細江英公さんとの対談の前に、細江さんの写真について。


9月23日、銀座のリコーフォトギャラリーで、細江英公さんと対談を行う。http://www.ricoh.co.jp/dc/ringcube/workshop/index.html 

同時に、ギャラリーでは細江さんの新作が展示されている。テーマは、細江さんが、この数年撮影したロダンの彫刻作品で、風の旅人の39号(2010年2月発行)でも特集を組んだ。

 http://www.kazetabi.com/bn/39.html

 

 細江さんは、77歳。細江さんと会っていても、老いをまったく感じない。身体も心も若い。

 細江さんは、1960年代に、三島由紀夫を被写体とした『薔薇刑』、土方巽を被写体とした『鎌鼬』という、日本に限らず世界全体で20世紀を代表する作品を立て続けに発表した。この二つの作品を挟むような形で存在する『おとこと女』と『抱擁』を合わせた4つの傑作は、僅か10年ほどの間に集中している。細江さんは、1960年代、目もくらむような速度で時代を突っ走り、もうこれ以上先はないと思われるところまで駆け上がってしまった。

 そして、1970年の三島由紀夫の自決で細江さんの精神は相当な打撃を受ける。その後、『ガウディ』という傑作写真集もあるが、写真展や写真集は1960年代のものを再編成したものが多くなり、細江さんの個性を強烈に示す新しい作品はしばらくなかった。その間、細江さんは、東京写真大学や東京工芸大学などで教鞭をとったり、清里フォトミュージアムの初代館長としてヤングポートフォリオという賞を設定し、新しい才能発掘に精力を傾ける。作家個人の活動としては頂点まで行った人が、そこに胡坐をかかず、次の時代を作る人達を育てることに打ち込んでいたのだ。

細江さんは写真を愛しているが、ただの写真好きではない。細江さんの眼差しは、常に社会全体に注がれている。社会だけでなく、世界全体といっても大げさではない。

細江さんの作品は、西洋人には真似のできない東洋の奥義というか、神秘的な印象を西欧人に与える。御本人も、自分は非常に日本人的な日本人である、という言い方をする。しかし、細江さんのように流暢に英語を操って、外国人と堂々と渡り合える国内在住の写真家は、そんなにいないだろう。

細江さんは、単なる写真好きの少年から写真家としての道を歩み始めたわけではない。

細江さんは、高校生の時、都の英語弁論大会で優勝している。その時のテーマは、『permanent neutrality』、すなわち永世中立

細江さんは、戦争中、山形に疎開している時、広島の原爆のことを知り、大変なショックを受ける。細江さんの戦後の表現活動はそこから始まっているといっても過言ではない。といって、細江さんは、安直にスローガンとして『戦争反対』を掲げて、それをなぞるような写真を撮ったりはしない。戦争が悪だということは誰でもわかっている。しかし、誰でも悪だとわかっている戦争が、なぜ起きてしまうのか。そこまで掘り下げていかないと、表現者とは言えない。

細江さんは、ご本人が意識しようがしまいが、その作品を通じて取り組んでいることは、近代的自我を、どう超克していくかということだ(と私は感じる)。戦争は悪だけれど、人は自己保身のために闘う。その自己保身とはいったい何か。人は、理性は大切だと簡単に言う。「人間は理性があるから動物と違う。理性があれば争い事はしない」などと、お気楽に考えている人もいる。しかし、近代の戦争は、動物的本能ではなく、理性に訴えることで引き起こされている。「自分が攻めなければ相手から攻められる、だから先に攻めなければならない」というイスラエルの戦争方針など、典型的な理性的判断だ。理性と言うのは、徹底的に自己都合的にモノゴトを考えるという性質もあり、そうしたモードに入ると、理性的に、おぞましいことを発明したり、実行できたりするものなのだ。

細江さんが被写体にした三島由紀夫は、極めて近代的理性の発達した人であり、理性の怪物と闘っていた人だと私は思う。三島は、東洋的精神と西洋的理性のあいだで大きく振幅していた。細江さんは、三島由紀夫を撮影する時、三島の身体を床の上に転がしたまま、長らく放ったらかしにしていたと、撮影を観察し続けていた土方巽が書いている。

三島を理性ある人間として丁寧に扱うのではなく、三島のなかから理性を殺ぎ落とすことを目論んでいるかのように、ひたすら物体のように扱う。おそらく強い自我意識に苛まれていた三島も、その撮影行為に喜びを感じたのではないか。自我意識は、自分で取り除こうとすればするほど自分から離れなくなる。自分が抵抗できないような得体のしれない力で働きかけられる時に、それは滅却することがあるのだ。

三島の裸体を撮った『薔薇刑』が近代写真のなかで傑作なのは、三島由紀夫という、近代の化け物である強烈な自我意識を持った人間を通して、自我と呪縛と、その超克の祈りを、見事なまでに昇華させているからだ。

三島由紀夫細江英公という、近代の天才2人が出会うことで、初めて可能な境地だったろうと思う。

ただ細江さんがさらに凄いのは、そこで止まらず、そこからさらに飛翔する力を、土方巽から獲得して『鎌鼬』を作り上げたことだ。三島は細江さんによって解放されるものの、自らの自我や理性の強力な重力によって、もう一度、そこに引き戻される。そして、自決という手段で自分で自分を破壊する。三島の自決には色々な意見があるだろうが、私は、自己破壊のプロセスだと思う。三島ほど自尊心が高く、理性の素晴らしく働く人間が、自己破壊をするためには、自分を納得させるためにも、それなりの大義が必要だ。日本の未来と、自分の死を同等の重さにまで引き上げることで、自分を自我から解放すること。それは三島のような天才でないとできないし、彼以外の人間がやっても、歴史に楔を打ち込む事件にならない。

それはともかく、細江さんは、三島由紀夫のような強烈な自我をエンジンにするのではなく、もっと直感的な動きをする。その超越的な動きを説明することは、我々凡人には非常に難しい。

ただ一つ言えることは、細江さんは非常に無垢なところがあり、その無垢さゆえに、他者のエネルギーを自分のものに転換できる。他者のエネルギーを吸収するというのではなく、強力な力を持った他者が作り出す「場」のエネルギーを、自分のものに転換してしまうところがあるのだ。それゆえ、三島由紀夫の場合と土方巽の場合、さらにその後のガウディは、撮影場所も風景も状況設定もまるで違うし、まったく異なる作品世界なのに、一目で細江英公の写真だとわかるものになってゆく。そこに細江さんの天才がある。

私は、細江さんのことをそう見ているので、しばらくぶりに細江さんが新作に取り組んでいて、それがロダンだと清里美術館の人から聞いた時、「これは凄いものになるぞ」と直観した。ロダンであることの必然性が、私にはわかった。細江さんは、いちいちそんなこと考えず、ロダン美術館に行った時に、ロダンの彫刻に引き込まれるように夢中で撮影を始めたと言っていたが、それは「場」のエネルギーを細江さんがキャッチしたからだ。三島由紀夫土方巽やガウディを、あのような形で表現した細江さんが、ロダンに行きつくのは当然のこと。ロダンは、世界的には近代彫刻の父と言われている。日本では、1910年に武者小路実篤志賀直哉達がつくった文藝・美術雑誌『白樺』が、創刊時からロダンを集中的に紹介し、その影響力で、ロダンは日本近代芸術の父となった。すなわち、ロダンは、「近代」という時代を俯瞰するにあたって欠かせない存在である。

細江さんは、ロダンの彫刻を客観的に記録したのではなく、近代人の曙としての人間ロダンに迫った。そして、三島由紀夫を写真の力によって解放したように、ロダンを、ある種の呪縛から解放している。

ロダンとは何だ? ロダン=「考える人」。考えることは近代的理性の要にある。しかし、ロダンの彫刻は、ただ能天気に、考えることを啓蒙しているか? 

教科書では、その程度のことしか教えられていない人でも、ロダンの彫刻の前に立つと、そうではないことが感じられるだろう。ロダンの彫刻の肉体の重々しさ。物質として制限を課せられた人間の姿。ロダンの「考える人」は、その物質としての重さを、顎にのせた腕で必死に支えているようにも見える。肉体の限界に抗っているようにも見える。その肉体は、腕を外されると、重力のために崩れ落ちてしまいそうだ。崩れ落ちると、大地に戻っていくのだろうか。そこは、理性という指標を持たずに、別の力学によって人間が生きていた時代だ。神なのか、人間本能なのか、何なのかは、近代人の私にはよくわからないが、理性とは別の力が働いていたことは間違いない。

ロダンは、近代人として極めて優れた理性をもっていたものの、人間的本能も、人外れて強かった。とりわけ、女性との関係は、理性ではどうにもならないものがあった。

ロダンは、常に、その狭間で喘いでいた。理性と情動、中世と近代。

細江さんが撮った写真のなかで、その重々しいロダンの彫刻が、一個の生命体のように軽々と躍動をし始める。黒いロダンで力強く凝縮し、白いロダンでのびやかに解放される。その反復は、まるで生命体の呼吸のようである。

肉体も思考も全て、人間にとっての生命現象の一つのプロセスとして、大らかに肯定されているような気がしてくる。もちろん、その肯定の仕方は、“理性的”に偏っていないから、理性分別に重心が行き過ぎている人には、自分の世界観が否定されているように感じられるかもしれない。否定までいかなくても、その世界観の範疇にないものを突き付けられて戸惑うかもしれない。

しかし、そうやって、人間は、理性と情動のバランスをとっていくのだ。理性的であること、もしくは情動的であることが、生きることや人間としての証ではなく、その二つのあいだで均衡をとる力の働き。おそらく、それが、人間にとって生きるということなのだ。その均衡にこそ、人間的な美が宿る。どちらか一方向という偏りは、美しくない。三島由紀夫の美学もまた、部分的には偏りがあるものの、生涯を通じて見渡せば、凡人には果たせない大きな振り子で、その均衡を実現してみせたところに真髄があるだろう。 

細江さんは、細江さんの力だけで写真を撮っているのではない。三島由紀夫土方巽やガウディやロダンによって撮らされている。それら、とてつもない力に満ち溢れた人達のエネルギーが、評論家等の分析を通すと歪められたり澱んだりすることが多いのに、なぜか細江さんの心身を通る時にはそうはならず、そのまま、表れている。

人は、『薔薇刑』を通じて三島由紀夫そのものを知るように、細江さんの写真の『ロダン』を通じて、ロダンそのものを知る。

写真のリアリティって、そういうことなんだけど、それができる人は稀だ。それを阻害しているのは、おそらく近代人特有の、ちっぽけな自我意識なんだろうと思う。