ビッグデータの時代と、風の旅人

 2003年4月に風の旅人を創刊した時、社会にビッグデータという言葉はなかった。しかし、インターネットが社会に急速に浸透し、膨大な情報がやりとりされるようになっており、膨大な情報を使いこなすか情報に翻弄されるかによって人生が大きく異なってしまうだろうということはわかっていた。
 当時、雑誌といえば、情報を扱う媒体であった。しかし、インターネットの中の情報に比べて雑誌誌面の中にある情報量などたかがしれている。情報を伝達する媒体としての雑誌の役割は終わるだろうことは、2003年の時点で十分に予想できた。
 そんな時代の状況下で、私は敢えて「風の旅人」という雑誌を創刊した。
 私が考えたのは、情報が過剰で、かつ流動性の高い時代に、ニュースとしての情報を雑誌で伝えても意味がないだろうということだ。速さが求められるニュースはインターネットに任せればいい。インターネットの方が速くて情報量も多くて検索力もあって情報の比較検討もしやすい。瞬間ごとに生まれては消費されて消えていく膨大な情報を、わざわざ紙を使って印刷して固定化するというコストのかかることを行なう必要はない。
 私は、インターネットに取って代わられるような、多くの雑誌がそうであるように、ジャンルの中でお勧め標本を抽出するような雑誌作りには興味がなかった。
 私は、膨大で流動的な情報のなかを生きるにあたって、情報に翻弄されずに生きていくためには自分の軸が必要になるだろうと思い、自分の軸を養っていく媒体を作りたいと考えた。自分の軸というのは、簡単に言うと、物を見ぬく眼力や、考える力だ。それらの力を養い、情報に踊らされず、自分の尊厳が損なわれないような生き方をしなければ、何のために生きているのかわからなくなる。
 変化の激しい世の中で、無秩序で不確実な情報にさらされ、ジタバタしなくてもすむように、自分の軸を養っていくための媒体。それが風の旅人を通して実現したかったことだ。それには当然ながら、自分が向き合わなければならない世界というものがどういうものかを伝える必要が出てくる。自然、生物、人間社会、宇宙、歴史など、世界を認識する為の手がかりは多岐にわたる。「風の旅人」という雑誌タイトルは、文系とか理系とか関係なく、どんな特集テーマでも入る懐の大きさがあり、風のようにどんな方向にも展開し、既存の枠組みを超えた探求の道を旅していく雑誌であることを目指した。そしてそれは人間の尊厳を取り戻す旅でもある。
 ビッグデータという概念が浸透する以前から、人間の尊厳を脅かすような事態は進展していた。
 たとえば、一人ひとりの死は、船の事故で30人死亡とか、津波で2万人死亡とか、数でカウントされる。
 男女の付き合いにおいても、背が高い、学歴が高い、収入が高いという「3高」という言葉でパートナーとなるべき相手が品定めされていた。人物本位などという言葉は建前で、ラベルで人を判断することが当たり前になっていた。そして、実際の中身ではなくブランドとかラベルしか見なくなってしまった挙げ句、産地偽装などの不正が簡単に通用してしまう世の中になってしまったのだ。
 そして、近年、就職活動においてエントリーシートというものが出現した為、一人で100社以上に履歴書を送りつける人が増え、採用する側も膨大な数の履歴書に眼を通さなくなり、大学名などで機械的に処理する傾向が強まった。さらに、会社が不況に陥ったら大規模なリストラが行なわれるが、何かしらの数値で強引に決められる。その際、色々と面倒が起こるので、派遣社員という形で数の調整を簡単にすませるようになってきた。
 年功序列に変わって実力主義といいながら、実際は点数主義でしかなく、個人の成績も企業の力も数字だけで決めつけられる。雑誌や本や映画も、発行部数や興行成績が優劣の基準だと信じ込んでいる人も多い。しかし数の多いものは、なぜか忘れられるのも早い。人に上手に媚びれば数は増えるが、けっきょく退屈しのぎにすぎず、新たな退屈しのぎが現われたら、それに取って代えられるからだろう。
 選挙結果も数で決まるのが民主主義のルールで、それがフェアだと考えられてきたが、数を獲得する為にお金や贈り物をばらまいたり、観劇やスポーツ観戦に接待したり、耳障りのいい台詞を無責任に声高に発することが、簡単に数につながってしまう世の中になってしまった。
 数字があてにならないとは言わない。しかし、物事を判断するうえで、一部の数値だけを抽出して、それを判断材料にすることに問題がある。特定のデータは、特定の問題を解決するために役に立つかもしれないが、その特定の問題が全ての解決すべき問題とは限らない。しかも、解決すべき問題は変遷する。いずれにしろ全体像に迫る視点がなければ、眼の前の情報の変遷に翻弄される。にもかかわらず、各方面が細分化され、その部分ごとの最適解を求めることばかりが重要視された。そのため、部分処理の正確さは優れているけれど全体像を描けない人がリーダーシップをとる立場となり、結果的に組織は見通しが悪く、身動きがとれにくい状態に陥ってしまい、構成員は、何か変化があるとジタバタする体質になってしまった。
 何よりも問題は、一人ひとりが、交換可能なパーツや電子データになってしまったことだ。
 進学、就職、結婚、マイホーム、保険、そして死に至る人生の大切な節目において、自分自身は、数値に置き換えられて判断される。近年では、様々なSNS、インターネットの検索傾向、クレジットカードやその他会員カードの履歴、スマートフォンGPS機能や電車の電子式乗車券の記録などから得られる情報をもとに、一人ひとりの存在が決めつけられていく。
 また、どういうテレビ番組を見ているか、どういう雑誌を購読しているかによって、個人の趣味とか年収、社会的ポジションなども、おおよそ特定化されてしまう(ビッグデータの時代、糖尿病などの発生率なども、そこから導かれるようだ)し、広告スポンサーへのプレゼンを通すために、敢えてセグメントを明確にする雑誌も多い。40歳前後、キャリアウーマン、年収500万とか。そのようにして、数字に魂を売り、数字に翻弄される悪循環に巻き込まれる。
 そして、一人ひとりの尊厳は奪われていく。
 私は、風の旅人を作るにあたり、そのように数字やセグメントで簡単に決めつけられてたまるか!という思いが常にあった。
 大手取り次ぎを通して書店販売を行なっている時は、書店の陳列棚の都合上、どのジャンルに属するかとしつこく店員に尋ねられ、答えに困っていたが、オンラインだけで販売するようになって、そういう悩みからは完全に解放された。もともと広告に頼っていなかったから、スポンサーのことを考える必要はまったくない。
 風の旅人の創刊のテーマは、『FIND THE ROOT」”根元を求めよ”だ。根元を見失うと、情報に踊らされる。ビックデータの時代になると、ますます、根元は大事になる。根元を大事にすることは、われわれの生の尊厳の土台づくりだ。変化の激しい時代だからこそ、変わらない価値を見いだす必要がある。だからといって単なる懐古趣味ではいけない。
 古いか新しいかというのは表層的なことであり、長らく大切にされてきたものの根元にあるものが何であるかしっかりと把握できていなければ、古いということが、単なる断片的情報でしかなくなる。
 新しいものもまた、今後長らく大切にされていくであろう可能性を秘めたものこそが、私たちの生の尊厳にとって土台となるものであり、そういうものこそを探し出さなければならない。
 私たちの周りには、古いものも新しいものも膨大に存在するわけで、それらを表面的な違いによるジャンル分けをしてしまうと、今を生きる私たちの現実の全体像と、どんどん遠ざかってしまう。古いものも新しいものも関係なく、その根元にある大切なものを探り当てて拾い出すこと。その上で一枚の織物を作り上げるように全体のビジョンを描き出すこと。私が風の旅人を作るうえで心がけていることはそういうことだ。
 風の旅人のことを、日本では類例のない写真芸術雑誌と言ってくれる人もいるが、私は、写真の力を重要視しているものの、写真というジャンルに関心のある人向けに作っているのではない。
 自分としては、ビジュアル哲学誌という言葉の方が適切だと思っている。哲学というのは、性急に答えを出すものではなく、わからなければわからないなりに、ジタバタすることなくそれに向き合い続けるための耐性を身につける思考の鍛錬であり、世界の全体像を認識するための手がかりを掴んでいく行為であり、それは、情報過剰の世界で代替え可能な情報の一断片になりさがっている自分の尊厳を取り戻す術でもある。
 いくら多くの情報に接していても、何の哲学もなく、ジャンルを区切って分析してその部分をわかったつもりになったところで、全体像が遠ざかったしまえば何にもならない。
 テレビなどで時事問題をわかりやすく説明する番組があるが、何らかの形で我々自身の変化につながらないのであれば、右から左に流れるだけであり、我々の失われた尊厳をとりもどす術にならない。
 ビッグデータの時代となり、情報が人を飲み込んでしまうのではないかと懸念を抱く人も多いが、私はそうは思わない。情報は、それを使う人間がいることで、初めて情報になる。だから問題は、それをどう使おうとするかなのだ。そして、情報の使い方が、その人自身を示すし、その人の人生の幅を決めていく。
 就職必勝法などのハウツーマニュアルで仕入れた情報をもとに面接を受けると、その情報を使うということが自分を表すし、仮に採用されたとしても、そうした情報の使い方と相性の良い組織に吸収されるだけのことで、その後の人生においても、同様のことを延々と繰り返すことになる。つまりそれは、自分よりも、自分が身にまとう情報の方を大切にしなければならないという強迫観念から逃れられない人生ということになる。 
 情報よりも自分自身の方を大切にするために、つまり自分の尊厳を取り戻していくために情報を使うこと。そのように情報と付き合えないのであれば、風の旅人なんか作る必要はないし、いったい何のために生きているのかということになる。


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