない人は、まったく反応しない。同じ人間なのに、この違いはいったい何なんだろうと不思議でならない。もちろん、人はそれぞれ好みがあるのだが、「風の旅人」に対する反応は、好みの違いではないようなのだ。
 企業の担当者の人が、「風の旅人」を見る時、ほとんどの人は、ビジネスツールとして有効かどうかという視点で見る。「風の旅人」は、例えば「30代の女性向け」といったわかりやすいセグメントを設定していないので、ピンとこないという顔をする。
 物事を、世の中のカテゴリーのなかで処理する癖がついている人は、カテゴリーがわからないと、どう付き合えばいいかわからないという顔をする。それに比べて、カテゴリー別で物事や人を見るのではなく自分の心と呼応するかどうかで判断している人は、自分の感じる感じ方をストレートに表に出す。企業訪問でそういう人と出会うと話しが弾むし、ビジネスとは関係ないところでも、後者の方が、面白い人が多い。

  また、カテゴリーで見るか、内実で見るかによって、”価格”に対する意識も全然違うということがよくわかった。

 例えば、「風の旅人」の税込み1200円という価格にしても、内容をじっくり見る人は、「安いねえ」と言う。それに比べて、風の旅人を手にとるなり、パラパラと見てすぐに背表紙の値段を見て、「雑誌で1200円か、高いなあ」と言う。

 雑誌に限らず、それ以外の物を買う場合も、そういう感じなのだろう。「ルイヴィトンで4万円は安いよ」と言ったり、ルイヴィトンよりもセンスもクオリティも高いのに無名ブランドだと、同じ4万円でも、「高いなあ」と言ったり・・・・。
 それはともかく、私は、大企業に簡単に協賛してもらえるなんて思っていないので、丁重に断られても、それはそれで仕方がないと割り切っているが、話し合いがカテゴリーのなかだけで終始すると、なんだか不毛な時間だなあと落胆する。カテゴリーのなかに押し込められることに抵抗して作っているので、「カテゴリーは何ですか?」と問われると困ってしまう。その人がどう思うのか、どう感じるのか、というポイントで話ができれば、いろいろ発見があるのだけど。
 そうした日々が続いているが、一つ素晴らしいアイデアが成就しそうな状況になっている。
 最初は1000部くらいだけど、ゆくゆくは6000部ほど「風の旅人」を買い上げていただき有効に活用してもらえそうなアイデアだ。しかも、買ってもらった「風の旅人」が個室に置かれ、その個室には、それぞれ約二週間ずつ、19歳前後の若者が滞在する。
 また、その会社との提携で、19歳前後の若者とともに将来を考えていけるようなページを作る。その会社にとって、提携ページを含んだ「風の旅人」全体が、その若者達とのコミュニケーションツールになるという仕掛けだ。
 私も、19歳前後の若者のために買い上げていただけるということが、とても意義あることだと思っている。
 大企業の人は、「風の旅人」を見て、その内容の濃さから年齢が高い人が読者だと連想するようだが、実際はそうではない。
 自分たちのことを考えても分かるはずなのだが、就職してから壮年期にかけてが、読書量が一番少ないのだ。もちろん、ビジネスに関係する専門書は読むだろうが、すぐに役に立つかどうかわからない本を読まない人が多い。また、社会や世界に対する問題意識も、若者の方が高い。若者は軽い雑誌ばかり読んでいるというのは親父の偏見であって、親父の方が、ゴシップを中心にした雑誌を読んでいる人が多い。
 でも面白いことに、大企業でもトップクラスの人や信頼の厚い人などと話しをすると、そういう人は、忙しいのに関わらず、読書量が非常に多い。しかも実用書ではなく、すぐに役に立つかどうかわからないようなものを多く読んでいる。
 「たくさんの人やメディアが、役に立ちますよと言っても、人と同じことばかりインプットしていたら、人と同じことしかアウトプットできないでしょ。そういうものは、結果的に、自分にとって役に立たない」と言っていた人もいた。
 それはともかく、これから社会で生きていく上で、どんな仕事に就き、どのような働き方をして、どのように生きていこうか試行錯誤のなかにいる19歳前後の人たちに、個室のなかで、二週間、「風の旅人」とじっくり向き合っていただけるのは、「風の旅人」にとっても、幸福なことだと思う。
 捨てる神あれば拾う神ありで、出会いというものに本当に感謝したいと思う。