第1377回 富士山の魔力に取り憑かれた写真家

東京と京都のあいだの移動途中に富士山を訪れている理由は、富士山の麓に住んでいる写真家の大山行男さんを訪問して、大山さんが撮り続けている写真を確認するため。

 現在、大山さんの写真集の「Creation」シリーズ三部作を制作中で、Vol.1の「生命の曼陀羅」とVol.2の「天と地の曼陀羅」はすでに完成させて発行している。

 最終版のVol.3は、富士山の周辺に生きる人たちをテーマに制作するつもりで、現在、大山さんは、毎日のように、人物写真の撮影を続けている。

 富士山の麓に30年以上住み続けている大山さんだが、これまで、富士山周辺の人の暮らしを撮ってこなかった。

 Vol.1の「生命の曼陀羅」で紹介した生物たちも、写真家人生で初めての試みだった。

 だからといって大山さんは、富士山の写真ばかり撮っているわけではなく、インドに10年間通い続けて、「インド四都物語」という写真集を、数年前に私が編集構成とデザインをして、山と渓谷社から発行された。

 これは夜のカルカッタやデリーやムンバイやベナレスの人間模様を撮ったもので、大山さんのこれらの人物写真は、鬼海弘雄さんや野町和嘉さんの評価も高かった。鬼海さんは、「大山さんは、単なる富士山写真家ではないよ」と言っていた。

 そのこともあって、私は数年前から大山さんに対して、富士山周辺の「人間の暮らしと祈り」を撮るように促していて、大山さんも、いつかやりたいと思っていたこともあって、それ以来、これに没頭している。

 写真集の完成は来年になるか、もう少し先になるかはわからないが、私は、その途中経過の写真の全てに目を通している。

 写真家には二通りあって、自分で厳密に写真をセレクトできる人と、そうでない人。

 私が一緒に仕事をした写真家では、川田喜久治さんやジョセフ・クーデルカなどは前者だ。鬼海さんや野町さんもそう。

 大山さんは、自分の写真を客観視することが得意ではなく、だから私は、一回の訪問につき、1000枚のうちから、まずは200枚くらいに絞り込むという作業を行っている。

 そして、大山さんは、凄い写真を撮る人だが、決して上手い写真家ではなく、そのため私は、明らかな失敗写真も膨大に見ることになる。

 他者に対して失敗写真を見せない写真家の方が当然ながら多いのだが、大山さんは、私の絞り込みを見ながら、次の撮影のことを考えていくという方法をとっており、つまり、自分の美意識の範疇を自分で狭く限定しないようにしている。

 これは、大山さんが、自己表現のために写真を撮っていないからだ。表現活動をしている人は自己意識が強い人が多いのだが、大山さんという人は自己意識が強くなくて、あくまでも被写体である他者から何を受け取れるかを大事にしている。

 別の言い方をするなら「自分の意識で作らない」ということ。

 だから、現在、人を撮りに行く時も、たとえば職人さんであってもアポイントはとらない。もちろん、それ以前から撮影の話はしているが、撮影のタイミングは決めていない。アポイントをとった上で撮影すると、相手が、構えてしまう、つまり自分を作ってしまうことが多いからだ。

 「自然」であることが大事であり、大山さんは、自然か不自然かの違いに敏感な写真家である。

 そして、私が、そういう大山さんの写真を編集構成する場合も、自然であることが重要になる。つまり、設計図を作って、その設計図に写真を当てはめるようなことはしない。

 ならばどうするかというと、石垣を作る石工が石に耳をすませて石がどこに行きたいのかを聞くように、写真に耳をすませるということになる。

 つまり、設計図通りに作るのではなく、写真と写真が呼び合って重なり合い、自然と組み合わさっていくという作り方になる。

 10月31日に、日本に来て学んでいるスタンフォード大学の学生に対して、私が作っている「The Creation」の写真集と、写真史に残るエルンスト・ハースの「The Cretion」を題材にして、その違いを、東洋と西洋のコスモロジーの違いに関連づけて講義をすることになっているのだが、さて、どういう話の展開にすべきかと漠然と考えながら、今このメモのようなものを書いている。

 この講義は、「編集」をテーマに、毎年1回、5、6年続けてきたものだが、編集というのは雑誌や本や映像だけのことではなく、文章を書くということ、つまり思考それ自体も、世界をいかにして寄せ集めて編むかということで、だから、生きることは、編集することでもある。

 そして、「The Creation」の編集について語るということは、創造とは何か?ということを、西洋と東洋の違いを踏まえて語ることで、一神教の聖書の思想と、多神教の日本の神話の違いが関わってくる。このことは、古事記などの日本神話を解釈するうえで重要な鍵となる。古事記を、西洋的な分析思考で解釈することは間違っているのだ。

 創ることが、無から有を生じさせることだと思っている人は、設計思想の傾向が強い。

 歴史を確認する時に、陰謀説とか、一人の人物の行動だけで歴史を説明しがちの人は、設計思想に陥っている。

 私自身は、創ることは、編むことだと思っている。縦糸と横糸が複雑に織り込まれている、もしくは石工の組んだ石垣のように大小様々な石が複雑精妙に組み合わされたのが歴史であり、無から有を生じさせるのではなく、既に在るものの関係性に、何がどのように働きかけて、その関係性が変容していったかが、重要だと思っている。

 大山さんという写真家も、設計思想で写真を撮っていないから、大小様々な形の石の、どれが役に立つか立たないかという分別をもっていない。

 設計思想だと、歪な形だとか小さすぎるからという理由で排除するような石でも、他との組み合わせで生きてくるかもしれない。それと同じで、大山さんも、撮影した膨大な数の写真を、捨てずに手元に残したままにしている。

 鬼海弘雄さんという写真家は、大山さんとは少し違っていて、写真を撮る際、目に写っている世界の中で、常に最適組み合わせを探し、見つけるというモードが当たり前になっていた。

 だから、あまりシャッターを切らない。しかし、最適モードを求めて、いたずらに時間だけが過ぎていくということでもなく、一緒に歩いている私が気づかないところで、瞬時にそれを見つけて写真にすることができた。

 鬼海さんは、数十年という歳月をかけて一つのテーマを追っていたから、長い時間の中で仕事をする人というイメージがあるが、たった1日の仕事でも、完成された仕事ができる人だった。

 一般の学校では落ちこぼれであったり登校できていなかった子供たちが集まる学校の学校案内を作った時、生徒たちや卒業生の写真を鬼海さんに撮ってもらった。

 鬼海さんは、彼らと少し話をした後、しばらく一緒に歩いて撮影を行ったが、一人ひとりの個性とぴったりの背景のところで、さらに、彼らの一瞬の表情や姿勢なども合わさって、見事に彼らの内面を引き出す写真を撮った。わずかの時間で、シャッター数も少ないのに、写真がそうなることがとても不思議だった。

 京都や大阪、東京や札幌など、様々な街で撮影を行ったが、それらの街の、いわゆる記号的なものは全く入っておらず、たとえば鴨川ならば、その水面と橋の一部だけが少し入っているだけでも、その土地の匂いのようなものが滲み出ることも不思議だった。

 鬼海さんには、そういう眼力があった。

 大山さんは、そういう眼力で写真を撮るというよりは、毎日5時間、365日続けて撮影することを平気でできてしまう写真家で、その特徴は、没入感にある。没入して、無我の境地で、いわゆるゾーンという変性意識の状態になる。

 人間の意識を超えた何かとアクセスするためには、そうした変性意識の回路が必要なのかもしれない。

 大山さんの「The Creation」のVol1.とVol.2は、ホームページで販売中です。

Creation 天と地の曼荼羅 - 雑誌 風の旅人 Sacred world 日本層 (株)かぜたび舎 

 

www.kazetabi.j