第1060回 逆境と生命力

 人の苦悩には二つのタイプがあって、一つは、自分次第というもの。そしてもう一つは、自分の意思や努力ではどうにもならないもの。自分自身の病は、とても辛いことだが、その辛さを、どう受け止めて耐えるかは自分次第。しかし、愛する者の病は、祈ることで耐えるしかない。
 私たちの人生の良し悪しは、自己責任で決まるという考え方は、とても窮屈だ。
 いくら自分が努力しても、どうにもならないことが歴然とある。自分がいくら努力してもどうにもならないと知ると、人は、ただ諦めて無気力になってしまうだけとは限らない。
 なぜなら、人は、苦境に耐えることができるからだ。その耐える力は、自己責任よりも深い生命の本質に根ざしている。
 人は、いつか必ず死ぬ。この歴然たる事実は、自分がいくら努力しても変わらない。それでも人類は、何千年、何万年と、いじらしいほどの努力を積み重ねて、いくたびもの苦境に耐えて、生命を繋いできた。
 生きることの意味は、自己責任や自己満足という自己完結の中にあるのではなく、苦悩に耐えながらリレーのように繋いでいく人類の未来に開かれているものだと、無意識のうちに悟っているからこそ、それができたのだろう。
 今この瞬間の快楽と満足は、反作用としての醒めた空虚のなかで、自分の生の意味を見失わせることもあるが、今この瞬間の苦悩は、自分次第のものであろうがなかろうが、その苦悩に耐える力こそが、自分の生の意味だと知る機会になることもある。
 逆境は、生命の歴史から見れば決して悲劇的なことばかりではなく、生命の驚くべき可能性が引き出されて次につながる舞台となることが多かった。生命は、むしろ順境のなかで退化していくことが多かった。すなわち、逆境は順境よりも、生命力に充ちた状態だった。