第943回 私たちの根っこは?


 昨日の朝までアルゼンチン家族が四泊していて、シーツ洗って部屋を掃除した後、12時から、グルジアのキュレイターが来て、情熱いっぱいに自分の国のことや、今取り組んでいること、未来の可能性、そして一緒に何かできないか、という話をして帰った。
 アルゼンチン家族の若い息子は、大学で政治学を学んだ後、1年間、アフリカやロシアなど色々な場所を旅している。その旅の途中、日本で落ち合おうということになって、父親とイタリア人の後妻は、ブエノスアイレスからダラス経由で30時間のフライトの後、成田からそのまま列車を乗り継いで京都まで来た。ものすごくハードな移動だけれど、翌朝から、京都の観光を精力的にこなしていた。そして、京都の滞在の後は3人で、飛鳥、高野山と、なかなか渋いところを、airbnbを使って旅を続けるらしい。
 私が、その息子に、「あとどのくらいで帰国するのか?」と尋ねると、父親が、「その質問は、私も何回も彼にしている」と横から口をはさむ。私が、「私も20歳の時に、2年間、諸国を放浪したよ」と答えると、「それは、悪い考えだ」と、息子にへんなことをすりこまないでくれと言いたげに、親父は反論する。親心はどこも一緒だなあとおかしかった。
 アルゼンチンといえば、私が、20歳の時(1982年)、海外の最初の行き先と決めたのが、フォークランド戦争真っ只中のイギリスだった。
 当時のアルゼンチンは、国内経済が悪化し、国民の不満の矛先を外に向けるかのように、英国とのフォークランド戦争が勃発した。
 イギリスの当時の首相、鉄の女サッチャーが、躊躇無く大艦隊を南米大陸の端っこに派遣し、近代兵器の展覧会のように派手な武器使用で、短期間のうちに決着した。
 この戦争に敗れたアルゼンチンは、1988年ついに5000%のハイパーインフレと累積債務を生むことになる。その後、アルゼンチンの通貨ペソと国債は暴落し、国家破綻をする。2001年、貯金は封鎖され、デモや暴動、犯罪、医師や知識人、富裕層が流出し、行くところのない貧困層ばかりが取り残された。
 あれから15年、アルゼンチンは、急激に復興した。
 そして、12時に我が家にやってきたグルジアのキュレーター。私は、グルジアにはまだ行ったことがないが、とても興味があるし、ワイン発祥の地グルジアのワインを、軒下に何年も眠らせている。グルジアアルメニアなど、コーカサスの周辺は、今でこそ辺境地域で、ほとんど人に知られていないが、かつては文明の十字路で、歴史的にはとても重要な地域だったし、その名残は今も残っている。古代は、ユーラシア大陸の中央部を通っていくことが、東西の文明圏を結ぶ経路として最も近道だった。ユーラシアの端から端まで、馬を使えば,意外とあっという間に行けた。だから、その真ん中のサマルカンドが世界の中心だった。東西を結ぶ道が海の道になってから、ユーラシア大陸の内部の歴史は、抹殺されてしまった。
 グルジアもまた近代以降、不運の歴史を重ねてきたが、1991年にソ連邦から独立した後も複雑な民族問題で内戦が続き、つい最近、2008年にはロシアとの戦争で大敗を喫している。グルジアのキュレーターは、その直前、写真を中心とした出版を計画していたが、その戦争の混乱で諦めざるを得なかったという。だからこそ、風の旅人を見て、非常に感銘を受け、興味を持ってくれた。
 グルジアやアルゼンチン、またセルビアクロアチアなど旧ユーゴ諸国などつい最近まで内戦や動乱で国土が破壊され、混乱の極致にあった国々でも、インターネットの急激な発展で、欧米の人達が得ている情報文化を当たり前のように入手している。ニュースだけでなく、映画や音楽なども、簡単に触れることができている。その結果として、自分達が被った悲劇、現代の状況、先進国と言われている国々の現代の矛盾や問題、それらの反省も踏まえた自分達の未来の可能性と、それを阻む要因について、相対的に見る眼が養われている。情報の幅と奥行きが広いと意識も変わる。また、日本と違うのは、日本の場合、既得権を持っている人や、現状に対してそこそこ満足しているために変化を望まない人も多くいて、それらの人々が変化に対する抵抗勢力になるけれど、落ちるところまで落ちてしまった国々は、そんなことは言っていられない。
 太平洋戦争直後の日本もそういう状況だったのだと思う。当時の日本と、現在の復興国の違いは、当時の日本の場合、国民が得られる情報は、言論統制の国ほどでないにしても、情報伝達の仕組みによって強く方向付けがなされていたということ。マスコミが経済界の意向を無視できないことや、(広告効果などが重要視され)広く大勢の人々に受け入れられることを第一とするため、標準的、画一的、均質的な情報にならざるを得ず、そうした情報ばかりに触れることで、意識の方向も、無意識のうちに揃えられてしまった。
 それに比べて、インターネット時代の復興国は、まったく別の道を通って復興していくのかもしれない。
 中国やアルゼンチンから、airbnbで部屋を予約して、GPSを使って、ちゃんと家の前までやってきてベルを鳴らす。大きなホテルではなく、一般家庭の玄関まで簡単に来てしまうのだからびっくりする。そして、広告なども入って情報操作がされているガイドブックなどに頼らず、トリップアドバイザーなどの口コミサイトで、訪れるポイントや、食事をする場所を決めている。airbnbも、レビューの力が大きい。”目利き”とされた専門家などの影響力が激減しているのだ。観光にかぎらず、どの分野でもそうだ。実際に自分で行った人、食べた人、使ってみた人の意見の数や全体の傾向を見て、相対的に判断をする。
 報道にしても、専門の記者やカメラマンが現地に行く前に、現場の近くにいた人が手持ちのスマホで撮った写真が、あっという間に、世界中に伝えられる。
 airbnbもそうだが、今、タクシー業界を震撼させているUBERなど、とても象徴的な新サービスだと思う。
 というのは、街中で流しているタクシーや駅前でずらりと並んでいるタクシーは、いつでも客を拾えるように準備をして待っているわけだが、その待っているの時間、費やされるエネルギーは、ものすごく大きい。そして、当然ながら、そこに費やされている無駄な時間やエネルギーもコストとして価格に反映されている。
 そうした経済原理に基づいているから、無駄が大きくなりすぎると想定される地方部では、タクシーはなく、病院などへの移動に困る人が存在する。
 UBERであれば、自分の傍に自分を必要としている人がいる時に、サービスを提供すればいい。都市部であれ、田舎であれ、あまり経済原理に囚われる必要はない。
 airbnbの場合も、ホテルの運営では莫大な投資が必要なので、投資を回収できるかどうか、立地条件など綿密にマーケティング調査などを行い、決めなければならない。当然ながら、その投資に見合わない可能性が大きいと判断されると、サービスの提供も行われない。
 しかし、airbnbであれば、それがジャングルの中であれ、離れ小島であれ、そこに行きたいと思う人がいて、自分の部屋を提供しましょうという人がいさえすれば、成立してしまう。
 それが良いとか悪いとか議論しても仕方なく、色々な問題があっても、きっとこの流れは変わらないだろう。なぜなら、従来の、常に投資効果を検討しなければならない経済が、完全に行き詰まっているからだ。ゼロ金利というのは、いくら投資しても経済の成長が見込めないという状態であり、それでも借り手がいないというのは、成長どころか、衰退の予感が強いからだろう。
 経済の成長がないと食べていけないということではない。成長を前提にしたシステムに障害が生じるけれど、江戸時代のように、安定的に循環していくシステムが整えられていく可能性もある。そういう社会は、衰退していくものが、捨てられずに上手に生かされるようになっている。
 airbnbでも、子ども達が出ていって広い家で暮らしている孤独の老人が上手に行えば、投資効果など気にせず、そこそこ生活の足しにすることはできるだろうし、世界の色々な人々と関係を深めながら晩年の人生を面白みのあるものにすることはできるだろう(webサイトの運営管理や、webサイト内のコミュニケーションを通じたゲストの見極めなどは離れて暮らす娘が行い、部屋を掃除したりシーツを交換したり、ゲストをもてなすすだけのご年配の方を知っているが、ゲストに喜んでもらえるよう庭の手入れをするのが楽しいと言っている。)。ホームステイ型と言われるオーナーがきちんと同居して注意を怠らない運営ではなく、アパートを投資物件として何軒も借りてairbnbで運用しながら、部屋の掃除などを代行会社に丸投げするというビジネスを行っている人もいるようだが、稼働率や利益率などを気にしながら運用しなければならなくなると、同じようなことを考える人が増えて競争が激しくなり、どこかで無理が生じ、やがてうまくいかなくなると思う。そういうやり方は、きっと前時代の発想であり、時代は今、異なる局面にさしかかっているのだと思う。
 これからの時代は、そうした経済原理から自由になる時代なんだと思う。稼ぐことが目的化されるのではなく、生きるためにはお金は必要だけれど、健やかに生きるために、自分の持っている多面的なものをどう生かして暮らしていくのが問われるのだろうと思う。シェアをしたり、それぞれの持ち味を交換したりすることも含めて。不確定要素の多い時代だから、一本勝負だと危ういし、ストレスも多いし、執着せざるを得ず、そのための醜い争うにも巻き込まれやすく、健やかさが損なわれやすい。
 多面的といっても、ただの寄せ集めになってしまうと、それらを健やかに維持することもできなくなるから、多面的なものを束ねる何かが大事になってくる。
 グルジアのキュレーターと話しをしている時、彼女があれこれ自分がやりたいことを熱く勢いよく語りながら、その中心軸がしっかりあるという感覚が伝わってきた。
 グルジアは、これまでの自分達の文化や、それに基づくアイデンティティを維持したままなので、その層の上に、新しく貪欲に吸収していっているものが重なっている。新しいものは表層にすぎず、基底部は変わらないのだ。だから、アウトプットする言葉に厚みがある。
 しかし日本の場合は、自分達の文化の根っこの部分を,無意識のなかではまだ維持しているのかもしれないけれど意識としては完全に喪失していて、どうにも根無し草の感覚が強く、そういう浮遊感の中で新しいものを得ていると、新しいものが安易な形で主流になってしまう。そして、その主流は、次のものが出てくるとまた安易な形で入れ替えられてしまう。だから、そうした主流を伝える言葉も借り物のようになってしまう。
 自分達の根っこにあるものを、もう少しリアルに感じられる何ものかがなければ、情報の取捨選択においても、行き当たりばったりになってしまう。その何ものかが何なのかが問題なのだけれど、伝統文化と称するものをもってきても、現実感が伴わない。日本人にとって現実感のある根っこ、って何だろうなと思いながら、昨夜、夜行バスで東京に向かった。夜行バスの三列シートに座ってリクライニングをして、通路の向こう側の人と自分を遮るカーテンを閉めると、1人の空間ができ、消灯になると真っ暗闇になる。子供の頃、そういう狭く暗い空間に閉じこもって、考え事をしていたことを思い出す。自分の根っこは、闇に近いところにあることは間違いないと思う。闇の中にいると落ち込むのではなく、少し開き直れる自分がいる。これは個人的な感覚かもしれないけれど、日本人として、日本の風土の中で生きてきた結果として、そういう感覚を持つに至ったわけでもあるので、意識的には忘れているけれど、無意識の領域で、日本文化の基底とつながっている可能性もある。
 日本の近代は、明るい輝きが豊かさだと決めて、その方向に進んできた。
 夜も明るく、24時間オープンの店があちこちにある。そうした明るい繁栄の象徴として、原子力発電所が作られ、あれだけの大惨事を引き起こしながら、今もまだ再稼働が試みられている。
 明るさと豊かさは、とくに関係ないと気づくだけでも、何かが違ってくるのではないか。
 この国の文化は、表面を明るく照らす光よりも、なぜだか陰の部分に豊かさを感じて、その力を引き出すことに努力してきた形跡が多く見られる。
 闇のことは、もう少し意識的に、真剣に考える必要があると思う。