TPPの背後を、別の角度から考えてみる。

 7月23日のNHKニュースウォッチで、現在行なわれているTPP交渉について、日本の守りは農業、攻めは自動車、家電だと説明があった。
http://datazoo.jp/n/TPP%E4%BA%A4%E6%B8%89+%E6%94%BB%E3%82%81%E3%81%A8%E5%AE%88%E3%82%8A/7543333

 一般的な通念では、日本は家電や自動車の輸出産業で国が支えられており、農業は食料自給率を下げないために政府が保護し続けているというイメージがあるので、何の疑問もなく、こうした説明を受け入れてしまう人は多い。
 しかし、本当にそうなのだろうか。
 以前にも書いたけれど、自動車や家電の輸出が日本のGDPに占める割合は、人々が考えているほど高くない。
 日本の輸出の75%は、自動車や家電など個人向けの耐久消費財ではなく、企業向けの資本財や工業用原料だ。アップルのiphoneや次世代旅客機のボーイングB787の部品の約三分の一を日本製が占めていることはよく知られている。 
 ましてや、TPP交渉は、10年後に関税をゼロにすることを目標にしているのだが、現在、急激に衰退しつつある日本の家電製品が、10年後、日本の経済を左右する主力産業だとは思えない。

 それはともかく、TPP交渉に参加している国々の経済状況を見ると、日本に比べて遥かに輸出依存度が高い。日本は貿易立国であるというイメージが強いが、完全に内需国であることがわかる。

 http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/world_data/ex_inport_CIA.htm

 シンガポールは、164.9%で、以下、ブルネイ72.6、マレーシア75.4、ベトナム61.6、チリ32.5、メキシコ25.8、ニュージーランド24.0、カナダ22.6、ペルー18.1、オーストラリア17.6、そして日本が10.4で、アメリカが7.0。
 もちろん、日本やアメリカ以外の国は経済規模が小さいので、輸出額ということになると、アメリカと日本が多い。しかし、他のTPP参加国に比べて、日本の企業が、貿易ではなく自国向けに生産活動をしている割合が高いということは事実だ。
 それと、データーとして興味深いのがもう一つある。
 日本同様、輸出依存度の低いアメリカであるが、その輸出の三分の一を、特許、保険、金融,医療などのサービス貿易が占めていることだ。そして、車や機械製品や食料などにおいては、輸出よりも輸入が多いが、サービス貿易では、輸出量が圧倒的に大きい。
 http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/Economy_of_the_US/16.html
 アメリカは、クリントン政権の頃から、国家の戦略として、米や牛肉を輸出することよりも、サービス貿易の輸出に力を入れてきたのだ。
 この状況の中で、昨日、日本郵政アフラックが提携し、アフラック癌保険を全国の郵便局で販売するということが発表された。http://sankei.jp.msn.com/economy/news/130726/biz13072617320009-n1.htm
 
 菅義偉官房長官は、この提携とTPP交渉との関係について、「特別関係があるとは承知していない」と言い、メディア等に登場する専門家は、「TPP交渉のための米への配慮」と述べている。
 しかし、私は、これじたいが、TPP交渉の本筋であり、官房長官が言うようにTPPと無関係ということはあり得ないし、専門家の言う配慮という程度の問題ではないのだろうと思う。
 TPP交渉において、日本とアメリカの間では、日本が米を守りたく、アメリカは自動車を守りたいと伝えられる。しかし、おそらくこの二つは、最初から落としどころが決まっているのではないか。事前会議で日本はアメリカの主張を認め、自動車分野では、アメリカの関税撤廃を最大限、後ろ倒しすることで合意した。

 農業においては、日本は農家を関税で守って来た。農家を支援する補助金の原資は、輸入農産物にかける関税だから、農産物の関税を撤廃すると補助金の原資もなくなるし、輸入品との競争にもさらされるわけで、壊滅的なことになる。だから、こちらは”守る”という形をとらざるを得ない

 それにかわって何を与えるかということになると、やはり保険などのサービス貿易ということになるのではないだろうか。

 サービス貿易について、アメリカは攻めたい。それに対して、日本はどうなのだろう。

 郵便局でアフラック癌保険を販売し、さらに保険商品を共同開発し、日本政府が100%出資する日本郵政にも利益が出るようにし、それを政府の財源にする構造となっている。
 つまり、アメリカの圧力に屈したというより、日本政府もそれを望んでいると考えることはできないだろうか。

 話は変わるが、小泉首相時代に、構造改革を行い、巨額の財政赤字を減らそうと試みた。
 しかし、社会保障に手をつけようとして反発を受け、頓挫した。
 日本の歳出における社会保障の占める割合は、約30%にもなる。金額にすると約27兆円。しかも、高齢化によって、毎年、一兆円ずつ増加している。
 http://www.mof.go.jp/gallery/20110306.htm
 そして、歳入は、税収が僅か42兆円ほどしかない。それ以外は借金だ。税収のうち、所得税が14兆円弱、法人税が8兆円弱、消費税が10兆円、たばこや酒その他が10兆円弱。
 社会保険以外の歳出は、公共事業6兆円、防衛5兆円、文教・科学が6兆円ほどで、社会保障の27兆円には遠く及ばない。
 税収が42兆円しかないのに、社会保障の費用が27兆円もあるのだ。そして、結果として毎年、借金が40兆円以上。単純に計算すると、消費税を25%にして内需が減らなければ、借金を無しにできる。景気がよくなって法人税が6倍に増えれば借金がなくなる。しかし、税収は今の水準のままで、公共事業や防衛費をゼロにしても、毎年30兆円の借金が出る。
 となると、財政改革の為には、大幅な増税と、27兆円にふくれあがった社会保障に手を付けるしかないということになる。しかも、社会保障について、私達は、毎月の給与から社会保険料や年金としてかなりの金額をさしひかれている。多くの場合、所得税よりも多い金額が引かれ、さらに、社員を雇用している企業は、同じ金額を負担させられている。このようにして集められた金額は、税収よりも多い60兆円強。しかし、それでも足りないので国および地方の税金が投入され、総額は110兆円にもなる。そのうち年金のためにかかるお金が53.8兆円で、医療が35.1兆円、介護福祉その他が20.6兆円ということになる。
http://www.gov-online.go.jp/tokusyu/201208/naze/syakaihosyo.html
 公共事業のなかにも問題はあるが、公共事業の10倍のお金が、現在、年金を受け取っている人のために使われ、6倍のお金が医療に使われているのだ。
 年金や社会保険料所得税を払いながら、ほとんど病院もいかず、年金も受け取っていない人からすれば、いくら人を支えるためのお金とはいえ、一体何なのだということになる。
 すなわち、使われているお金の規模からいうと、日本は超福祉国家ということになる。お金の使われ方に大いに問題があるにしても。
 いずれにしろ、政府としては、この27兆円を何とかしなければならない。もしも、一人ひとりが支払っている保険料の範疇(総額で60兆円ほど)で保障がなされるようになると、税金を投入する必要はなくなる。それには、国が管理する社会保障ではなく、アメリカのように民間の保険会社と個人の契約による保障にして、その上で、セーフティネットを構築し直すしかないと考える優秀な官僚がいても不思議でないだろう。
 しかし、政府主導で社会保障に手を出そうとすると、野党に攻撃の口実を与え、国民の人気を失い、他にやりたいこと(たとえば憲法改正など)が、やりにくくなる。
 だから、直接はやらない。
 どうするかというと、たとえば農業と交換条件のような演出で、外資に国内の保険サービスなどの門戸を開き、国内企業と競争をさせ、国家主導の社会保障に変わる仕組みを国内に少しずつ根付かせていくのだ。
 日本という国は、自らの力では、なかなか改革の進まない国だが、外圧があると、短期間のうちに、全てを変えてしまう。明治維新もそうだったし、先の戦争の後もそうだった。
 農業と自動車・家電との駆け引きというのは、出来レースの目くらましであり、その背景では別の戦略がよこたわっている。その構想は、日米の政府間ではコンセンサスがとれているが、国民の納得できるストーリーが必要だ。

 外資参入によって、国内で様々な保険の保障の仕組みを築き上げたうえで、大幅な増税か、もしくは社会保障を国頼みにするのではなく民間の保険会社の取り扱いにするのか国民に迫るということが、行なわれるのではないか。

 日本のような社会保障制度のないアメリカにおいては、日本とは逆の流れがあり、国民の6人に1人が民間の医療保険に入らず、高額な医療費を払えずに破産するケースも多くあった。その為、2010年、オバマ大統領は選挙公約を実現する形で医療保険改革法を成立させた。しかし、それは、現在の日本のように、住民から保険料を強制的に徴収することにもなるわけだから、強い反発を受けてしまった。

 日本においても、現在のような強制的な社会保険ではなく、自由に選べた方がいいという考えの人も多くいるだろう。年金もまた同じだ。だから国民投票のような形をとると、案外、そのようになってしまう可能性もある。

 今、政府が行なっていることは、いずれ国民に真意を問うための準備作りではないか。

 TPPに参加し、外圧という大義名分を上手に使いながら、社会保障という聖域にメスを入れようとしているというのは、私の妄想にすぎないのだろうか。