生きていくうえでの強靭さについて

 一昨日、北星学園余市高等学校のイベントに参加して、少し話しをする機会を与えられた。

 北星学園余市高校は、10年ほど前、『ヤンキー母校に帰る」というテレビドラマでも話題になった学校で、一般の学校で不登校になったり退学処分を受けたり、様々な理由でうまく適応できなかった少年少女が、全国から集まって、寮生活をしながら学園生活を送っている。

 私も、ドロップアウトを繰り返しながら、あまり一般的でない人生を歩んできたのだけど、そういう理由で呼ばれたわけではない。私などより、社会の一般的なレールを外れて大成功を収めている人間は他にも大勢いるから。

 そもそも私は、成功者が、結果から原因を辿るように、好きなことを一生懸命にやったから成功したとか、思い切ってレールを踏み外したから今の自分があるのだと威張れるほどの、人に誇れるような成功を成し遂げていない。

 今だって宙ぶらりんの状態で、何とかバランスをとりながら、風の旅人を制作したり、食うための他の仕事をしたりしている。

 私が話せることは成功体験ではない。そして、私は、大学教授や評論家などのように、世の中を分析することを仕事にして糧を得ているわけでもない。しかし、そんな私でも、世の中を洞察することはできる。その洞察が正しいか間違っているかはわからない。しかし、自分が洞察していることを、ただ頭の中にとどめているだけでは、それは洞察とは言えない。洞察力や想像力というのは、頭の中で妄想しているだけではなく、そのイメージを形にしたり、行動に結びつける力なのだから。

 私は、若い頃から、自分の思っていることを実際の行動にしなければ、ものすごく自己嫌悪に陥るところがあった。それは一種の強迫観念であり、その為、動かなければ失わずにすんだものを、多く失ったかもしれない。

 でも幸いに、失ったことについて後悔の気持ちが湧いたことはない。たぶん、メンタルの質として、動くことで生じた結果よりも、思っているのに動かないままでいることに対して悔いる気持ちが強くなるようにできているのだろう。というより、思い切って動いた方が、面白い展開につながっている。動かなければ出会わなかった人にも出会えている。もちろん、動いたことで失ったものや出会えなかったこともあるかもしれないが、そんなことを、いちいち考えたこともない。

 そういう風に生きてきた自分が身につけてきた特性として何があるのかと考えると、それは、生きていくうえでの”強靭さ”ではないかと思う。

 ”強靭さ”というと、強い精神や体力を持ったマッチョな存在を連想する人が多いが、実際はそんなに単純なものではない。強靭とは、破壊に耐え得る硬さと粘りの両方を備えること。

 どんな環境下においても試練はあり、その試練の前に、我々はいつも粉砕されてしまいそうになる。そして、それを恐れ、安全そうに見える組織など砦の中に入ろうとする。しかし、外から身を守る砦の中にも、個を壊そうとする様々な圧力や衝突がある。

 砦の中であろうが外であろうが、本当はどこにも逃げ場はない。むしろ、砦の中にこもりすぎて、自らの強靭さを鍛えないことの方が、壊されてしまう危険は大きいとさえ言える。

 ならば、破壊に耐え得る硬さと粘りとは、どういうものか。

 それは、私の考えでは、簡単に人の要求どおりにはならないということと、やたらに人に反発しないということ。簡単に迎合しないし、染まらないし、といって自分が決めたことだからといって意固地になって執着したりしない。

 方向性としては譲れないものがあるが、その方向に向かっていくためには、多少の遠回りも厭わない。目の前に大きな壁があっても、それを乗りこえるのは無理だと決めつけて絶望してしまうのではなく、やり方次第で向こう側に抜ける道があるかもしれないと考える。仮に抜け道がないとわかっても、また振り出しに戻ればいいと考える。

 私は、20歳の時、英語もロクにできないのに、海外でヒッチハイクを試みながら旅をしていた。その経験は、自分にとって、とてもかけがえのないものになっているように思う。

 たとえば、最初に自分が決めた目的地が、たびたびドライバーの行き先によって変わる。そして、その方がよいことの方が多かった。自分が決めた目的地は、自分が持っている限られた知識や情報に基づいており、それを上回るものは幾らでもあり、それに従った方がいいケースは多い。

 また、ヒッチハイクをしていても車は簡単に止まってくれない。場合によっては何時間も立ち続けて合図を送り続けなければならない。そして、今日は一歩も前に進まないのではないかと不安になる。しかし、そのように待ち続けていると、必ず止まってくれる人が現れる。そして、紙一重の偶然が重なり、うまく乗り継いで次の町に辿りつける。なんとかなるもんだなあと思う。

 何よりも、車が止まらず4時間も5時間も炎天下で立ち続けて、空腹に堪え兼ねて、ポケットに突っ込んでいる人参を齧るということを繰り返しても、それが惨めなことだと思わず、生きている実感のようなものが込み上げてくるマインド状態になる。トラブルや、野宿や、通常はネガティブに受け止められるようなことが少し快感になってくる。つまり、人間は、困難に直面した時に簡単に壊れてしまわないように、ホルモンの快感物質が出るようにできているらしいのだ。

 困難になればなるほど、どうやら体内に快感物質が出るらしいと身を持って知る事は、もしかしたら、生きていくうえでの強靭さにもっともつながることかもしれない。

 困難の中にいる時の自分は、今の安穏とした状態の自分ではなく、別の存在になって困難と闘うのだとあらかじめ知っていれば、必要以上に困難を恐れることはないだろう。

 困難は、快感物質が出ている当人にとっては、けっこう楽しい状態なのだ。自分が自分でいられる自由な感覚は、困難さの中で快感物質が出ている、ちょっと興奮した状態にある時なのではないか。

 私は、子供が社会に出ていく前に一番身につけてほしいのは、困難に際してうまく快感物質が出るような心身の状態だ。それこそが、生きる上での強靭さにつながる重要な体質。

 この体質は、そうした体験を繰り返すことで、自然と身に付いていくものだと思う。

 だから、中学校や高校で、受験を重視するあまり様々な学校活動に費やす時間を減少させることは、間違っていると思う。

 受験も一つの困難であるから、それに向かって自分を追い込むことは決して悪いことではない。しかし問題は、受験の結果が人生を決定してしまうかのような強迫観念だ。

 困難の時の快感物質は、「何とかなるさ」という感覚に通じるものがあるのに、受験の結果が人生を決定するという強迫観念は、それと矛盾している。しかも、学校のテストは、やり方次第で正解になるという類のものではなく、正解を頭ごなしに決めてしまっている。だから、現在の受験制度においては、快感物質があまり出ない。困難な状況に陥っていながら、快感物質が出ない状態ほど辛いものはない。

 仲間と一緒に何かを作り上げていく体験や、正しい答えが一つではなく、色々なアプローチが可能な研究発表などの方が、快感物質が出る回路を増やすだろう。

 自分で頑張ったことだけでなく、仲間と一緒に頑張ることができたという体験があれば、後の人生で自分が困難にぶちあたった時、あの時の仲間もきっと今、様々な試練があるだろうが、きっと頑張っている筈だと思える。また自分が苦労して頑張っていた時、見守ってくれた先生がいて、先生の思いに少しでも応えたいという気持ちになる。そのような精神状態に自分を持っていければ、困難の中で、快感物質を出しながら頑張ることができる。

 実際に、北星学園余市高等学校のイベントにおいて、3名の卒業生のスピーチが、そうした内容だったので、とても感激した。

 その3名は、中学校を卒業して、一般の高校に進学したものの登校拒否になったり、退学処分になり、紆余曲折を経て北星学園余市高等学校に通うことになり、卒業し、今もまた色々な局面で苦労しながら生きている。卒業して有名な企業に就職したとか、資格をとって安定した職についているとか、そういう絵に描いたような成功例ではないけれど、一人ひとりが自分の中にしっかりとした軸を持って生きている。その軸は、とても強靭であり、北星学園余市高等学校で育まれたものだ。

 いくら運良く有名企業に入ることができても、軸が脆ければ、ちょっとした試練で落ち込み、挫折してしまうかもしれない。ましてや今という時代は、昔と違い、大企業に入社すれば一生安泰という状況ではないのだ。

 安定した職業といわれるものも、今のように変化の激しい時代において、三年後にはどうなっているかわからない。その職業じたいがなくなってしまうかもしれない。資格さえ持っていれば安心というわけではない。大きな変化があって、今までの仕事のやり方が通用しなくなる時がくるかもしれない。大事なのは、それまでやってきたこどが無駄に感じられるような事態になった瞬間からどう生きるかなのだ。

 現在、進学競争の問題が色々と指摘されるようになり、子供達に「やりたいことを見つけさせる」などと言い、職業体験や職場体験をさせ、それを通じてなりたい職業を探すという動きが広がってきている。また、それに対して、職業を決めつけるのではなく、福祉に関する仕事をしたいとか、漠然とでもいいから子供が方向性を見つけられるような機会を設けることが、進路教育では大事だという考えもある。

 どれも一理あるが、そんなことより、人生80年という時代の中で、最初の20年間で方向性も含めて全てを決める必要はないという風潮が、もっと社会の中に広がればいいのにと思う。

 イベントでスピーチを行なった三名の卒業生も、20代に様々な経験をしている。そして、それらの経験の中で、色々な人と出会い、自分で考え、自分の進路を修正していっている。おそらく、今後もまた、そのように自分の人生を修正しながら生きていくだろう。それでいいじゃないか。

 私のまわりでも、色々な経験や知識を積み重ねながら、社会の枠組みでは人にうまく説明できないような仕事をしながら、そこで豊かな人間関係を育み、生き生きと活動している30歳前後の若い友人がけっこういる。彼らは、職業の枠組みにおさまる人生を選択しているのではなく、自分が少しずつ作り上げていく人間関係などを土台にした場から、次の進路を自然に生み出していくように思える。

 私自身もそうだが、20歳の時点で今の自分がやっているようなことは、まったく予想していなかった。私は、編集者や編集長になりたいと思ったことは一度もないし、今もそう思っていないし、この仕事をするための訓練を受けたわけでもない。風の旅人を立ち上げた時点から、全て自己流であり、編集経験無しに編集長になって今に至る。その間、編集だけをやってきたわけではなく、営業・販促活動その他もやってきたし、他の様々な仕事も並行してきた。驕らず、おもねらず、厭わずというのがポリシーで、誠実に自分を投入できることなら何をやってもいいし、それらの仕事が、色々な発見や洞察につながり、次の展開に至ることも多い。

 だから、20歳くらいまでに将来を決定付けるような進路、という考えじたいを捨てていいのではないかと思っている。昔の20歳は、今の30歳くらいであり、30歳くらいまでに色々と幅と奥行きと深さのある体験を重ね、人と出会い、触発され、少しずつ進路を整えていけばいいじゃないか。となると、20歳頃の進路教育でどういうことが大切かというと、私が思うに、”自分の強靭さにつながるような仕事をしておきなさい”ということになる。その選択を一生続けるかどうかはどうでもいい。しかし、その選択したものが、自分の器を広げ、硬さと粘りを兼ね備えた強靭な自分作りにつながっているかどうかが、とても重要だと思う。30歳くらいまでに、それをきちんとやっていけば、残りの人生50年を、しっかりと生きていくことができるだろう。

 世間での評判とか、安定性とか、形ばかりを追いながら、肝心の自分の強靭さを養えないまま30歳をすぎてしまうと、さらに世間での評判や安定性を頼ろうとして、捨て身で何かにトライすることもできなくなって、ますます悪循環に陥ってしまうと思う。

 でも、実際の教育現場では、なかなかそういう考えは通用しないのかもしれない。

 私も、「多くの人は、あなたみたいに強くないのよ」という言葉を、何度も聞かされてきた。しかし、人間もまた生物の一種であり、強くなければ生きていけない。その強さは、それぞれなのだ。昆虫界最強のオオスズメバチに対して、セイヨウミツバチは無謀にアタックしていって絶滅するが、ニホンミツバチは、集団でオオスズメバチを囲み熱死させる。ニホンミツバチは48度の温度に耐えられるが、オオスズメバチは46度までしか耐えられない。僅か2度の温度差に賭けて、最強の敵に勝つのだ。しかし、そのニホンスズメバチは、セイヨウスズメバチに簡単に蜜をとられて餓死させられてしまう。

 強さというのは、局面次第で変わってくるのであり、局面次第で強さの在り方が変わることを知っているのが本当の強靭さであり、人間に特有の力は、そこにこそ発揮されるのだろうと思う。だから、強靭であるための努力を捨てることは、人間の能力を捨てるようなもの。配慮だとか安全だと称して、子供達を、強靭になるための道から遠ざけることは、人間的な能力を奪っていくことだと思う。


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