第1137回  鬼とは何か? という本質的な問い(1)

 意識的に鬼を追っていたわけでなく、無意識に訪れる場所が、たまたま鬼の聖域であったということが多く、まさにそれは鬼に導かれているかのようだった。
 そして、かなり鬼の核心に迫ってきたように思う。
 

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西加茂大将軍神社の立砂
 今日、平安京大極殿の真北、つまり、かつての朱雀通りの真北に鎮座する西賀茂大将軍神社を訪れた。
 この神社の祭神は、磐長姫と、その家族神。磐長姫は、天孫降臨のニニギが、選ばなかった女神だから、この神社は、皇統から外されたものの聖域ということになる。
 一般的に信じられているように、ニニギに選ばれた木花佐久夜毘売が美人で、磐長姫が醜女であった、というレベルの話ではない。
 ニニギは、磐長姫の神威の強さに怯んで、接触を持たなかった。
 そこには、鬼とは何か? という本質的な問題が横たわっている。
 磐長姫を祀る西賀茂大将軍神社は、平安京大極殿の真北で、比叡山を真東に望み、上賀茂神社も真東、すぐそばに鎮座する。
 

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神社周辺からは比叡山が大きく印象的に見える。比叡山が意識されて、この聖域の場所が決められたことがわかる。
 京都には大将軍社と名付けられる神社がいくつか存在するが、それらは、平安京の遷都の後、桓武天皇の命で都を守護するために東西南北に設置された陰陽道と関わりのある方位神で、それらの場所を訪れても、それほどの神威を感じない。つまり、歴史の蓄積を、それほど感じない。
 しかし、西賀茂大将軍神社とも角社(すみのやしろ)とも呼ばれるこの大将軍神社は、かなり異なる雰囲気がたちこめている。
 まず、この神社の創建は、平安京遷都よりも150年以上も前の推古天皇の時代である。なので、桓武天皇の命令とは関係ない。

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平安京遷都後、ここでは、平安京の建物で使われる瓦が焼かれていた。その時に、焼けた石が残る。
 この西賀茂大将軍神社から平安京の政治の中心、大極殿までの距離は4.3kmで、大極殿から同じ距離を南に行ったところが、羅生門である。羅生門は、平安京南端の中央の正門で、鬼など様々な怪奇譚が知られるところである。
 そして、西賀茂大将軍神社の真西が愛宕山で、一条戻橋で渡辺綱と出会った鬼が、渡辺綱を抱え込んで、飛び去っていこうとした場所である。
 また、羅生門の真西と愛宕神社の真南が交わるところが老ノ坂で、京都から西への出入り口であり、大江山という鬼退治の場所でもあり、さらに首塚大明神があり、ここは酒呑童子という鬼の首が埋められたところとされている。
 つまり、この綺麗な四角形の西賀茂大将軍神社以外の3ヶ所は、明らかに鬼と関係している。

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平安京の南の境界の正門で、数々の鬼のエピソードのある羅生門の真北に西賀茂大将軍社が鎮座し、その中間に大極殿があった。西賀茂大将軍社の真西が、鬼が帰っていこうとした愛宕山で、その真南が、鬼退治の大江山酒呑童子の首が埋められた首塚大明神がある老ノ坂である。ここが、京都と、その西世界の境界。
 そして、西賀茂大将軍神社の創建が推古天皇の時で、この場所の真南が、平安京の真ん中の朱雀通りで、さらに大極殿の位置が、羅生門と西賀茂大将軍神社のど真ん中にあるということは、平安京が、それ以前から存在した西賀茂大将軍神社を意識して、計画的に、位置が選ばれたということになり、そのことに磐長姫が関わっている。
 そして、磐長姫が象徴するものは何か? ということが、鬼というものが何か? ということを考えるうえで鍵になっている。
 ニニギの息子の山幸彦の場合、豊玉姫と結ばれて産まれたウガヤフキアエズを、豊玉姫の妹の玉依姫が育て、その玉依姫ウガヤフキアエズが結ばれて神武天皇が産まれた。
 ウガヤフキアエズは、叔母さんと結婚して、神武天皇の産んだのだ。
 つまり、豊玉姫の父親の綿津見神は、娘2人の両方が、同族のもとに嫁いだ。これは、女系と男系の系統を一本化することにつながる一種の政略結婚である。
 これは、古事記が編纂された時の元明天皇と、天武天皇持統天皇のあいだの息子で皇統を継ぐ予定だった草壁皇子の関係が、そうなっている。
 天智天皇の娘である元明天皇の姉が持統天皇なので、草壁皇子にとって元明天皇は叔母さんだった。壬申の乱天武天皇側と天智天皇の息子の大友皇子側が戦ったが、そうした内乱が生じないように系統と統一する考えがあったのだろう。
 綿津見神の場合と違って、大山津見神の場合、娘2人のうち、ニニギは、1人しか娶らなかった。これに対して、大山津見神は、そんなことをしたら、お前の子孫の繁栄は長く続かないぞ、と警告した。(一般的には、天皇の寿命が短くなるぞと警告されたと解釈されているが、その解釈は、読みが浅い)。
 ニニギに忌避された後、磐長姫は、呪いとともに、大国主の子孫と結ばれる。系統は一本化されず、災いの種は残された。
 この災いの種というのは、単に異なる部族の戦いということではない。忌避して遠ざけたところで消えてしまったわけではなく、禍福に関わる本質的な問題が残るということだ。 
 大山津見神は、山の神であるが、渡しの神であり、これは海上交通と関係している。つまり、山の樹木が船の建材になることを意味しているのだろう。ニニギは、その実用性の方を選んだ。
 しかし、山に受け継がれてきた原始からの岩の祭祀(磐座)を畏れ、忌避してしまった。現世における実用性はないかもしれないが、本質的に重要なものを孕んでいるのに。
 原始的な神域は、縄文に遡り、自然界の本性、本質、本能といった根源的な生命力とつながる。それは、時に、荒ぶるものであるが、生命の活力に必要なものである。
 人間社会の秩序維持においては、実用性に重きを置きながら、形式化による効率化も必要である。官僚組織であれ、会社組織であれ、それは同じ。人間は、生きるうえで目の前の現実が重要であり、そうしたものに気がとらわれる。
 しかし、それが続くと、気が枯れる。それが穢れである。
 枯れた気に必要なものは、本質、本能、本性に近い根源的な生命のエネルギーで、それが注入されることで、淀んだ気力は復活する。それが祓いである。
 穢れを、ただの汚点だとみなし、それを取り除くことが禊だとか祓いだと思っている人がいるが、それは、実用性や形式化に染まり、その範疇でしか物事を考えることができなくなっているからだ。
 つまり、そういう人にとって、穢れは、お荷物のようなものでしかない。
 しかし、たとえば官僚主義の中で機械の歯車の一部のようになって、何事に対しても気力がわかず、生きる屍のようになっている時、何かしらの大きなトラブルがあって、本能に火がついたように活性化することがある。
 鬼というのは、こうした作用をもたらす何かなのだ。
 社会も同じである。しかし、その活性化が、たとえば仮想敵国を作り出すという危険な方向に行く可能性もある。
 だから、鬼は、鎮め方を間違うと大きな災いとなり、正しく鎮めることで、守り神になる。それが、日本古来の御霊会という鬼の対処法だ。
 磐長姫は、私が、風の旅人を創刊した時から掲げていたテーマ、FIND THE ROOT、つまり「根元を求めよ」の、その ROOTにいる存在であり、現在、探求している日本の古層の鍵を握る女神である。
 磐長姫を祀る西賀茂大将軍神社には、上賀茂神社と同じく立砂がある。この立砂は、中世の日本庭園の白砂と同じく比叡山と如意ヶ岳のあいだを源流とする白川が削りとった比叡山周辺の花崗岩であり、立砂の形は、上賀茂神社の北に聳える神山を象徴している。
 この神山の山頂に磐座があり、そこに神が降臨したとされている。
 
(つづく)