クリエイティブのメッキが剥がれつつある

 区が無報酬デザイナー募集…抗議殺到、計画中止

 http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20130302-OYT1T00306.htm?from=tw

 この出来事は、デザイナー業界内だけの話ではなく、今、世界で起こっている出来事として、とても象徴的だと思う。『業界をバカにしている」という批判が多数あって、この計画を取りやめたらしいが、この流れは今後も変わらない。

 デザインに限らず写真だって、広告などレンタル写真の分野は、フリッカーと提携したレンタル写真会社のサイトを通して、圧倒的多数の素人の写真が使われるようになっている。タダでもいいというアマチュアと、業界をバカにするなというプロの差がなくなっているという事実が背景にある。

 つまりこれまではクリエイターだと胸を張っていた職種は、商業主義の世界で、お金と交換されるものを作っていたけれど、そうして作られたものは、商業主義の世界で、次第に、お金に値しなくなっている。

 今もなお商業主義のクリエイティブ分野でお金を稼いでいるのは、莫大な数のアマチュアを組織化しているオンラインのレンタル写真の会社とか、それでもプロになりたい人の為の学校や、プロでもアマチュアでもどうでもよく、お金を出してでも作品を発表したい人から稼ぐ会社(新風舎のような露骨な自費出版はなくなっているけれど、それと似たものはけっこうある)か。しかし、これらの分野も、そういう会社を頼らなくても作品を発表できると気づいた人が増えてきたり、学校で習ったことが何の役にも立たないとわかって時点で終わり。アマチュアを組織化するプラットフォームは生き残るかもしれないが、仕組みとして簡単なので、競争が激しくなって収益は大したものにならないだろう。

 いずれにしろ、商業主義の世界では、もはやプロとかアマチュアとかの分別は無意味で、タダでもいい、人より利益が少なくてもいいという人が大勢いて、その人達の作るもののニーズがあれば、流れはそちらにいく。それはクリエイティブの分野にかぎらない。テレビをはじめ家電だって、中国製や韓国製はアマチュアみたいに不完全で日本製は完成度が高いプロの商品と威張っていたのは10年以上前の話で、もはや誰もそんなこと思わない。結果として、商業主義の世界では、デフレは止まらない。

 もはや表現活動に携わることにおいて、商業主義の意識を捨てるしかないということだ。他の仕事をしながら稼いで食べて、それで、自分のやりたいことを表現し、その手段として、デザイン、写真、漫画その他のことに関わるということ。そして、商業主義を完全に捨て去った作品が、思わぬところで評価されるということもあるだろう。

 

 物作りで食っていこうなんて思うと不安で眠れなくなるから、食うための手段を他で考えていくのが精神的にベター。

 かつては、歌手になる、写真家になる、デザイナーになるといったことが”夢”とされて、その分野の人がメディアと組んで、それらの仕事が、”夢”に値するかのようなイメージを作ってきた。

 音楽や写真やデザインに携わることじたいは、実際には、夢でも何でもなく、誰でもやろうと努力すればできること。それで儲かったり有名になったりすることが、”夢”だったにすぎず、それは、人々の虚栄心と拝金主義をベースにしていた商業主義の世界が作り出して幻想だった。

 デフレや、クリエイターの周辺で起こっている無償化の動きは、商業主義世界を築きあげ、それを維持し続けてきた構造や、”洗脳”が崩れつつある現象だと思う。

 まず、テレビなどの家電が夢や憧れでなくなり、クリエイティブワークも夢や憧れでなくなる。商業主義世界の中の夢や憧れは剥がれ落ちていく。そして、次第に夢が剥がれ落ちていく状況のなかで、生き残りとか、次の可能性を説く人に視線が集中し、今度は、その人達が、その状況をビジネスチャンスにしているという(各種講演やハウツー本など)状況が現在だ。それは、僅かな望みを持ち、エキスパートと称する人の状況分析や打開策にしがみつこうとする人から稼ぐ、末期的な状態。SNSを活用して云々・・といったハウツーは、実に底が浅い。三年後には消えているだろう。

 自分のやりたいことで稼がなくてもいい、トントンでオッケーと開き直ったところからしか、自分自身の新しい局面は生まれてこないのではないかな。それで稼がなくてもいいと思えるような状況をどう作るか頭を絞って努力するのがベスト。自給自足したり食える仕事を並行したり。実際にそういう人はいるし。

 デザイナーや写真家よりも専門性の高い弁護士、公認会計士、税理士達の世界でも、同じようなことは起こっている。さすがに無償ではないが、労力(資格を得る為の努力も含め)にみあった報償にならなくなってきていると聞いた。それらの資格で食っていけないから、とりあえず会社勤めをして、専門性を生かして内職している人も増えているらしい。

 写真やデザイン、それ以外の様々な表現活動を”文化”だと主張し、文化の価値に対価を払わない日本人という批判があるが、自分が思っているほど価値はないと弁えた方がいいと思う。家電が安いのも、高いお金を払ってまで買う価値はないから。つまり、切望するほどのものではないから、お金は払わない。

 お金を払わせるために、商業主義的な発想で勝負を賭けても、デフレは決して改善されないので、束の間売れても、安さ競争に陥って、消耗する。

 商業主義に走らないと心に決めた結果として、自分の作るものにお金を払ってくれる人がいなくて、日本人は文化がわからないとぼやくのも、傲慢だ。

 いずれにしろ、ありとあらゆるもののメッキが剥がれ落ちてしまえば、物事の本質が、もっとはっきり見えてくるように思う。ただその前に、ありとあらゆるものがデフレとなり価値半減という状況のなかで、市場経済とは無縁ゆえにデフレにならないお役人仕事が、最大の抵抗勢力になる。

 私自身の問題としては、風の旅人を作りながら食っていけると思って会社を作ったのではなく、風の旅人を作っていることを自分の身分証明書にして、何か仕事につながればよく、風の旅人の赤字幅が少なければラッキーと思っていた。

 実際は、風の旅人が他の仕事につながることはないが、風の旅人が赤字になることもなかった。人生って、思うどおりにはならないが、思っていないところで恩恵もある。

 いずれにしろ、収入が減ることは承知で、自分がやろうと思うことをやるのなら、デフレは、とても助かる。デフレを敵視する理由はどこにもない。自分がやろうと思うことを我慢してまで収入アップを目指す人は、デフレが困るんだろうな。

 つまらない見栄をはらなければ、食べていくだけなら何とかなる、という状況に自分を置いて、その上で本当に自分がやりたい事がなんなのか考えて、地道でもいいから一歩一歩実践していくこと。

 つまらない見栄の中に自分を誘うものは多い。マイホーム、子供の進学先、着ている服、そして有名になりたいとか、人に羨む暮らしがしたいとか・・・、そういうものが向上心なのだと洗脳して、見栄と消費に支えられた社会に巻き込もうとする輩は大勢いる。スポンサーの前で頭のあがらないメディア、メディアの御用学者や評論家、その人達の戯言に心惑わされない自分づくりこそ、表現とかクリエイティブワークを目指す人が、最初にやらなければならないことだろう。