2013年7月 参院選後に思うこと

 このたびの参議院選挙は、投票率が51%だった。二人に一人しか投票していないわけだが、自民党が圧勝した。
 組織票は別として、真面目に選挙に行き、自民党に投票した人達の心理は、だいたい予測できる。今までずっと停滞気味だった日本国内の経済が、少し活気づいているような気がするので、今の政策を推し進めていけばどうなるのか、もっと見てみたいという心境があるだろう。また、震災後の民主党の政策には大いに失望しており、他の政党にも魅力を感じられないという人が大半だろう。
 自民党が宣伝文句として多用していた”ねじれ解消”という言葉が利いた人もいると思う。
 震災後、日本社会が早急に立ち直らなければならない時に、決めるべきことが簡単に決まらないという状況を見て、政治が機能していないと感じた人も多かったのかもしれない。
 小泉政権の時もそうだったが、これだけ政治に期待しずらい状況でも真面目に選挙に行く人々は、変化を求めている。日本の政治や経済は、色々と問題があるにしても、他国に比べれば比較的安定して続いてきたが、同時に、じわじわと蝕まれているという感覚も大いにあり、この状況に鋭いメスを入れる政治を求める気持ちは、かなり強い。
 この半年間、安倍政権が行なってきたことは、金融緩和の一点であり、日銀に国債金融商品を買わせることによって、金融市場に刺激を与え、買い支え、好況感を作り出している。それは実態のないものかもしれないけれど、ムードが人の気持ちを変え、気持ちが変わることで実際の経済も変わる可能性に、人々は賭けている。
 金利を下げることで社会に流通するお金の量を増やすという政策は、バブル崩壊後、長年やり続けてきて、もはやこれ以上金利を下げることはできず、日銀が直接国債を購入したり金融商品を購入するという荒療法を行なっているわけだが、それが、このたびの選挙の自民党支持者には、蝕まれている日本社会に入れるべきメスに思えたのだろう。
 身体が疲れたらすぐにビタミン剤を飲み、風邪をひけばすぐに薬を飲み、どこか悪いところがあれば手術で切り取る。こうした性急な対症療法は社会の常識になってしまっており、政治に対しても同じことを求めている人は多い。
 しかし、ビタミン剤に頼り始めると、多くの場合、他のビタミン剤が必要になり、次々と別種類のビタミン剤を購入し、さらに栄養を身体に効率よく吸収させるための消化酵素まで買うという状況になる。ビタミン剤などに依存するようになると、食物を分解して様々な栄養素を吸収するという身体本来の機能が、発揮できなくなってしまうからだ。
 その場凌ぎの措置を講ずれば、その瞬間だけ楽になるが、それも長続きせず、すぐに以前よりも悪い状況が生じる。そうなると、さらに強くて効果がありそうな薬に手を出さざるを得ない。
 政治というものが、ビタミン剤と同じような、その場の効果効能で判断されるような状況になっており、ビタミン剤を服用することと同様、それじたいを疑う人は少なくなっている。
 そして、政府は、ビタミン剤の一つとして、日銀を使った。お金を発行する権限を持つ日銀じたいが、政府の要望に応えて国債を買ったり金融商品を買えば、当然ながら、その瞬間、金融市場は活性化する。その後に出てくる弊害を、今は誰も正確に予測できない。
 しかし、日銀は、太平洋戦争下に制定された日本銀行法で、「国家経済総力の適切なる発揮を図るため国家の政策に即し通貨の調節、金融の調節及び信用制度の保持育成に任ずる」、「専ら国家目的の達成を使命として運営せらしむる」機関として位置づけられていたものを、それに対する反省で、現在では政府から独立した法人として「物価の安定」と「金融システムの安定」という二つの目的を行なう存在に修正されている筈だ。にもかかわらず、国家の非常事態という大義名分のもと、太平洋戦争時と同様、国家の政策に即して通過の調節を行なうことが正当化され、そのことを多くの人は、当然のことのように受け入れてしまっている。
 この流れは、とても不気味だ。もしも、現在の日銀の政策の効果が長続きせず、何かしらの弊害が顕在化してきた時、現在の政策を反省するのではなく、さらに別の強引な政策が国家の非常事態という大義名分のもと正当化され、国民の多くも、今と同じように対症療法の即効薬を求める心理が勝り、やむを得ないと受け入れる可能性が高い。それは、ビタミン剤に依存し、その弊害が出た時に、ビタミン剤に手を出したことを反省して自分の生活習慣を根本的に改めるのではなく、別の薬に手を出す心理と同じだ。
 ビタミン剤にしろ消化酵素にしろ、身体に必要なものであるゆえ、それを外から補うことで健康になるという、科学的装いの詭弁を聞き、納得してしまう人が多いが、人間は、自らの体内の化学反応によって必要なものを作り出す力を備えているからこそ、これまで生き続けてきたのだ。 

 科学的装いの詭弁に騙されやすい人が多い現代社会においては、人間本来の力を減退させ依存体質にしてしまうことで儲かるビジネスモデルを構築している人達が大勢いる。考える力を減退させ、刹那的な癒しや娯楽や安直な解答を求める体質にすることで儲けるビジネスモデルを構築しているメディアなどもそうだろう。

 わかりやすい即効薬を提示するだけで、すぐに納得して購入してくれる客が大勢いれば、商売は楽だ。政治もまた、現代の商売手法と同じ類のものになっている。
 国家の政策に即して日銀を使うというカードの次にくるカードは、一体なんだろう。政治は数で決まってしまう。そのカードにすぐに飛びつく人間が大勢いると、いくら警鐘をならしたところで、その声は掻き消されてしまう。

 風の旅人の次号で、志村ふくみさんをインタビューするので、経歴を少し詳しく見ていて、驚いたことがある。
 志村さんは、1926年、2歳の時、親元を離れて叔父のところに養女に出されるのだが、志村さんの実の父母は、ふくみさんを養女に出した年に、近江八幡に昭和学園という私学を創設した。その理由が、当時の画一的な教育に対して、教育とはそういうものでないと真剣に考えたためだ。昭和学園において、生徒は、学習だけでなく、労働作業、家畜の飼育、陶芸、版画、彫塑、染色など行なっていた。志村さん自身も、16歳の時、文化学院に入学する。文化学院は、西村伊作与謝野晶子与謝野鉄幹石井柏亭らによって創設され、「国の学校令によらない自由で独創的な学校」という新しい教育を掲げ、「小さくても善いものを」「感性豊かな人間を育てる」などを狙いとした教育を行なっていた。しかし、後に、軍部が国の方針に合わないとして、学校を強制閉鎖した。
 先の戦争前、日本人はこぞって国家主義に染まり戦争に向かってまっしぐらだったかのように思ってしまっている人もいるが、1920年代は、軍備増強に反対する平和運動も盛んで、国家主義的な教育を非難して私学を創設する人も、けっこういたのだ。当時、問題意識を持っている人達の考え方や行動は、今とそんなに変わらないかもしれない。
 にもかかわらず、それから僅か10年〜15年ほどで、日本国中が戦争一色に染まり、反対するものは拘禁され、拷問を受け、処刑されるという事態となった。
 数の論理でいったん流れができてしまうと、数の少ないものは無視され、やがて邪魔ものとして弾圧され、消され、けっきょく全体が一色に染まる。そうなるまでに、実は、そんなに時間はかからない。
 1920年代頃〜1941年の太平洋戦争開戦の時まで、関東大震災ウォール街の恐慌があり、社会が混乱するなかで、少しずつ軍部が力を強めていった。
 10年とか20年なんてあっという間だ。私が65歳になる頃には、国民の半分が65歳以上になっている。このままいくと、日本が、かなり苦しい状況に陥ることは目に見えている。その混乱の苦しみの中で、より即効性がありそうな強い薬を求める心理が働くと、いったいどういうことになるのか。即効薬への依存症が強まり、今以上に焦れやすくなり、性急な解決を求めて行動すると、いったいどうなるのか。
 車の販売台数が伸びたり、百貨店での高級品の販売が増えたり、夜の銀座でお金を使う人が多くなると、景気上昇の兆しなどと報道されることがあるが、もう一度バブルの頃に戻りたいのだろうか。バブルがくれば、やがて崩壊することは歴史の常。そうしたバロメーターを使うかぎり、同じことが繰り返され、そのダメージは、より強まっていく。人間が自らを蝕んでいく時は、だいたいいつもそうだ。