第1412回 「Perfect Days」!?

1980年代、毎週のように映画館に通い、とくに日比谷シャンテ等でヨーロッパ映画をよく観ていた人で、ヴィム・ヴェンダースの「ベルリン天使の詩」など一連の作品が好きだった人は、きっと「Perfect Days」を観に行くんだろうな。
 私もその一人なので、雨がしとしと降る今日、映画館まで観に行ってきた。
 カセットテープの音楽とか、フィルムカメラとか、単なるノスタルジーではなく、心に深く染みいってくるものがあるし、木漏れ日とか影とか、目立つところで自己主張するものよりも、その微妙な揺らぎや綾が、心に余韻を残す。
 この映画は、50代半ばより年上だと、共感する人はとても多いだろうけれど、若い人たちの反応はどうなのだろうか。
 映画の中にも出てくるカセットテープの音楽は、懐古的な趣味だけでなく、若い人の中でも少しずつ人気が高まっているらしい。
 カメラも、富士フィルムのチェキというポラロイドフィルムカメラが、世界的に大人気だ。
 デジタルって、世界の手触りや息遣いを遠ざけ、良いか悪いか切り分けていくところがあるけれど、アナログの言うに言われぬ味わいは、良し悪しの分別を超えて、心に染みてくるものがある。
 この映画、トイレ掃除を軸にしているところに共感する人が多いだろう。
 トイレ掃除に限らず、どんな仕事もそうだけれど、真摯に、無心に、集中して、キビキビと働いている人の姿は美しいので。いくら世間体の良い仕事でも、人を利用したり、だしぬいたり、手を抜いたりしている人の姿は醜い。ということを、改めて人々の良心に訴える。
 表現者が作るものは、当然ながら、その人の美意識が反映されるから、ヴェンダースの美意識もそこにあることはわかる。

 逆に言うと、その美意識を強調するような作り方をすれば、その美意識に共感する人に感動を与えられる。

 現代の多くの表現は、そうした手法で、マネタイズすることを考える。

 美意識は、人によっては個人的な好き嫌いだけのケースもあるし、世の中に対する憂いや、未来に対する祈りなどが反映されているケースもある。
 ヴィム・ヴェンダースの美意識は、小津安二郎に影響を受けているようだ。
 1982年、私がパリにいた時、小津安二郎溝口健二成瀬巳喜男といった日本人映画監督の作品が、毎日のように上映されていた。
 それまで日本人の映画監督として世界的に有名だったのは黒澤明だが、黒澤映画がハリウッドで高く評価されていたのに対して、人の生の虚しさや儚さの中、目を凝らしていないと見逃してしまうような繊細な一瞬の美を取り出すような日本映画が、ヨーロッパを中心とした新しい世代の映画監督の心を捉えていた。 
 ヴィム・ヴェンダースレオス・カラックスパトリス・ルコントジム・ジャームッシュなど。
 日本人が、それとは真逆のバブル社会に盲目的に突っ走っていた時に。
 日本人は、いつだってそうだけれど、自分の中の価値に気づかず、二束三文で売り捌いてしまい、ほとんど紛い物の舶来品でも、多額のお金を投じて手にいれ、それを自慢にする。
 しかし、小津に影響を受けたという海外の映画監督の作品は、本数を重ねるごとに、次第につまらなくなって、明らかな娯楽映画としか言えないようなものも多い。

 形はもらったけれど、内面的に届いていないものがあるのだろう。

 その届いていないものこそが、本当は大事なんだろうけれど。