第1355回 わたしの叔父さん

いろいろな表現活動のなかで、心から人に推薦したくなるものは、とても少なくなった昨今なのだけれど、「わたしの叔父さん」というデンマーク映画が、とてもよかった。

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 鬼海弘雄さんが生きていたら、真っ先に伝えたい映画。

 昔は、当たり前のように週に一回は映画館に通っていたのに、最近は、まったくそういうことがなくなり、この20年くらい、小栗康平さんと、映画作りの話を、ずっとし続けてきたのに、近年の映画の動向チェックなど、まったくやっていなかった。

 写真もそうだが、近年の動向など、もはやどうでもよいという心境で、現代風という小賢しい分別価値観から超越したところで、映画や写真、文学もそうだが、降りてこないものか、もしくは、その未知のところに手を伸ばすしかないのではないかという感覚なのだが、最近、一つ二つ、デンマークの映画で、世の中の価値観にはまったくなびかず、生真面目と愚直に徹し切ったものに触れ、妙に面白いなあと思っていたので、この「わたしの叔父さん」も観てみた。

 そうすると、生真面目と愚直をさらに突き詰めて、美しい結晶のような映画になっている。

 計算高く、上部ばかり取り繕った嘘っぽいものが氾濫している社会のなかで、そういう世界なのだから仕方ないと開き直り、その世界の中で、なんとか自分もうまくやっていこうとしている人のなかには、この映画を観ても、「非現実的だ」とか、「暮らしに変化がない、退屈だ」などと反発に似た感情を持つ人がいるかもしれない。

 しかし、虚飾の世界に違和感を感じて、身の置き場がないような気分で、なんとかその世界に自分を合わせながら心身をすり減らしているような人は、無理やりに合わせなくてもいいんじゃないか、不器用は不器用のままでいいんじゃないか、という幽かな希望のようなものが感じられる映画かもしれない。

 そもそも、「わたしの叔父さん」を観て「退屈だ」と言う人と、この映画の主人公のような人物と、一緒に時間を過ごして、どちらの方が退屈なのか、どちらの方が人間として面白いと思えるか、という問題がある。

 レストランで一緒に食事をしながら、世間で流行のことを色々と話されることよりも、牛の出産の話を聞く方が面白いと感じる人も、世の中にはいるだろう。

 デンマークというヨーロッパの端っこで、「わたしの叔父さん」のような映画作りをする条件が整っていることが、興味深い。

 日本は、近代合理主義の価値観に追随することばかり考えている周回遅れのランナー。カンヌのレッドカーペットの上をタキシードを着て歩くことが、先頭ランナーだと思っていたら大間違い。

 隠れている本当の先頭は、どれだけ着飾っても同じところをぐるぐるとまわっているだけだということに、とっくの昔に気付いている。

 日々、いろいろな人と会って、いろいろな物に触れることが、変化のある生活だと思っている人は、「わたしの叔父さん」の映画を観ても、毎日、同じことの繰り返しにすぎないと思ってしまうかもしれない。 

 しかし、変化は、外面ではなく、内面の方が大事で、心の動きこそが、本当の変化。たくさんの人や物に囲まれ、それらに接していても、心が動いていない、心に変化が生じていない、のであれば、同じことを繰り返しているだけにすぎない。

 心の変化は、微秒に表情の変化に現れる。

 「わたしの叔父さん」という映画は、音楽は、一箇所だけで、その大半は自然音だけで満たされているし、会話も、極限まで切り詰められている。この映画の後に、饒舌なアメリカ人映画を観ると、頭がやかましくてしかたないだろう。

 「わたしの叔父さん」は、人間の表情の変化、空気感の変化だけで、言葉にならない言葉を伝えてくる。

 役者さんも、役を演じているというより、ドキュメントのようなリアリティを表現していて、すごい。実際に獣医学を身につけている人が演じたようだ。

 計算高く取り繕ったもので偽善の匂いがぷんぷんしているのに、人道的だとか、人間の良心だとか、親子の絆だとか、友愛だとか、空々しい褒め言葉で、さらに、その欺瞞を増幅させている表現世界。

 一言で言うと、表面的には突っ張っていても、実は媚びている。

 「わたしの叔父さん」の映画監督、フラレ・ピーダセンは、小津安二郎を映画の師と仰ぐ1980年生まれのようだ。

 確かに、小津さんや小栗さんに通じるものがあると思って私は観ていた。

 1982年、私は大学を退学して海外放浪中、パリにいたのだが、その頃、小津安二郎溝口健二の評価がすごく高く、連日、古い日本映画が上映されていた。

 そのなかに、その当時作られて間もない小栗康平さんの「泥の河」が紛れ込んでいて、それを観て以来、小栗さんの本も読むようになってファンになって、いつしか親しく付き合うようになった。

 小栗さんが「泥の河」を作ったのも、フラレ・ピーダセンが、「わたしの叔父さん」を作ったのと同じくらいの年齢。 

 40歳というのは、現在の複雑な世界のなかでは、表現界では、若手だと思う。

 やはり、ある程度、世界のことを知り尽くしたうえでないと、この世界を超える新しいものを創造できないと思う。

 感性だけの新しさは、新しいヒーローのように持ち上げられて、一時的に露出は増えても、ワイドショーのネタにすぎず、知らず知らず商業主義に取り込まれていく。

 そして、あれだけ露出したのに、誰の記憶にも残っていない、ということになる。

 もしかしたら限られた人にだけかもしれないけれど、記憶の中に、しっかりと残り続ける珠玉のもの、たぶん、その珠玉に未来が映っている。