第1370回 馴れについて。

”馴れ”というのは、人間の可能性につながることかもしれないし、逆に、人間を損なう原因になるかもしれない。

 今年に入って今回で10回目、6時間ほどのワークショップセミナーを、毎回二日続けていて、第3回目くらいまでは、けっこう疲れて喉も痛くなり、終わった後は何もしたくないって感じだったけれど、最近は、ほとんど疲れを感じなくなった。

 同じことを繰り返すと、人間には耐性がつくけれど、惰性に陥る可能性もある。

 そのことを弁えたうえで、あえて、自分に負荷をかけておくことが大事なことのように思う。身体トレーニングを習慣に取り入れている人は、そんなこと当たり前のことだろうが。

 身体は、自分に起きている状況を判断しやすいかもしれないが、感覚は、耐性がついているのか、惰性に陥っているのか、無自覚になっているケースが多い。(身体も、ドラッグをはじめ依存系は同じだろうが)

 そのことに関して、私は、自分自身の感覚に対して、意識的に注意をはらってきた。意識的というより、生理的に、アンテナを鈍らせないように。

 感覚頼りで生きているプロフェッショナルは、長年の経験で、そのことを弁えていて、たとえば古くから骨董屋を営んでいる家は、後継者となる子供が幼い時から、「本当にいい物」しか見せないと聞いたことがある。本物と偽物を見分ける目を身につけるために、いろいろな物をたくさん見る必要があると、多くの人は分別臭く言うのだけれど、本物だけと接し続けていれば、偽物が紛れ込んだ時に、瞬時に”気配”を察知できるのだと言う。本物と偽物を並べて、どこがどうのこうのと分析して分別くさく判断するのではなく、瞬時に察知できるからこそ、騙されない。

 この摂理は、様々な表現分野においても同じだろう。現在は、あれこれ分析して分別くさく論じることを商売にしている人が多すぎて、「そうなのかなあ」と、自分の生理感覚ではよくわかっていないのに、価値あるものだと思わされているものが、どれだけ多いことか。

 現代アート寄りになっている写真などの大半はそうだ。そして、時代に遅れまいとして、そういうものばかり見ていると、本質がよくわからなくなってしまう。

 そうならないためには、骨董屋の後継者を育てる方法が一番だろう。

 流行りすたりの波の影響をまったく受けず、歳月を超えて、「気になる何か」を強く醸し出し続けているものが本物だ。

 重要なポイントは、スキ、とか、イイネとか、簡単に言い切れない何かがあるもの。

 スキ、とか、イイネという感覚は、今の自分の感覚の範囲内の反応で、そういう反応をいくら繰り返しても、今の自分の領域は広がっていかず、自分の未来を拓く力にならない。

 モナリザの絵の前に立って、「これ、私は好きだなあ」とか、簡単に言える人はあまりいない。

 キレイとも、イイねとも言い切れない、怪しい何か。なんなんだこれは、という感覚は、何度も見ても、消えることはない。

 ベラスケスやカラバッジョにしても、レンブラントの晩年にしても同じ。

 広告に使っても違和感のないモダニズム系の写真には、簡単に、ステキとかイイねと言えても、それは、モダニズム(近代合理主義)の価値観にどっぷり侵されている自分に無自覚なだけで、ダイアンアーバスの写真は、何か気になる感覚が尾を引くことがあっても、簡単に、いいねとは言えない。

 今年の春、東京の写真美術館でやっていた深瀬昌久の写真展にしても、いいね!と言いやすいものが揃えられてしまっていて、一番肝心な「父の記憶」の写真が、ごっそり抜け落ちていた。

 写真のセレクトに関わった人の問題であり、情報を世に流す役割の仕事に携わっている人に、こういうケースが、現代社会では非常に多い。残念ながら「違いのわかる人」は採用されない。だから、情報を受け取る側も、違いがわかるようにはなりにくい。

 気になり続ける余韻の深さや長さは、人間の潜在意識への反応と関わっているはずで、その領域のセンサーを高めることが、情報社会の中で生きる特殊な生物である人間にとっては、重要な生存力ということにもなる。

 それは、別のことばでいうと、裏に隠れたものを読み取る力であり、文章でいえば、文脈を読むということになる。

 含みがなく文脈が浅いハウツー文章ばかりに馴れていると、フェイクニュースに騙されやすくなるかもしれないし、人と付き合う時に、相手が身につけているブランド記号(ファッションだけでなく肩書きその他もある)ばかり見ていると、結婚詐欺に遭う確率が高くなるかもしれない。

 オレオレ詐欺など、詐欺の種類も多様になっているようで、もちろん、犯罪者が悪いのは当たり前だけれど、簡単に騙されてしまわないようにするための警戒が、「注意を呼びかける」という程度のものではダメだ。ケーススタディを伝えて、それに対する備えをするだけでは、敵も策を変えてくるだけだから。

 けっきょくのところ、物事の裏を洞察できるかどうか、ということに尽きるのだけれど、一朝一夕にできることではなく、骨董屋の後継が、ひたすら「本物」ばかりを見続けることによって、真贋を見分ける目を養うような時間のかけ方が必要になる。

 そんなの誰にでもできることでない、と声をあげるのは、人それぞれの勝手であり、自分の生理感覚は、自分で守るしかない。

 現代は、食材だけでなく、情報も、添加物だらけ。

 それに馴れてしまうと、味覚が損なわれるのは自然なこと。

 できるだけ調味料を使わず食べ続けるということに慣れると、食材の違いがわかるようになる。

 自分を、何に馴れるかによって、自分が生きている世界の奥行きや領域が変わってくる。

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ワークショップセミナーの第11回目を、 10月14日(土)、10月15日(日)の両日(それぞれ1日で完結)、東京にて、午後12時半〜午後5時にかけて行います。 

 詳細、ご参加のお申し込みは、こちらをご覧ください。 

 

https://www.kazetabi.jp/%E9%A2%A8%E5%A4%A9%E5%A1%BE-%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%83%E3%83%97-%E3%82%BB%E3%83%9F%E3%83%8A%E3%83%BC/

 

両日とも、10名限定。

場所:かぜたび舎(東京)

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