肝心要の物づくりと、時代の変化

 数日前、NHKプロフェッショナルに出ていた佐藤オオキという若いデザイナー。企業製品等のデザイナーとして、国際的に活躍している人なので、今さら私が言うのもなんだけど、すごいなあと思った。

 彼は35歳。最近、この世代の人達と交流する機会があるが、前の世代とはかなり違う感覚が出て来ているという気がする。彼らは新しいのだけど、伝統的な職人のように、とても本質的だ。本質的というのは、肝心要のところに入り込んでいく力が強いし、その速度が速いということ。
 今、社会のキーパーソンになりつつある新しい人達は、トレンドとか、時代の感性とか、そういう浮ついた言葉は口にしない。そういう、メディアが好んで使う言葉は典型的な既成概念であり、彼らは一切の既成概念を取り払った目で物事を見つめ、一途な情熱で、肝心要のところに迫る。そして、そういうものこそが、数十年の歳月に耐え得ることを知っている。分野は違えど、様々な領域で、そういう人達が育っている。
 彼らより20年上の世代は、バブル真っ盛りの時代で、10年上の世代はITバブル。派手で目立つことが充実した生活や人生のごとく錯覚している時代だった。そして、そういうファッションやキャラが、賑々しい番組の多いテレビメディアなどと相性がよかった。
 しかし、時代は、そういう泡ぶくのような浮ついた感覚を終えようとしている。
 ただ、それは沈滞するということではない。むしろ、肝心要の部分以外が削ぎ落されて、遠回りもしなくなっていくので、どんどん速くなる。その速さは、ギアを一段階も二段階も切り替えるような速さだ。
 佐藤オオキ氏の仕事ぶりで、一番、時代の変化を感じたのはそこだ。
 たとえば地方の酒蔵がビール製造を始めようとして缶ビールのデザインを依頼する。依頼は一種類だけだが、彼は、数種類のデザインを一斉に提示する。個別に一つひとつ考えていくより全体を同時に考えた方が、本質(その酒蔵を社会にアピールしていくうえでの強み)を抽出しやすく、イメージが作りやすいから仕事も速い。デザイン料は一種類分だけど、損とか得とか考えない。
 しかも、彼は、依頼を受けてから三日とか一週間でプレゼン用のダミーを作ってしまい、それを提示する。最初から形を見せてしまうのだ。
 それを可能にするのは、DTP技術の進歩や、最近では3Dプリンターの出現。
 15年くらい前までは、プレゼン用のカンプやダミーを作ることにもけっこうお金がかかったので、最初の打ち合わせから一挙にカンプやダミーを作ったりしなかった。方向性が間違っていたら、お金をドブに捨てることになるから。だから、最初のオリエンテーションから一週間後の打ち合わせで簡単な企画書を提出して方向性を確認し、次の一週間後にラフデザイン、そして次の一週間で、その見直し案、ようやく一ヶ月後にプレゼン用のカンプデザイン、ダミー制作の場合は、もう少し時間がかかったりした。
 今は、3Dプリンターなどでいとも簡単に形を作り出せるから、形を見せる前に、時間やエネルギーをかけることじたいが無駄になっている。最初から具体的な形を見せて、気に入らなければ、そこから手を加えていけばいいのだ。
 しかし、そのように簡単に形を作り出せるからこそ、肝心要のところに深く迫る必要がある。雑誌などもそうだが、DTP技術のおかげで簡単に紙媒体の雑誌は作れるようになったが、その結果、安直なPR誌が氾濫する状況になってしまった。3Dプリンターも同じような現象を生むだろう。
 佐藤オオキ氏が心がけていることは、目新しさを競うのではなく、「あるようでなかったなあ」という感覚を大事にすること。つまり、本質を考え抜けば、本来、そうあってよい筈なのに、思考がステレオタイプになり、問題意識を持たなくなってしまっているものを、根本から見直すこと。
 たとえば、箸といった、日常的に当たり前で、もう十分に洗練され、改良の余地がないように思える物に、目から鱗の一工夫を凝らし、きれいとかカッコいいという短期的に消費されてしまう出来映えで終わるのではなく、オオッと感動を与えるものにする。その為に、職人に無理をさせる。今までやっていなかったことにチャレンジさせる。チャレンジしようと思える魅力を感じさせる。発想の力が、職人達の技術をギリギリまで引き出すのだ。
 異なる仕事に携わっている者同士を一つに結びつける力。それが肝心要のものに対する共通認識だ。職人は、技術は持っているけれど、習慣化された仕事の中で、肝心要のものを意識しなくなっていることが多い。肝心要のものを、一段階高いレベルに引き上げる発想で、モチベーションがあがる。
 そこには、21世紀的な新しい物作りの在り方が、浮かび上がってきているように思う。
20世紀には、デザイン的に優れているとか、時代の空気を醸し出しているなどと勿体をつけた評論の衣装をまとい、美術館に収蔵されているプロダクトがたくさんあったが、それらの多くは、どう見ても単なる飾りであり、使いながら味わい深くなっていく類のものではない。
 そもそも、使いながら味わい深くなっていく類の物は、消費社会と相性が悪い。トレンドという言葉で次々と飽きさせることが、20世紀の消費社会には必要だった。
 使う人の立場を徹底的に考え抜くことより、所有心を駆り立てたり、虚栄心を満足させる物の方が、高い値段で数多く売れたのだ。
 20世紀は、本質からかけ離れている物をつくりながら、仕事の報酬をあげるためにもったいつけて時間をかけるのに、すぐに飽きられる物づくりの時代だった。
 つまり、”移り変わりの速い”時代だった。
 21世紀は、肝心要のところをしっかりと見極めて、素早く料理し、その見事な手際と、素材の良さを引き出す調理で、後々まで、その味わいを記憶化していくような物作りの時代になる。
 それは、食物という、生きていくうえで肝心要の部分で、日本人が磨きに磨き抜いてきた境地であり、その価値観を共有している分野でもある。
 食物に対するその感覚が失われていなければ、食物以外の様々な物に対する感覚を取り戻すことも、そんなに難しくはないだろう。
 心配なのは、添加物まみれの加工品に慣れてしまい、鈍麻した舌で偽装表示に簡単に乗せられてしまうように、日本人が本来備えていた目や心や身体の鋭さが失われていること。

 一挙に、それらを取り戻せるような、パラダイムシフトが起る可能性も、なんとなくではあるが感じる。世代が変われば、上の世代が得意げにやっていたことを冷静な目で計る感覚が必ず出てくるはずだから、きっと時代も変わる。

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