誰もお膳立てをしてくれない・・・。

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 この写真は、風の旅人の第46号で紹介する関野吉晴さんの写真。アマゾンに暮らすマチゲンガ族の子供。マチゲンガの子供は8歳になると、自分の炉を持つのだそうだ。今回の関野さんのマチゲンガの子供についてのルポはとても面白いし、感心させられる。大人が子供に具体的には何も教えないけれど、子供は、必死に大人のやることを見て、学習していくということ。とくに狩りの仕方などは、一種の神業みたいなものだから、マニュアルで通用する筈がなく、自分の全身全霊を研ぎすませて、失敗を繰り返しながら、コツを体得していくしかない。子供にとって本当の意味で先生にあたるのは、大自然だ。
 食事をとる時も、日本のように、大人は子供に対して、「好き嫌いはダメよ」などとは言わない。子供は、自分から食べ物に手を伸ばさないと食べ損ねてしまう。そして、十分な量にありつけなくて空腹が耐えられないと、ジャングルに入って自分で小動物を捕まえてくるしかないという。逞しくなければ生きていけないということが前提になっているのだ。
 もちろん、こうしたことをそのまま今の日本に当てはめることはできない。しかし、誰かがお膳立てしてくれる環境よりも、自分で何とかやっていくしかないという覚悟を持たざるを得ない環境の方が、生命が生き生きと輝くということは伝わってくる。
 誰かがやってくれるという依存状態は、楽なように見えて、実際は、自らの生命を蝕んでいく最悪の状態なのだと。
 子供に限らず、高齢者の介護の現場でも同じことが言える。依存状態のまま生きる屍のように生きるのか、敢えて困難を引き受けて生き生きと生きるのか。けっきょく、どちらの人生の方が、自分が納得感を持てるのかということに尽きる。人は誰でも、いつか必ず死ぬ。それは日本人もマチゲンガ族も同じ。今回の関野さんのルポは、生きることの原点を振り返るきっかけになるだろうと思う。