第1344回 神武天皇とは何か(2)

神武天皇とは何か(2)

 神武天皇の神話を、第26代継体天皇と重ねて考えるためには、(1)で述べたこと以外に、神武天皇の東征に登場する神々が、継体天皇の時代において何に該当するのかを検討する必要がある。

 まず第一に、神武天皇の東征において、最初に現れ、船路の先導者となったのが椎根津彦(しいねつひこ)。亀の背に乗った姿は、浦島太郎を連想させる。

 安曇氏の祖に位置付けられる豊玉彦の子、穂高見命の後裔が信州の安曇氏となるが、穂高見命の兄弟の振魂命の後裔が、椎根津彦であり、この子孫が八木氏や、大倭国造となっている。 

 八木氏の痕跡は、幾つかあるが、重要な場所が、京都府の亀岡盆地の北端、南丹市八木町である。ここは、桂川園部川の合流点。園部川は、由良川の支流の須知川の源流とも近く、由良川日本海若狭湾に注ぐ。

 また、桂川の源流は、京都の貴船神社の北の花背であり、ここは、安曇川の源流に近く、安曇川(安曇氏の拠点)は、継体天皇の出身の近江高島につながっている。

 また、桂川をくだれば、継体天皇の宮である弟国宮(向日市)や樟葉の宮(枚方市)、筒城宮(京田辺)に直接つながる。つまり、南丹市の八木は、継体天皇の出身地と3つの宮をつなぐルート上にあり、琵琶湖、日本海、瀬戸内を結ぶ水上交通の要所である。

神武天皇の東征を導いた椎根津彦と関わりの深い南丹市の八木は、継体天皇の出身地の近江高島と、継体天皇の三つの宮を水路で結ぶポイントにある。さらに、日本海に流れる由良川や、瀬戸内海に流れる加古川にもアクセスしやすい。

 この八木に、継体天皇の時代の6世紀初頭に作られた城谷口古墳群があり、ここから蛇行剣が出土している。

 蛇行剣のことは、前回の記事でも書いたが、海人族と関わりが深いと考えられるが、その多くは、5世紀上旬のもので、今年のはじめに237センチの巨大な蛇行剣が発見されて大きな話題となった冨雄丸山古墳は4世紀末だ。

 蛇行剣が発見された6世紀の古墳は、亀岡盆地の八木町以外では、鹿児島と宮崎の地下式横穴墓という特殊な埋葬施設からしか出土していない。

 つまり、鹿児島や宮崎の海人が、桂川園部川の合流点の八木に痕跡を残しているということで、それが、椎根津彦の後裔の八木氏なのである。

 日向を出発した神武天皇の舟路を先導した椎根津彦というのは、あくまでも神話上の存在であり、6世紀の初頭、日向の地の海人族と、第26代継体天皇の関わりを、この神話は伝えている。

 椎根津彦が亀の背に乗っている姿は、後世の浦島太郎のイメージにつながったと思われるが、浦島太郎の祖神は月読神とされる。

 月読神を主祭神とする神社は、全国的にそれほど多くないが、八木町の周辺には、月読神を祀る神社がとても多く、式内社だけでも、小川月神社、大井神社、志波加神社、藪田神社と4社もあり、全国一の集中地帯と言える。 

 この桂川をくだって保津川渓谷を抜けたところ、松尾大社の側に月読神社が鎮座しており、この月読神社が、日本書紀において、487年、顕宗天皇の時、壱岐島から勧請されたと記録されている。そのため、亀岡盆地の月読神社は、松尾大社と関わりの深い秦氏の影響で、亀岡にも広まったと説明されることが多いが、それは間違っている。

 京都の古代のことを語る時、なんでもかんでも秦氏と結びつける人が多いが、山城国において秦氏の痕跡が明確になってくるのは、飛鳥時代秦河勝以降である。

 松尾大社の場合も、秦氏の祭神の大山咋神よりも、海人族の宗像氏の祭神の市杵島姫の方が古い。月読神が勧請されたのは、それよりも200年ほど古い487年だ。

 月読神社が、桂川に勧請されたのは顕宗天皇の時となっているが、顕宗天皇は、継体天皇の皇后、手白香皇女の父、仁賢天皇の弟である。

 顕宗天皇も、子供の頃は、雄略天皇から逃れて、仁賢天皇と一緒に忍海氏によって匿われていた。

 顕宗天皇仁賢天皇が史実かどうかわからないのだが、雄略天皇という専横の王が支配していたヤマトという地に対して、新しい時代の到来としての第26代継体であり、この継体天皇に、神武天皇神話が重ねられており、顕宗天皇仁賢天皇の物語は、雄略天皇の専横を際立たせるために作られたのかもしれない。

 いずれにしろ、新しい時代の扉を開いたのが、5世紀後半に大挙してやってきた今来という渡来人だが、京都の桂川沿いの月読神社に月読神と一緒に畿内にやってきた「亀卜」という亀の甲羅で占いをする術も、その中に含まれる。これ以降、政治と祭事において、重要な日取りなど亀卜で決定された。それ以前は、鹿卜という鹿の肩甲骨で占いが行われていた。

 そして、月読神と亀卜のルーツである壱岐島は、安曇氏の拠点の志賀島の近くなので、安曇氏が、それらを畿内にもたらした可能性が高い。

 神武天皇の東征で、船路の先導者となった椎根津彦が、亀の甲羅の上に乗っているのは、亀卜という先を読む行為にも、先導的な意味があるからだろう。

 潮の干満に影響を与える月もまた、海人族にとって重要なものであり、エンジンのない時代は、潮の流れを読まなければ航海はできなかった。

 神武天皇にとっての最初の先導者、椎根津彦は、継体天皇の時代の安曇氏の役割や、この時代にもたらされた亀卜のイメージが重ねられている。これが、後の浦島太郎の伝承につながったのだと思われる。

(つづく)

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