第1190回 写真家の良心と、いのちの在り処。

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2018年秋、鬼海さんと小栗康平さんと一緒に亀岡や京都の紅葉を観て歩いた。

 

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 昨日、10月19日で、鬼海弘雄さんが亡くなって1年が経つ。

 京都の家の玄関には、鬼海さんから頂いたペルソナの写真2枚が飾られており、うちに来る人のなかには、びっくりして、「自分が一番好きな写真がある!」と叫んだ人もいたし、外国人には、「あなたの祖母か?」と聞かれたりした。

 2年前の秋は、闘病中の鬼海さんの写真展が奈良で行われ、その年の3月頃から始めた抗がん剤治療で髪の毛がすっかりなくなり、やつれ果ては身体であるにもかかわらず、トークのためにご家族とやってきて、元気に語る鬼海さんの姿があった。

 鬼海さんが自分の病が癌だと知ったのは、2年と8ヶ月ほど前だが、体調は、その前から悪かったにもかかわらず、自分の身体をだましだまし、日々を過ごしていた。

 3 年前の秋は、映画監督の小栗康平さんと一緒に京都にやってきて、しばらく私の家に泊まり、亀岡や、京都の神護寺に紅葉を観に行った。神護寺の紅葉を鑑賞した時は、かなりの山道をゆっくりと登っていた。

 

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3年前、京都で、小栗さん、鬼海さんと鼎談を行なった。この時の話題も、ごまかしのない表現についてだった。

 鬼海さんと小栗さんが一緒になる時は、「ごまかしのない表現」という緊張感のある話題で、延々と話が続くことが多かった。

 作品作りに関してはものすごくストイックな二人の話を肴に酒を飲むことの多かった私は、表現というものは、好きか嫌いか、素敵かどうかという評価よりも、ごまかしがあるかどうか、が最も重要な尺度であることを植え付けられた。

 作品だけでなく、レストランの食物も同じ。

 ごまかしのないものには、魂の力がある。

 その魂の力を感受できなくなると、ものの味がわからず、映画や写真を観ても、文学を読んでも、本質がわからなくなる。

 そうなると、人間がわからなくなるし、世界もわからなくなる。

 私の家にいた時、鬼海さんが、少し疲れたので外出はせず(その頃から少しずつ衰えていた)、今日は自分が夕食を作ると言ってくれた。夕食は、カルボナーラのスパゲティ一品だった。

 最初は、えっこれだけ、と思ったが、これまでに食べたことのないもので、茹で加減も、ソースも完璧だった。カルボナーラスパゲティ一品でも、ワインに合わせれば、至福だった。

 コース料理でいろいろ飾り立てなくても、一品の力で十分。これぞ魂の力。鬼海さんは、写真だけでなく料理も、魂の力を帯びたものを作り出していた。

 私が鬼海さんの「TOKYO VIEW」という写真集を、かなりの時間をかけてようやく完成させたのが2016年3月15日で、写真集の購入者には、鬼海さんのオリジナルプリントを、通常よりもお安く提供しようと鬼海さんから提案があった。

 TOKYOVIEW

https://www.kazetabi.jp/%E9%AC%BC%E6%B5%B7%E5%BC%98%E9.../

 しかし、鬼海さんは、写真集が完成した頃から体調がすぐれず、暗室に入れなくなっていた。

 しかし、癌だとは気づかなかった。少し具合がよくなったり悪くなったりの繰り返しだったが、2019年3月頃、突然、電話があり、「癌になっちゃたよ、入院だよ」と。

 リンパ腫だったので手術をすることができず、抗がん剤治療しか方法がなく、治療で身体に負担がかかると家に戻り、また入院するということを繰り返した。

 薬を飲んでいる時の方が辛そうだった。髪の毛は全部抜けて、身体や顔も見違えるようにげっそりやつれていた。それでも意識ははっきりとして、言葉は滑らかだった。病院のベッドの周りには、とてもたくさんの本が積まれ、ノートパソコンもあり、よく私のブログを読んだよと電話してくれて、感想を伝えてくれた。

 2019年の12月末、広尾の赤十字病院に写真家の小池英文さんと一緒に見舞いに行った。その時、それまで撮っていたピンホール写真を見せた。

 少し感想を聞ければと思っていただけなのに、突然、「佐伯さん、本にまとめろ」と言われ、びっくりした。鬼海さんの本作りのペースからすると、もう少しじっくりと時間をかけるものだと弁えていたので、「あと4、5年は撮って、それからでしょ。」と答えると、「ダメだよ、今すぐじゃないと。もう十分だよ。今やらないと、後から整理できなくなるよ」と言われた。

 小池さんと駅前の店で一杯やりながら、「鬼海さんのあの言葉、なんだったんだろうね」みたいなやりとりをしながら、戸惑いあり、本気でやろうという気になれなかった。

 年が明けて、正月となり、新年の誓いを立てようと思った時、鬼海さんのあの時の言葉を思い出した。

 じゃあ、今年は本づくりをするかと決めて、すぐに取り掛かった。その後も鬼海さんの症状は少しずつ悪くなっていったので、どうせ作るのならば鬼海さんが元気なうちにと集中力が増し、連日、朝から晩まで取り組み、2020年3月末には完成した。やり始めてから、3ヶ月、かからなかった。

 すぐに鬼海さんに送ると、しばらく経って、じっくりと読んだよと感想を伝えてくれ、褒めてくれた。

 鬼海さんが背中を押してくれたから、Sacred worldを一年に一冊作ると決めた。

 鬼海さんは、2020年の6月か7月くらいまでは意識もはっきりしていて本も読めたが、その後はきつくなってしまったとご家族から聞いた。

 Sacred world 日本の古層は、あの時、鬼海さんが言ってくれなかったら、たぶん、まだ本になっていなかった。そして、本にすることによって、新たに見えてくるものも多かったので、本当に大きなきっかけをいただいた。

 今、家の中に鬼海さんの写真を飾っているので、ほぼ毎日、鬼海さんの眼差しを感じる。

 あらためて思うのは、作品から作者の眼差しとか心の姿勢がはっきりと感じられる写真って、あるようで、そんなにはない。

 鬼海さんの写真は、それが強くある。さらに、鬼海さんの写真は、その写真が撮られる前の時間も、伝わってくる。シャッターを構えていない時の、何かを待っている時の気配のようなものも。

 鬼海さんの写真って、構図がいいとか、センスがいいとか、そういう表面的なことではなく、作品と、作品を見ている自分とのあいだに、通いあうものがあり、それは、鬼海さんと鑑賞者のあいだで、作品を介して、魂が通いあっているということなんだろう。それがあるから、人が死んだ後も、作品は永遠なのだと思う。

 鬼海さんは、写真家の良心という言葉が一番ぴったりとくる写真家だ。

 自分本位で撮る写真って、対象を材料にして、自己表現のために対象を損なって自己満足に浸っている。

 鬼海さんの写真は、自己表現ではなく、他者表現。人であれ街であれ、対象の中に潜んでいる本当を引き出す写真。

 コロナ禍で人が消えた街を撮って、人がいない街は何もないに等しいかのように語る人もいるけれど、鬼海さんが撮る街はそうではなかった。人が写っていなくても、人の営みの気配があった。

 表面的な現象を追う人は、そこに現象がなければ何もないと思う。

 しかし鬼海さんは、表面の現象ではなく、内実を見ていた。

 内実と響き合わなければシャッターを押さない鬼海さんは、内実のあるものを探して、歩き回っていた。

 内実とは、本当のところはどうなのか、を伝えてくるもの。

 だから、シャッターを切っても、本当のところはどうなのか、が伝わってこない場合、鬼海さんは、「写っていない」という言い方をした。

 鬼海さんの口癖は、「カメラで撮っても、めったに写らないもんだよ」。

 シャッターを切ればそこに何か像が写っていると思っている人は、現象だけを見てそう判断しているだけで、本当のところはどうなのか? ということを、あまり考えていない。

 本当のところはどうなのか?ということを写真家が問わずに写真を量産してしまうと、嘘ばっかりが撒き散らされることになる。

 にもかかわらず、本当のところはどうなのか?ということを考えない写真評論家が、写っている現象の新しさだけを見て新しい写真だと理屈付けて褒めて、その言葉がメディアで拡散すると、何が本当で、何がそうでないか、さっぱりわからなくなってしまう。

 そういうことをしなかった鬼海さんは、写真家の良心という言葉が一番ふさわしい写真家だと思う。 

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 この写真は去年の4月26日、コロナ禍福で非常事態宣言が出ている時、家の前の河原で撮った写真だけれど、これを見た鬼海弘雄さんが電話をくれて褒めてくれた。

 その時、鬼海さんは、広尾の赤十字病院にいた。この頃は、頻繁に病院から電話をくれて、自分のことより、世の中のことや、未来のことや、私がやるべきこと、などを話してくれた。

 人が「命の大切さ」と言う時、それは、自分の中にある「いのち」のことを指していて、私たちが、「いのち」の中にあるということが、あまり意識されていない。

 そして、人が「しあわせ」を語ったり、問う時は、自分が獲得している境遇や諸条件にそって語ったり、問うたり、時には訴えたり主張したりする。「誰しもしあわせになる権利がある」と。

 鬼海さんは、自分の内ではなく、自分の外に「しあわせ」や「いのち」の種を見つけるのが得意だった。

 鬼海さんは、自分の「しあわせ」や「いのち」よりも、「しあわせ」や「いのち」が漂う空間に触れることが好きで、その方がはるかに重要だった。

 だから癌が進行している時も、本音かどうかわからないけれど、「別に死ぬのは怖くないですよ、この年ですから」と言い、病院のベッドの上で、気晴らしのものを読むのではなく、主に文学の本を読んでいた。

 鬼海さんにとって文学は、人の「しあわせ」や「いのち」を自分ごとに引き寄せるための作法で、本が読めなくなるまで、それを当たり前のこととして行っていた。

 

 

ピンホールカメラで撮った日本の聖域と、日本の歴史の考察。

2021年7月5日発行  sacerd world 日本の古層 vol.2   ホームページで販売中

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