コドモノクニ

 社会には色々な問題があるけれど、究極のところ、大人が子供に何を見せて行くか、何を伝えて行くか、というポイントは絞られると感じている。そのポイントで、風の旅人の次号のテーマ、「コドモノクニ」のことを考えている。

 時代ごとに価値基準があるわけだが、私たちの未来にとって、今必要なのはどの価値基準なのか。 今回、自民党政権が圧倒的多数の議席を獲得したわけだが、豊かさの基準(公共事業による経済刺激)にしろ、文化の基準(愛国心?)にしろ、非常に限定的な一方向からしか見ず、それを声高に主

張している政権に不安を感じる。
 しかしそれは政権の問題ではない。自民党政権を誕生させた多くの人が、そのように限定的な一方向からしか物事を見なくなってしまっているからかもしれないし、その視点や価値判断が、ますます狭くなってきているようにも感じる。形になっている物事だけで価値を決めつけて、その背後への想像力が、どんどん欠如してきているのではないだろうか。

 物事と物事の間、言葉と言葉の間には、実際に形になっている物事や言葉の何倍もの大事なことが詰まっていて、形になることができないまま揺らいでいるわけで、それを察知する力こそが、心の力だと思うのだが、その心の力がどんどん弱まっている。だから、政治も、どんどんと単純なフレーズばかりを繰り返すようになる。メディアも、キャッチフレーズで人を釣る。雑誌や新聞なども、デカデカとした見出しばかり。物事の機微でコミュニケーションをとるという、文化本来の力が弱まっている。
 自民党政権のことより先に、そうなっている現状にどのように語りかけて行くかという問題が残っている。風の旅人は、小さな風にすぎないが、その役割を少しは担っていると思う。大きな風ではなく、小さな風を寄せ集めていくでしか、物事の背後の大切さは伝えられないと思う。

 大人が子供に伝えるべきものは、物の価値や言葉の意味ではなく、物と物、言葉と言葉の間を埋めているものの大切さ。形にはなっていないけれど、形になる準備をしているものに目を配り、心を配ること。作物だって、見た目重視で、ワックスでキラキラにすれば売れるからそうすればいいということを教えるのではなく、手間暇かけて土を耕し、土壌を豊かにすることの大切さを伝えること。長い目で、子供のことを大切に思うならば、そういうことを子供に伝えていかなければならない。でもその前に、大人自身が、そういう努力をできる自分に自己変革できるかどうかという大きな課題が残っている。子供の環境が損なわれているのは、大人がそういう努力を自分に課さず、その結果、この国が、ワックスで表面だけをキラキラ輝かせる紛い物に覆い尽くされているからかもしれない。