自己と自己を超えるもののあいだ

 

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(写真は、桑原史成さん撮影。風の旅人 復刊第4号 「死の力」より)


 風の旅人の復刊第3号で、志村ふくみさんをインタビューした時、”のさり”という言葉が出て来た。3.11の震災後すぐの頃は、多難な状況のなかで、日本人の心が一つになりかけていた。しかし、1年経ち、2年経ち、震災以前のような消費経済優先の価値観が盛り返し、それとともに、巨大な地震津波に襲われた時の大混乱の中での生死に関わる判断ミスなどを咎める形での訴訟が多く起こった。
「悪い事ばかりじゃないよ、これからいいこともあるよ、辛いけれど一緒に頑張っていこうね」という、昔から地震や台風に苦しめられてきた日本人の生活の中から生まれた、しなやかで強靭な”思想”よりも、誰に責任があるのかと問い、それに対して、責任を押し付けられないように本質から外れた対策のための対策を練るなど、人間の狭い了見の中だけで解決していこうとするスタンスばかりが目立つようになった。
 「のさり」というのは、水俣病の被害者だった杉本栄子さんの口から出た言葉で、水俣病を引き起こしたチッソも、水俣病が原因で自分を差別した人達も全部許し、水俣病を背負って死んでいくと覚悟を決めた杉本さんが、『水俣病は、のさりだ」と言ったのだ。
 「のさり」というのは、昔から熊本の地で、良いことも悪いことも、全て天の取り計らいであると受け止める言葉だ。
 近代的自我にどっぷりと浸っている私たちには、この”のさり”の境地は、もはやわからなくなっている。
 しかし、この境地を少しでも理解しようと努めることが、3.11が、私たちに与えた試練なのではないか。
 私自身は、この言葉の真意を理解できていないかもしれないが、3.11以降、自分の意志というより、何かの導きでそうなっているのではないかと感じられる時には、あまり自分の分別をはさまないように、動いてきた。東北の介護現場に頻繁に通ったこともそうだが、そうしているうちに、今後の日本社会にとって重要な介護と訪問診療に関わる仕事に携わる道筋が出てきた。
 30代の頃、死にものぐるいで働いて株式上場までこぎつけた会社を、あっさり辞めて、風の旅人を今までにない方法で再生させるために新会社を作ったこともそうだ。プライベートの大きな変化もあった。そして、京都に拠点を移したのも同じだと言える。
 ”のさり”という言葉に触発されて、復刊後の風の旅人の一つの節目として「死の力」というテーマで復刊第4号を企画し、水俣病を60年近く追い続けている写真家の桑原史成さんに声をかけ、いろいろと打ち合わせを進めていると、桑原さんが、「佐伯さん、今年の土門拳賞、僕に決まったってさ。今頃、もらってもしようがないんだけどね」と言った。
 今まで、桑原さんが土門拳賞を撮っていなかったことが不思議なくらいだが、今年撮ったというのは、何かの縁が、そうさせているのだろう。
 自己の確立は大事なことかもしれないが、自己の力には限界がある。だからといって、長いものに巻かれる発想も危険である。自己の自立を目指すともに自己の限界を知り、その上でどう生きるのか。 ”のさり”の神髄はそこにあるだろう。
 そして、死というのは、人間が逃れられない宿命であり、自己を超えた力の最たるものだ。その死の力を、どのように生の力と結びつけていくのか。
 今の世の中、多種多様、いろいろと考えることがあるかもしれないが、肝心要の部分から目を逸らして、「いろいろ考えているよ、いろいろやっているよ」と主張しても、なんだか空疎に響く。
 9.11や3.11を経験して、いろいろな上っ面なことが空疎に感じられてこそ、次があるのだろうと思う。

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