第921回 不登校をきっかけに? 思いきって環境を変える

 知り合いの中学2年生の息子が、7月に不登校になって、9月の夏休み明けに学校に行けるようになったものの、一日中自習室で過ごす期間が10日ほど経った時、父親は、環境を変えることを息子に提案し、息子もその方がいいと判断し、その10日後には引っ越しをして、転校の手続きをした。9月の連休が終わる24日から新しい学校に通うことになる。通えるかどうかはわからないけれど・・・。
 社会の中で急増する不登校とか引きこもりに対して、いろいろな対策があげられている。しかし、どれか一つこれが正しいというものがあれば、誰も苦労はしない。そんな簡単な問題ではないことは当事者が一番よくわかっている。 
 だから、何が正しいとか間違っているとか、外野があれこれ言えるようなことではない。
 正しいか間違っているかではなく、けっきょくその行動に対して誰が覚悟を決めるか。ということであれば、それは、親がいるのであれば親しかない。親もまた開き直って覚悟を決めるしかないと、その父親は思った。行動に移す際に、それができない理由を色々とつけることはできる。忙しい、お金がない、うまくいくかどうかわからない等。しかし、そういう理由をつけて先延ばしにしているうちに事態が悪化すると、ますます対策が難しくなり、できない理由の壁が大きくなってしまう。
 何かしらの事情で学校に行きづらくなってしまったのであれば、無理矢理そこに行かせるのではなく学校を変えるのも一つの手だろう。本人と話しをしてみて本人が、それもありだなと思う素振りを見せたら、「じゃあとりあえずそれやってみよう」くらいの感覚でいいのではないかと、その子の父は思った。じっくりと考えて正しい答えを出すことは無理だからだ。転校するということをじっくりと考え出すと、めんどうなことや不安なことが思い浮かんでくる。そういうことを一つ一つ確認して心の整理をしていくことは難しい。だから、変化の時には勢いというものが必要になると、父親は子供を説得した。不登校の息子は、今の学校に適応できている長男と一緒に残る母親と離れることに躊躇はあったものの、生物の本能として、自分が陥っている苦しい状況を脱したいという思いを持っているので、父親の説得に従った。
 そして父親が新しい住まいにおいて気をつけたことは、個室を作らないことだ。学校を変わっても不登校は治らないかもしれない。そして、自己嫌悪や対人恐怖症が強くなって自分の部屋に引きこもってしまうようになるかもしれない。そうなってしまうと、さらに症状は悪化してしまう。だから、狭い住居でもいいから個室がなく、明るくて、風通しのよいところ。大きなワンルームみたいなところでの共同生活が一番いい。部屋を区切るから部屋の中に光が入らなくなり暗鬱になって、そこに籠もるから、ますます気分も暗鬱になるのだと父親は考えた。
 衝立などで工夫をして多少はお互いのプライベートを確保できるようにしながら、できるだけ境界を作らないこと。まずは、そのことを第一に努めた。 
 その上で、父親は息子に語った。これまで対話を重ねてきて、息子は、自分が陥っている症状が、対人恐怖症であるということまでは理解している。大怪我をきっかけに色々なストレスが重なって、外出して人間と出会うことさえ苦痛で、恐怖で、ものすごくエネルギーを要する状態になっていた。この恐怖は人から因縁をつけられるとか襲われるといった外的危険に対する恐怖ではない。道ですれちがう弱々しい老人に対してさえ恐怖を感じるのだから、根性で何とかなる問題ではないのだ。
 どういうことが起きているかというと、心拍数が高くなって胸が圧迫され呼吸が苦しくなる。つまり、これは心の問題というより、体調の変化のようなのだ。
 息子は、自分が陥っている症状を”心の問題”だと思っていて、心を何とか強く持とうとしたりしているのだが、それでかえって意識を過剰にしてしまい、よけいに動悸が激しくなってしまう。父親は、一つの鍵を発見していた。たとえば、外に出ることが苦痛で症状が悪化するから、無理せずに家で安静にしていた方がいいという人もいる。その逆に、気合いで頑張らせようとする人もいる。家で安静にしていると、家の中では安定しているが、妄想が膨らみ外の世界が恐ろしいものになってしまうので、外に出ることがますます難しくなる。だからといって頑張ろうとするとよけいに意識して、症状は悪化してしまう。
 「頑張れ」でもなく、「無理しなくていいよ」でもなく、「やるっきゃないよ」みたいな軽いノリが息子には一番いいということを父親は発見した。人によって様々だろうが、頑張るか頑張らないかではなく、その中間のかけ声になる言葉がある。その言葉の発見は、意識の持ち方を少し変えていくうえで大事な鍵となるだろう。
 その鍵の発見の後、父親は息子に提案した。
 「おまえの陥っている状況は、心の問題ではなく、体調の問題だよ」と。つまり、動悸が激しくなったり息が苦しくなるのは、アドレナリンとかドーパミンといったホルモンの制御がうまくいかなくなっているからだと、専門家でもないのに、もっともらしく説明した。
 野生動物やスポーツ選手などでも、闘いの時には興奮物質が出る。戦闘モードに入るためだ。緊張感を高め、集中力を高め、自分の力が最大限に発揮できるように準備をする。そして、おそらくすぐれたスポーツ選手は、そのホルモンの調整がうまい。ホルモンが過剰になると興奮や緊張をしすぎて、よけいなところに力が入って、力みになってしまい、かえってうまくいかない。少なすぎず、多すぎず、ホルモン量を調整できる身体をもっていることが大事だ。
 「対人恐怖症というのも、それと同じなのだ。外に出たり、人と会う時に、瞬間的にホルモンがどっと出る。それが過剰に出る。だから、ものすごく緊張し、エネルギーも使い、疲れ切ってしまう。ホルモンが必要以上に出るようになった原因は色々ある。イジメとか外的な脅威に対する備えが必要だったということもある。しかし、それだけではない。たとえば、日本で鬱病になりやすい場所はどこか知っているか?、世界で自殺の多い地域を知っているか? どちらも、日照時間の短い地域だ。だから北欧の人は、太陽が出ている時には日光浴を欠かさない。逆に、イタリアなど雨や曇りの日が少なく日照時間の長い国は、鬱病とか自殺がほとんどない。インターネットで調べてみればわかるよ。だから、できるだけ太陽を浴びるのだ。太陽が顔を出していれば、外にでるっきゃないよ。それと、家の中で何かをする時、朝、起きる時など、ぐずぐずせずに、すぐに起きる、躊躇せずにすぐに動く、思ったことと行動がすぐに結びつくような生活のリズムを心がける。そうすることで、ホルモンの量を自分で調整できるようになる。ホルモンの量を自分で調整できるようになると、過剰に緊張しないようになる。うまくいくかどうかわからないけれど、とりあえずやってみればいい」と。
 そう話した後、父親は、日光浴用に、キャンプの時などに使う携帯用のディレクターズチェア(けっこうリクライニングができるやつ)を買い与えた。これがあれば、ベランダとか、公園とか、河原とか、好きなところに持って行って、日光浴ができる。
 何が正しいかどうかわからないけれど、とりあえず色々と試してみること。その結果に一喜一憂したり、失敗だったと落ち込んでもしかたがない。本質的には失敗も成功もない。すべて経験、と息子は、”経験”ということには強く反応するようになっている。経験ということを意識するようになって、不幸とか不運だと思っていたことが、自分に課せられた試練だと思えるようになる。そして何の試練なのかというと、自分が成長するためなのだ。父親は、息子に対して、「成長しなくてはいけない」などと一言も言っていないが、息子には、生物の本能として、成長したいという思いが宿っているようなのだ。
 鬱病とか対人恐怖症に陥ってもがき苦しんでいる人は、その状況から抜け出したいと思っている。決して、努力していないわけでもないし、怠慢なわけでもない。ただ、もしかしたら、努力の方法が間違っている可能性があるかもしれないと頭を柔軟に保つことは大事だ。間違っていないかもしれないけれど、間違っているかもしれない、色々やってみた方がいい、と思うことの方が、一つの正しいとされることをし続けることよりも、健やかである気がする。
 とりあえずは太陽作戦、それがうまくいかなかったら次はどうするかと、父親は作戦を練っている。最後のカードは既に決めている。仕事をやめ、半年なのか1年なのかわからないが、息子と海外を旅することだ。それは、自分自身の経験で、若い頃に野宿とかヒッチハイクをしながら続けた旅が、自分自身をかなりタフにしてくれたからだ。それまでは日本で教育を受けてしまった人間に特有の、協調性感覚が他人の目を気にする意識になってしまい、そのうえに恥の感覚も重なり、”世間”の動向に影響を受けやすい体質だった。しかし、異国を旅し続けることで、そうした日本での在り方を客観視できるようになった。日本の在り方、風土や歴史によって異なる世界の様々な国の在り方などを、総合的に俯瞰できるようになった。自分と、自分が生まれ育った環境を俯瞰できることで、今眼の前に起こっている出来事に振り回されないようなタフさが身についたと父親は思っている。
 そのカードが、今のところ父親が思いつく最後のカードであり、それを実際に行った時に、また違う方法が思い浮かぶかもしれない。しかし、最後のカードをとりあえず用意していることで、父親は、腹がすわる。
 不登校だからといって、勉強のことは、そんなに心配していない。世間で言われる一流大学、一流企業の進路をとることが幸福な人生になるなんて微塵も思っていないし、中学生のあいだは学校の成績が悪くても、そんなこととは無関係に逞しく生きている人は大勢いる。
 これからの世界は、自分の頭で物事を考える力、判断する力、状況を読む力、いざという時に自分の興奮物質をうまく調整できる力が、生きるために重要な力になってくるだろう。だから、思春期のあいだの大きな挫折は、そういう力を身につけるための大事な経験でもあるはずなのだ。
 とことん悩み、苦しみ、あがき、その後にどういう意識の地平が拓けるのかわからないけれど、親として、必要以上にネガティブになるのではなく、色々と試みながら状況の変化を楽しめるくらいの心の余裕とタフさは必要なのかもしれないと、父親は思っている。

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