余命

 先週の水曜日、吉祥寺で友人と飲みながら「余命」について語り合っていた。

 二人とも今年で49歳になる。せいぜいあと20年とか30年の人生。過去を振り返ると、20歳とか30歳の時から今日までの時間を、未来に伸ばすだけのこと。しかも、人生は、後半になればなるほど月日が経つのが速く感じられるだろう。

 年老いてから慌てて「余命」を意識するのではなく、もうそろそろ真剣に「余命」を意識しながら生きていく段階だよなと、酒を飲みかわしながら、お互いに頷いていた。

 戦後、人間の寿命がどんどん伸びて、病気への対策や健康への意識が高まり、いかに死なないかということばかりが議論されてきた。

 できるだけ死なないように手を打ちながら、長く引き伸ばした人生を、楽しく充実したものにすること。それが人間の幸福感だった。家の中を様々な便利ツールで満たし、レジャーを楽しむことが人間としての豊かさの基準だった。

 でも、私と友人は、同級生など同年代の男と会って飲む時によく話題になる健康のことや、家のローンのことや、ゴルフのことには日ごろからまったく意識が向かず、お互いに、「余命」という感覚を心のどこかに引っ掛けながら、それぞれの現状および展望について語り合う。「余生」ではなく、「余命」。年をとり職を退いてから送る生活ではなく、残りの天命のことだ。

日々の生活も大切なことだが、それよりも自分が授かっている残りの命を、いかにして全うするか。どのくらいの年数を生き延びるかではない。長い年数を、ただ消費すればいいというわけではないのだ。

無駄な買い物をし、外出し、レジャーにいそしまないと日本経済が沈滞すると煽る人がいるけれど、そのように時間を消費しないと成り立たない経済の構造じたいに、大きな問題があるのではないか。

 とはいえ、何を満足と感じるかは人それぞれだ。友人と私は、けっきょく「余命」の生き方は、自分の納得感に尽きるだろうということになった。納得といっても、自分を言いくるめるように、ごまかして納得させるのではなく、心から本当にそう思えるかどうか。人と会うにしても、“付き合い”とか、“情報交換”とか“コネづくり”とか、社会のなかで生きていく上で色々と面倒な手続きも必要であるが、本当に心地よかったり、正直に語りあったりできる時間の方を、より重視していく。

 仕事のことは、さらに大事なポイントになる。私は、自分や家族を養ったり支えるために働くということが、仕事の「命」の基底にあると思っている。人はパンのみによって生くるにあらず、だけど、パンがなければ生きていけない。パンで満足してはダメかもしれないけれど、パンを得る努力をしなくてもいいということではない。

だから私は、自分の好きなことのために人のお金に依存している者よりも、自分が好きなことを我慢して自分や家族を養うために働いている者の方が、人として気高いと感じる。

 しかしながら、仕事の周辺には、“世間体”、“名誉”、“金儲け”など、様々な動機付けや理由付けも複雑にまとわりついており、それらが主たる仕事の目的になってしまうことも多い。それが良いとか悪いとかではなく、果たしてそれで本当に自分に納得感がもたらされるのかどうか。といって、納得できないからと言って、仕事に身が入らず、結果的に、家族のみならず自分すら養えないという状況になってしまうのも本末転倒。

 いずれにしろ、仕事が人生の満足度を決定していくことは否定できず、だからこそ、就職時期にかぎらず、仕事の在り方は、人生全体を通じて、人を悩ませる種になる。

 多くの人が、それぞれの人生の節目で考えざるを得ない自分の人生の在り方について、私と友人は、ともに50歳を前にして、“余命”という切り口で、考えざるを得ない心境になっていた。

 余命を生きる上で、自分が本当に大切にすべきことは何なのか。

 世間で価値づけられていることよりも、自分自身が、自分が生きている時代をどう捉え、その中で、どのように自分を舵取りしていくべきか。





 そう考えていた時に、地震が起こった。地球のスケールで見ると、巨大なプレートの境界面で一方のプレートが地下深くに沈んでいく淵ぎりぎりの所にかろうじて陸地として存在している日本列島。この不安定さゆえに、世界の地震エネルギーの10%が、この狭い領域に集中している。

にもかかわらず、自分の足元の大地が安定していると錯覚して、この狭く不安定な土地の上に様々な物を複雑に配置して、非常にきめこまかなネットワークを作り上げている日本人。

これまでは、それらが、ほとんど何の支障もなく動き、相互に連携していることを、当たり前のことのように感じていたが、実際は、そのことじたいが、奇跡なのだ。

日本人は、昔から多くの潰滅的な自然災害に見舞われてきた。日本人が作り上げた文化は、世界でも異例のものが多いが、それは、こうした自然風土の影響も大きいだろう。

中国やインド、そしてシルクロードを通ってペルシャなどから、この東の辺境に伝えられた文化は、日本で固有のものに磨き上げられた。四季という自然の移ろいと、台風、火山噴火、地震など、人間の営みのはかなさを痛切に感じさせる自然の猛威が、日本人の世界観や人生観を揺さぶり、それによって日本人のメンタリティは影響を受け、様々な表現の様式も生まれた。

この100年で、ヨーロッパやアメリカなど、それまでと異なる質と種類の文化が日本に流れ込んできた。それ以前の外来の文化が日本ならではのものに変容してきたように、欧米の文化もまた、そうなることは間違いないだろう。そして、その変容は、必ず、自然の前に無力な人間の死生観の影響を受ける。文明が発達し、技術が革新されようとも、自然災害を防ぐことはできないし、ひとたびそれが起これば、人間の過信など一瞬にして吹っ飛ぶのだから。

日本人は、古代から様々な外来の文化や技術を受け入れてきたが、それらを、「生き方の心得」にまで昇華させているように思う。日本人にとって、技術は、単に生活の利便性の向上に使うだけのものではなく、「自分の人生を究めていく道」であり、「他者に対する心づくし」だった。

そうなるのは、地上の生活などはかないものであることを、日本人はよく知っていたからだ。そして、日本人が欧米や中近東のように、唯一絶対の神を信じる傾向が弱いのも、これだけ自然が猛威をふるうなかで、救いの神をあてにしても仕方がないし、人間を区別することなく容赦なく飲みこんでしまう津波のような力に対して、審判の神を想定しにくいからではないか。

どんなに理不尽で無差別な自然の仕打ちがあろうとも、自然の恐ろしさの前に、神の有無に関係なく、日本人は自分で自分を律するほかない。今回の地震でも、人類史上稀に見る破壊的な打撃を受け、治安維持の力が完全に麻痺した状態でも、エゴに走らず、感情を抑え、冷静に自分を律し、他人に配慮し、行動している被災地の人々の姿。海外のメディアが賛辞を送り、報道しているというが、人間の本性は、平時ではなく非常時にこそ現れるものであり、日本の精神風土の美しさや健やかさも、非常時にこそ、より明確に現れるのだろう。

平時においては、様々な不満や不平や悪意が満ち溢れているが、「生き方の心得」を完全に失っているわけではない。普段は意識されていないが、いざとなれば、それは自ずから現れてくる。

巨大地震がやってくる直前に、「余命」について考えたが、地震の後、なおさら、そのことを強く意識して考えざるを得なくなった。

余命をどう生きるかを考えること。余命を意識すると、必然的に、自分が他のものに対して、いったい何をつないでいけるのかを考えることになる。その規模なんて関係ない。自然の力の前に、人間一人がなせることの規模なんか、たかが知れている。だから、蜘蛛の糸のようなものでかまわないのだ。細くても、粘り強く、自分という存在が消えた後も、何かにつながっていくこと。それは、自分が生きていた証を残すということや、自分の存在を後世に伝えるという自分のエゴに関する望みではない。自分以前の何ものかから自分につなげられた糸を、現代社会のように刺激が多く目が曇らされる状況のなかから見つけ出して、それをまた他の誰かにつなげていくという媒介者の役割を得ることの喜び。

人間は、個であるかぎり、その営みは、はかない。しかし、何かの媒介者として存在できれば、永遠の生の一端を担うことができる。不特定多数の大勢と、すぐに切れてしまう粗雑な糸のつながりを持つことよりも、たとえ細くても強かな糸で、自分にとって大切な人からつなげられたものを、丁寧につないでいくこと。それさえできれば、たとえ自分の身が滅んでも何の悔いもない。もしも、そう思えるような境地に至ることができれば、余命を生きる心構えができたということになるだろう。