習慣化によって感性が鈍麻して偽物に騙されやすくなることもあれば、逆に、その環境によっては、習慣化によって物事の神髄がわかるようになるかもしれない。
先祖代々の骨董屋のように、当たり前のように超一級品に囲まれて育つと、自然に、物の良し悪しがわかるようになる。
食品でもなんでもそうだけれど、インスタント品ばかりに触れていると、味覚や嗅覚が効かなくなる。
しかし、分別だらけの現代社会においては、「一級品」か「二級品以下」か、「本物」か「偽物」は、人それぞれであって構わないとか、好き好きだとか、見る角度によって違う云々という言い方をする人も多い。
「一級品」という言葉も、現代社会には、その種のキャッチコピーが氾濫しているため、よくわからなくなってしまっているからだ。
だから、別の言葉で、そのことを説明する必要がある。
食べ物に関して言えば、本物とインスタント品の違いは、健康や体調に直結するからわかりやすい。
食べ物以外の様々な表現物も、本当は、心の健康に影響を与えているのだけれど、心の健康は、身体の健康に比べて、その変化に気付きにくい。
真贋の違いがわからなくなって騙されやすいという状態は、筋が通っているか、そうでないかが読み取れなくなっている状態でもある。つまり、物事の道理を判断する力が弱まっている。
「筋を読む」とか「筋を通す」というのは、現代社会のように状況が複雑であればあるほど難しくなる。
しかし、難しいからといって、そのままにしておけば、人間の営みは、森羅万象の道理からますます遠ざかっていくだけのことであり、その行末のことも、少しは考えておく必要があるだろう。人類という大きなテーマでなくても、自分自身が、この先どうなっていくかという問題でもある。
物だけでなく仕事や人間関係などにおいても、筋が通っていないものを身の回りに積み上げていくと、いつか瓦解するだろう。
私は、ワークショップの冒頭で、石工の石垣の話をする。石垣の写真を見るだけでもわかることだが、形も大きさもバラバラなものが、見事に組み合わさっている。作る人が、筋を読めているから、こういうことができる。
これをどうやって作るのか? 石工は、石の声を聞き、石がどこに行きたがっているかを知って、石を動かすのだと言う。
「石の声なんか聞こえるのしょうか?」と尋ねると、「もちろん、そんなに簡単なことではないさ、石の声を聞けるようになるまで20年はかかる」と答える。
「そんなに時間がかかることなのかあ」と絶望するのではなく、人間は、営みの在り方を変えると、たった20年で石の声が聞こえるようになるのかあと驚く。石の声が聞こえるなんて、奥義だからだ。その奥義は、ブリコラージュである。
レヴィー・ストロースは、生命の基本原理は、エンジニアリングではなく、ブリコラージュだと説いた。
エンジニアリングというのは設計思想であり、作り手側が、まず設計図を描き、その設計図に基づいて必要な物を切りそろえ、組み立てていく。エンジニアリングは、設計者の意図に合わないものは除外されるという作り手側の横暴が、根底にある。
採用試験で、高学歴云々ということが設計図のなかにあれば、その人の内実など見られることもなく、その基準で取捨選択される。
近代社会というのは、おしなべて、エンジニアリング的発想に基づいている。
将来、弁護士になりたいと思えば、そのゴールに到るまでの設計図を描き、必要な資格を取得するための準備を行うことになる。官僚になりたいとか、一流企業に就職したいという目標設定も同じ。多くの旅行もまた、設計管理の発想で行われている。
設計思想のなかでは、狂いは、罪だ。歪んだ材木は捨てられ、スケジュールが狂った主催旅行は、非難の対象となる。
しかし、この設計思想に基づく物事は、実は、コンピュータやロボットが得意分野とする領域である。あらかじめ決められたことを遂行する能力は、もはや人間よりもコンピューターの方が優れている。
そのコンピューターが苦手としているのがブリコラージュである。別の言葉でいうと、従来のコンピューターは、最適組み合わせ計算がもっとも苦手。宅急便業者が、十箇所の家を、どういう経路で回れば最適なのかを判断することが苦手。
ブリコラージュは、ウィキペディアなどでは、「寄せ集め」といった説明がされているかもしれないが、その程度の説明では不十分。
なので、私は、ワークショップでは、石工が組み上げた石垣を紹介する。これこそがブリコラージュ。生命原理だけでなく、歴史の本質もまた、エンジニアリングではなくブリコラージュだから、歴史の話をする場合でも、まず、このことを説明する必要がある。
現代の産業分野でいえば、ジョブスの開発したIPADが、ブリコラージュだ。
IPADの中の無数の部品は、アップルが開発したものは一つもなく、既にある部品を寄せ集め、組み合わせて作られた。
ここ数十年の日本企業は、シーズという自社の強みとなるコア技術を中心にした商品やサービスを基本にしていた。自社が開発した新技術を基本に作ると、競争有利に立てるという発想。
しかし、その発想の時点で、その商品を使う側の立場に立てていない。ジョブスは、こういう作り手本位のスタンスに対して、激怒したという。
石工が組んだ石垣は、単なる寄せ集めではなく、物事の筋を読んで、筋が通るように組んでいるからこそ、何百年経っても崩れない強固なものになる。
見た目を真似ただけで、筋が通っていない偽物は、すぐに崩れるだろう。
つまり、石の声が聞ける石工が、「ものをわかっている」ということで、知ったかぶった顔で設計図を描いて、すぐに廃れるような物を作っている人は、実は、「何もわかっていない」ということになる。
わかっているかどうかは、インプットしたものの種類や量で計れるものではなく、アウトプットしたものに現れる。
現代社会には、評論家が非常に多い。その大半が、経営をやったことがない経営評論家の類だ。現場を知らなければ、筋がわからない。そして、筋がわからない人が経営する会社が、うまくいくはずがない。
私は、25年前、会社の株式上場にあたって、上場を目指す会社はどこでもそうだが、引き受け証券会社の勧めで上場コンサルタントと契約を結ぶのだが、彼らと一緒に仕事を始めた時、あまりにも筋がわかっていないのですぐに契約を打ち切って、上場資料のほとんど全てを自分で作った。
会社にとって上場は初めてのことだから、上場の経験が豊富な上場コンサルタントに任せた方が安心だという心理が働き、高額のコンサルタント料も仕方がないと思ってしまう
しかし、私が関わった彼らは、コンサルティングする企業の内実をきちんと見ているわけではなく、自分たちの中に既存化しているモデルを相手に押し付けているだけだった。それが、成功のための方法だと。対象企業の特質とは関係なく、その設計に基づいてやった方がいいというエンジニアリング発想。
企業というのは生物であり、おそらく、このエンジニアリング的発想で経営をやっている企業は、その大半がうまくいっていないだろう。1990年頃から、バブル崩壊で自信をなくした日本企業に、アメリカ式合理経営という数値化されたものだけで判断するやり方が急激に浸透したが、そのやり方で、どこの企業が、その後、長く健やかな経営を続けているのか?
現代社会では、ラーメン店を評価する人もいたりで評論家だらけ。石に耳を傾けずに、彼らの言葉に耳を傾けてしまう人が多い。
写真などの場合も同じ。
写真評論家やキュレーターと称している人たちが、本当に写真をわかっているかどうかを見極める方法は簡単なことで、彼らが制作や監修に関わったものが、石工の石垣のように、個々の写真の力を引き出せる場になっているかどうかを判断すればいい。
写真の筋が読めて、その筋を通すことができることが、石工と同じく、写真をわかっているということであり、もしそれができているのならば、制作や監修に携わったものは、石垣のように、個々の写真の力を引き出すような場になっている。
健全なものづくりは、健全な場作りでもある。
素晴らしい陶器の茶碗を、プラスチックのテーブルに置けば、その秘められた力も弱まってしまう。場を整えることで、物事に秘められた力を引き出すことも可能になる。
ダメな上場コンサルタントは、会社経営が場作りだということがわかっておらず、そのことに配慮ができず、自分の中に既存化しているモデルを押し付けているだけなのだが、表現物の制作や監修においても同じことが言える。
現在社会には様々な問題があるが、物事(森羅万象)に宿る筋が読めず、筋を通すことができない評論家が、ミスリードしている現状を、改善するどころか、権威化してしまっていることが大きな問題だ。
なぜそういうことが起きるのかといえば、現代社会が、大量生産と大量消費を好景気として高評価する消費社会だからだ。
石工の仕事のように規格化や標準化と縁遠い仕事は、消費社会の価値観だから高い報酬や高いポジションを得ている人たちにとって、自分の身を危うくする敵とも言えるからだ。
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ワークショップセミナーの第11回目を、 10月14日(土)、10月15日(日)の両日(それぞれ1日で完結)、東京にて、午後12時半〜午後5時にかけて行います。
詳細、ご参加のお申し込みは、こちらをご覧ください。
両日とも、10名限定。
場所:かぜたび舎(東京)
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