波乱の年は試練の年、そして転換の年

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 あけましておめでとうございます。

 初めてすごす京都の正月です。昨年まで四年連続で高野山で年越しをしていて、その間、本当に激動が続きました。最初の年は下山後に津波原発事故があり、風の旅人の休刊があり、翌年は新しく会社を設立して風の旅人を復刊し、昨年は、突然、京都に移転することを決め、森永純さんの写真集も発行できました。
 この期間の色々な変化は、風の旅人の復刊第1号を「修羅」というテーマで始めたように、個人的にも社会的にもけっこう大変なことだったのですが、『修羅道」というのは自分の運命を何かに委ねてしまう「畜生道」とは異なり、自分で困難を乗りこえていこうとする気迫のある状態であり、波風の立たない退屈な時よりも、後から振り返れば”いい時間”だと思います。
 4年前の年末年始、大雪の高野山にこもることを決めたのは、これから自分に降り掛かってくる様々な試練に対して、後ろ向きにならないよう心の備えをする必要があることを無意識のうちに察していたからかもしれません。
 実際に、いろいろなことが起こっても、そうなることがわかっていたかのように、慌てることなく、決断に淀みなく行動し、その時々の判断は間違っていなかったと思います。なるべくしてこうなったという感じです。 
 でも今年は、社会的にもさらなる波乱があるのではないでしょうか。先ほど、近所の八坂神社にお参りをしてきて、おみくじが、生まれて初めて凶でした。これは、個人の運命ではなく社会の試練だと受けとめました。昨日からそういうことを考えていましたから。
 八坂神社に祀られる荒ぶる神、スサノオの本領発揮でしょう。
 しかし、どんな波乱も、波乱それ自体に意味があるのではなく、それをどう受け止め、乗りこえ、変化していくかが問われるのであり、平穏な時よりも、波乱の時こそが進化につながりやすい。しかし、受けとめ方を間違えれば大変なことになる。
 
 今年は、初めて京都で新年を迎えることになり、高野山へは年が明けて1月3日にお参りに行きます。高野山に通うことで益々空海が意識されますが、次号の風の旅人の内容も、どこかで空海の思想が反映されています。空海の思想を現在の状況に照らし合わせればどうなのかというポイントで考える癖がついています。
 空海の時代も、外からの力で日本が大きく変化していった時であり、その変化のなかで、日本に特有な精神(世界の捉え方、人生の受けとめ方)を、暗黙知ではなく、具体的な形で認識を新たにする必要性に迫られていました。
 漢字によって世界が分節化されていくなかで、ものは物でも霊(もの)でもあり分断できないということを表すために、空海は、言語の限界を詩的言語で豊かに明示し、社会には、仮名文化が花開いていくことになりました。

 激動と波乱が、日本人に試練を与え、試練を乗りこえる努力によって社会が大きく転換していったのです。
 現代の日本の状況も、当時と似ているところがあります。
 古代の考え方をそのまま現代にあてはめるのではなく、けっきょく人間の意識が、世界、自然、人生をどう捉えるかという普遍の問題であり、1200年前にも人間は同じように考えをめぐらせていたということを知るだけでも、世界認識や歴史認識が揺さぶられます。
 京都から発信していく風の旅人には、そうしたことが、よりいっそう色濃く反映されていく筈です。
 本年もよろしくお願い致します。


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森永純写真集「wave 〜All things change」→


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