なぜ今、志村ふくみさんなのか。

 昨日、京都の志村ふくみさんの工房で、志村さんと、時間を忘れて、三時間にわたって、熱く熱く話をした。まさに自分にとって奇跡の時間。だって、次号の風の旅人のテーマを、「妣(はは)なる国へ」と決めた時から、インタビューは、石牟礼道子さんか志村さんだったら最高だなって思っていて、それが実現したこと。それと、昨日で初めてうかがったことだが、志村さんは、3.11の後、何かしらの形で石牟礼さんと対話したいと願っていたら、突然、石牟礼さんから、新作の能の衣装のために染めてほしいと連絡があったそうだ。石牟礼さんの新作の能も、水俣病について、あれほどまでに魂を昇華させた人が、津波原発に向き合うのだから、どれほどのものになるのかと戦慄するが、その衣装を志村さんに依頼しているということ。ああやはりこの二人は、この時代の痛みを背負う母なのだと改めて思った。志村さんは、88歳。信じられないほどの体力、明晰さ、そして情熱。この世のものならぬオーラを発している。 

 なぜ志村さんなのかという理由は、次号の風の旅人のインタビュー記事にも反映されるが、物作りや表現活動にちょっとでも携わっている者にとって、志村さんの思想は、とても重要だと私は思っている。

 「自分のイメージを表現したい」、『自分らしさを伝えたい」などと簡単に言う人がいるが、自分の中のイメージを信じていない人、大したものではないと思っている人の方が、私は表現者として信頼できる。
 どういうことかというと、自分の中に既にできあがっているイメージなど、この世界全体からみれば知れたもので、そんなちっぽけなもので世界と向き合おうとしていることじたいが、傲慢にすぎる。自分のちっぽけさを知りながら、かつ世界と真摯に向き合おうとする人なら、限界を感じて、行き詰まるだろう。その方がよほど表現者として誠実だと思う。
 志村さん曰く。自分が出したい色を出そうとするのではなく、自然の中から、最善の時に、最善の色をいただく。それを自分の周りに集めておく。その色々を日々眺めながら、自分の中に何かを育てていく。そして、旅とか人との出会いとか読書など、あるきっかけで、色たちが自分に働きかけてきて、そこから発想が生まれ、イメージが立ち上がる。そうなった時から自分の頭や身体を総動員し、集中し、考え、計算し、自分の中に立ち上がってきたイメージをより確固たるものにし、そのイメージにそって、色を織り込んでいく。つまり物を構築していく。
 最初から自分のせこい頭であれこれ計算したり考えてもロクな物は出来ない。
 それよりも、自分を超えたもの(志村さんにとっては自然)から発せられる何かに敏感に、それを自分の周りに集めていくということ。丁寧に観察し、繰り返し繰り返し、大事なものを見逃さないように集中して。そして、機の訪れを待ち、機が訪れたら、自分の中の力を精一杯発揮する。それができないと、インプットはできても、アウトプットはできない。この切り替えが大事なのだ。
 しかし、アウトプットの際にも、自分を超えるものから大切にいただいてきたものたちだから、それらを疎かに扱って損なうわけにはいかない。殺してしまうようなことはできない。最大限に、その力を生かすように、自分の中に立ち上がったイメージと重ね合わせ、織り込んでいくことが大事。
 志村さん曰く。決して色を混ぜない、混ぜると、それぞれが鈍くなって死んでしまう。それぞれの色は個性であり、その個性は殺せない。どうするかというと、織色といって、混ぜずに重ねることで、別の色に見えるように表現していくのだ。黄色の横に青を置くと、離れてみると緑に見えるように。別の個性を統合するというのは、混ぜ合わせて均質にしてしまうことではなく、一つ一つ絶妙に配置し重ね合わせ織色を作りだすことだ。その織り色によって現れる全体の像こそが、自分の表現であり、それではじめて、その人らしい表現ということになる。20世紀の分断と細分化の時代に対して、21世紀は統合の時代だとも言われるが、統合というのはどういうことかと考える際にも、重要なヒントがそこにある。
 志村さんを通して私が得た知見というのは、そういうこと。(ここに書いたことは、そのごく一部だが) 
 そういう話を聞いていて、私の雑誌づくりも、そういうことだと合点がいった。志村さんにとっての色は、私にとっての写真。
 まずは、自分を超えたものから何かしらのイメージをいただき、積み上げていく。それらに時々語りかける。そうしているうちに、何かのきっかけでテーマが見えてくる。テーマが立ち上がると、それに添って、一つ一つを疎かにしないように、それらの力が最大限に発揮できるように、織り込んでいきながら、テーマにそった全体の像を描く。編集という仕事もきっとそういうことだろう。
 もちろん志村さんに比べれば、まだまだ未熟だけれど、心構えとしては、そんなに大きな隔たりはない。
 だから、昨日も志村さんと三時間の間、熱くお話ができたのだと思う。

 志村さんは、染と織りを通して、人間国宝になっている方だが、その言葉の深さは、並の文章家を超越している。

 


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