今、学ぶべきことは何か?

 8月30日(土)、京都で第二回の風天塾を開催する。

http://www.kazetabi.jp/%E3%82%A4%E3%83%99%E3%83%B3%E3%83%88/
テーマは、学びとは何か? 〜カオスと科学、芸術〜

 学びとは何か?というお題になっているが、自分の本音としては、「今、学ぶべきことは何か?」という思いで、今回の風天塾を開催する。
 そして、科学と芸術が取り上げられている理由は、この二つが、私たちが生きている世界(宇宙)の根本原理を探求するものであり、今、学ぶべきことというか、学びたいことは、究極、それに尽きるからだ。
 いつの間にか、芸術がアートという名にすりかえられ、自己表現とか、共感とか癒しとか、リビングルームを飾るものに成り下がり、商いのアイテムの一つとなった。
 しかし、もともと芸術というものは、私たちが生きる世界(宇宙)のメタファー(暗喩)だった筈だ。暗喩とは、簡単に言えば比喩の一種ということになるが、つまり世界そのものをそのまま切り取って理解することはできないが、世界の本質を暗示するようなものを創造して、世界認識を深めるものだった筈だ。科学もまた、世界そのものを直接的に切り取って示すことはできないが、法則なのか数学なのか様々な抽象的手段を駆使して、世界の本質を記述することを目指す精神の運動であり、今もそうなのだと思う。
 そして、そうした精神の運動は、ただ知的好奇心を満たすためにあるのではなく、自分が生きていくうえでの拠り所を求めるために行なわれている。
 それがいつしか、生きていくうえでの拠り所は、世界(宇宙)の根本原理のほんの一部を齧っているにすぎない近代合理主義社会のなかの、刹那的な価値尺度の中に求められ、その価値尺度が常に揺れ動くものだから、その揺れによって我々の生は激しく翻弄されてしまう。そのストレスの解消、気分転換のために、趣味娯楽のうち高尚とされるジャンルとして芸術鑑賞があったりする。
 学びは、ますます世界(宇宙)の原理などどうでもよくなり、処世的なハウツー重視のものとなり、それを現実的だとみなす風潮がある。しかし、その類のものは実際にはまったく現実的なものではない。なぜなら、刹那的な価値尺度は流動化が激しく、身につけたハウツーは、あっとういう間に古いものになる。今、大学生に人気の就職先が、10年後にはどうなっているかわからないというのが、本当の意味で現実なのだ。
 予測不可能な現実。これは現代に限らない。世界(宇宙)は、いついかなる時も、予測不可能である。いくら科学技術が発達しても、天気や地震をはじめ予測できないことばかりで、私たちの世界と人生は、いつもカオスそのものであり、必然と偶然の絶妙な組み合わせによってダイナミックに変化していく。人生や世界を計算通りの固定的なものと認識している者は、予測不可能な変化があるたびに戸惑い、混乱し、深く傷つくかもしれないが、偶然が引き起こす変化のなかに醍醐味や面白みを感じる者は、カオスだからこそ生き生きとすることができる。ただ残念なことに、現代社会において、カオスを肯定的に捉えられる者は少ない。そして、管理社会のなかで、カオスとの付き合い方を身につける機会がどんどんと奪われる。その結果、社会にちょっとしたアクシデントが起こると、ヒステリックに管理責任を問われ、ほとんとのケースにおいて、対応がまずいと非難される。
 知識詰め込み式で、与えられた選択肢の中から正しい解答を見つけるという学校教育は、今この瞬間の社会の現実が今後もずっと続いていくかのような錯覚の中で行なわれており、世界が、先行きの読めないカオスであることが前提になっていない。いい点数をとれば、いい学校に入学でき、いい学校を卒業できればいい就職ができ、結果としていい人生を送れるのだという、おそるべきステレオタイプの人生論が、子供が大人になる数十年後も続いているという悲しい盲信がある。
 本当はそうではないかもしれないという気持ちが少しはあるかもしれないが、他の方法がわからないし、周りもそうしているからという理由で、別の一歩が踏み出せない。
 他の方法、そして、新たな拠り所は、いったいどこから出てくるのか。
 まずは誰かが突破口を開かなくてはいけない。時々、目のつけどころのよかった人が、社会的な大成功を成し遂げて話題になるが、多くの場合、すぐに消えていく。そうでなくても、あの人は能力があるからとか運がよかったからという理由で処理されることが多く、他の人達にとっての新たな方法になりにくい。というより、同じことを同じようにやってもうまくいかない。誰かと同じことを同じようにやることは、カオス的な現実でうまくやっていくための方法ではないのだ。カオス的世界は、時間差があると、まったく違う様相を示すものだから。
 カオス的世界をどう捉えるかという問題について、突破口になるのが、科学者であり、芸術家だと私は思う。
 カオス的世界の生の拠り所となる学びは、科学者や芸術家から得られる。
 ただこの時代において、科学者の定義も、芸術家の定義もよくわからなくなっている。政府から多額の研究費をとり、細胞を処理して臓器を作り出して、少しでも肉体的な寿命をのばすことが一流の科学者とみなされている。病気に対する不安を和らげることも人生の拠り所の一つかもしれないが、そこまでして生きるに値する世界なのかどうかという問いに対する答えは、それとは質が違う。細胞をいじって薬を作り出して平均寿命が伸びて、高齢者の増大という刹那の社会的現実を生み出しても、その新たな現実に対応するための心の拠り所が、まずます見えにくくなる。
 おそらく、そうした現実に対して敏感な芸術家や科学者は、このカオス的世界を、どう捉え、どう記述し、どう描き出すかというポイントに自らの生涯を賭けているのではないか。それだけの意義がある仕事だからだ。自分のためにも、世界のためにも。今日の社会の芸術や科学のカテゴリーはどうでもよく、そうした探求を行なっている人が、芸術家であり科学者なのだろう。

 古代中国の思想家、荘周は、混沌(カオス)について次のように語った。南の帝である儵(しゅく)と、北の帝である忽(こつ)が、中央の帝である渾沌(こんとん)にもてなされ、そのお礼に、目鼻口がない混沌に、目とか鼻とか口とか7つの穴をあけていったら、七日目に混沌は死んでしまったと。儵や忽は、微細とか瞬時という意味で、分別智のことらしい。

 混沌というものは、純一無雑、そのまま完成態のもので、分析を許さざるものであるという教えがそこにある。
 自然(世界)という分析を許さざるカオスを、どのように捉え、どのように対応するか。
 人間というのは、長い歴史のなかで、そうした試みを重ねてきているし、実際の生活の中にも巧みにとりこんできた。
 たとえば優れた大工の仕事は、現代の多くの家の設計のように今この瞬間の見栄えばかりを取り繕うのではなく、長い目で見て、一つ一つ異なる樹木の癖を読み、湿度などを考慮し、また地震による揺れなどもうまく吸収できるように、”間”をうまく活用しながら、木と木を組んでいく。
 城の城壁なども、サイズも形もバラバラで、偶然そこにはめこまれた石が、ある必然の原理のなかで、しっかりと組み合わされている。自然界の石はまったく同じ形、大きさのものは存在しないので、まったく同じ城壁は再現できない。しかし、そうした腕を持った職人は、他の現場に行ったとしても、そこにある別の石を使って別の組み合わせ方で、巧みに作り上げることができる。そのようにできあがった城壁は、人工的に同じサイズと形に揃えられたブロックで作った城壁よりも強固で、地震などにも強く、長い時間を生き抜くことができる。
 このようにカオスをカオスのまま組み合わせる技術は、マニュアルで標準化できず、身体で覚えるしかない。
 自然(世界)のカオス的性質を読み取り、カオス的性質を損なうことがないように、我々が生きる現実のなかに再創造する。人間はそういう力も備えている。混沌に穴をあけて殺してしまった儵や忽のような、瞬時だけに通用する賢しらな分別知で世界の現実に対応し続けると、見た目のデザインを主張するばかりで少しの湿気で扉があかなくなる自然変化に弱い住宅に住み、すぐに高いお金を出して建て替え、寿命ばかり長くても生気のなくなった人生しか送れないだろう。
 人の認識は、マニュアルや巧みな宣伝広告ではなく、類推によってこそ高められる。この類推の力が、人間の特徴と言ってもいい。類推とは、特定の事物に基ずく情報を、他の特定の事物へ何らかの類似に基づいて適用すること。つまり、一見異なるようなものの中に同じを見いだす力だ。そのように世界に対する認識力が高められることで応用力が身につき、応用力こそが、環境変化への対応力となり、氷河期などを乗りこえてきた人類の粘り強い力の源泉はそこにある。そして、科学や芸術は、その類推の力がもっとも発揮される人間ならではの領域である。
 人間だけが真理の探求を欲するが、真理の探求とは、直接的に切り取って確認することのできない世界(宇宙)を、類推の力で把握し、暗喩などの形で伝えることを目指すことである。そうした表現が、人間の類推力をさらに触発し、高める。芸術や科学は、そのようにして太古の時代から、人間社会のなかで形を変えながら、時に形骸化し、また本来の在り方に戻るということを繰り返しながら、綿々と引き継がれている。
 人間が、カオスという世界(宇宙)の条理を、刹那ではなく永遠の時間の中で認識するためには、政治や官僚システムではなく、芸術や科学の力が必要である。そして、それができてこそ、人間は、カオスという現実のなかで、迷い子になって打ち拉がれるのではなく、生の醍醐味を感じることができるのだと思う。



Kz_48_h1_3

風の旅人 復刊第4号 「死の力」 ホームページで発売中!

メルマガにご登録いただきますと、ブログ更新のお知らせをお送りします。

登録→