息子の家庭内暴力が酷く、息子を殺してしまった父親。
http://www.asahi.com/articles/ASGD35DWNGD3UTIL02M.html?iref=comtop_rnavi_arank_nr01
この事件のことを知って、何ともいいようのない重い気持ちになった。自分の意見を述べるのは非常に難しい事件だけれど、それでも自分の中にある違和感をきちんと形にしなければと思った。
この「妻と娘を守る義務がある」と題された朝日新聞の記事は、三男を殺害した父親を擁護するような内容だが、私は、この書き方にはとても違和感がある。もちろん、当事者でなければわからない事情はあるだろうが、夜、寝ている間に包丁で胸を刺されて死んだ息子が、父親に殺されただけでも絶望的に悲しいことなのに、こういう記事で、仕方なかった死のように捉えられることが、あまりにも気の毒でならない。
この父親は、監査法人の社員(公認会計士なのかどうかは明確に書かれていない)で、周りからは真面目な人と言われている。その真面目な人が、妻や娘を守る義務があると自分なりに答を導き出して行動したのだろうけれど、その答弁を見ると、なんだか卑怯なものがあるような気がしてならない。
「自分は逃げられるけれど娘や母は逃げられない」とか、「息子の報復が恐い」とか、「息子が職場に怒鳴り込んでくることが感じられた」いう言葉が発せられるけれど、まず第一にこれらの言葉に違和感を覚える。
東京地裁立川支部の裁判員判では、懲役3年、執行猶予5年の軽い判決であり、「被告は、被害者の人生の岐路で、父親として懸命に関わってきた」と、裁判長が述べた。もちろん、極悪人の殺人事件ではないし、当事者でないとわからないやむを得ない事情があるとは思うので、懲役の年数とか、執行猶予のことをとやかく言うつもりはない。
しかし、息子の暴力を前に、早い段階で110番をして警察を呼んだり、病院や警察や保健所に相談して、なんとか精神病院に入院させようとし、それが簡単なことではないとわかると、本人や保護者の同意がなくても強制的に入院させることができる措置入院を警察に頼み込んだ。しかし、警察には、この程度の症状だとそれは難しいと云われた。そして、この国の現在の精神医療の仕組みでは、自分と自分の家族は救われないと思いこんで息子の殺害を実行した。こうした父親の証言は、色々と手を尽くしたがどうにもならなかったというふうにもとれるが、この国の現在の精神医療の仕組みでは云々と、原因を自分ではないところに置いていて、体当たりで子供にぶつかっているようには、あまり感じられない。
娘や母親が危ないという理由なら、なぜ、娘は家を出ていないのか、それが無理なら母親と娘が家を出て、自分が息子と二人で生活してもよかったではないか。この父親は、息子のことを精神病だからもはや自分には手に負えないものと決めつけ、息子がそうなった理由が自分にもあるとはまったく思っていないようだ。この父親は、「よく一緒に勉強した、二人三脚で大学受験に臨んだ、一緒にプラモデルを作った、友人のように仲がよかった」と証言しているが、自分としては、絵に描いたようないい家庭を作っていたけれども、不幸にも息子が精神病になってしまい、精神病院が受け入れてくれず、だから自分と家族は救われないと思い、警察沙汰になると息子に復讐されると思い、寝ている間に殺してしまった、ということになるのだろうか。
もちろん、世の中には、とてつもなく酷い父親もたくさんいるので、この父親のことを強く責める気持ちはない。しかし、こうした父親の証言で、「愛する子供を殺したのは・・・日本中を泣かせた父親」などhttp://japanese.joins.com/article/599/193599.html と取り上げられるのは解せない。父親に殺された悲しい息子の28年間の生は、「仕方ないよ」と、社会的にも抹殺されてしまった。
朝日新聞も、父親が何度も精神病院に入院させようとしたけれどそれができなかったという事情を克明に取り上げているので、実態をよく知らない人は、日本の精神病院が未整備であるために事件が起きた、だから国は、こうした事件を失くす為に、精神病院を増やさなければいけないと考えてしまう人がいるかもしれない。
しかし、日本は、世界で突出して精神病院の入院患者が多い国であるということを知っていなければならない。
http://www.siruzou.jp/seikatu/12074/
この資料を見ると、その数は異常で、全世界の精神病の入院患者の5人に1が日本人ということになる。一般病棟の精神科も含めたベッド数は34万4千でダントツの世界一。人口1000人あたり2.7床で、1000人あたり1床を超えるのは、オランダ、ベルギー、日本だけで、2床を超えるのは日本だけ。アメリカ、ドイツ、カナダなどは、0.5床で日本の5分の1。
だからといって日本人に精神病を患う人が多いというわけではない。メンタルヘルスの有病率は8.8%で、イタリアの8.2%についで低く、アメリカは日本の3倍の26.4%、フランスは、18.4%だ。
また、日本にある全ての疾病の病院のベッド数のうち、21.7%、つまり5人に1人が精神病用のベッドだ。
そして、一度入院すると退院しない。イタリア、ドイツ、フランスあたりは、平均1〜3週間程度なのに、日本は、平均でも150日を超える。
世界では、社会の中で生活しながら回復を目指すのが普通だけれど、日本では病院に閉じ込めておこうという考えが強い。家族が引き取りたくない、ケアができないという理由で入院させられている患者が、世界の水準から見ると異常に多いのだ。
そういう事情を見ると、今回、医師や警察が、父親が懇願するにもかかわらず息子を強制的に精神病院に入院させなかったことに問題があるとは言い切れない。
精神病院に入れるのは、治すというより、家族が厄介者を病院に押し付けることにすぎないケースが多いからだ。
このたびの事件でも、父親が息子が暴れるのを見て110番しても、警察が来るとすぐに息子はおとなしくなった。だから警察は強制的に精神病院に入院させることはできなかった。それでも父親は、医師や警察に対して息子を精神病院に入院させるように懇願し続けた。息子は、ますます警察のいないところで暴れた。息子は、父親の逃げの気持ちを薄々感じていたのではないか。
父親は、息子のことを、かつては一緒にプラモデルを作るなど一番の話相手で、友人のような存在だったと言う。
しかし、息子と友人のように仲良しでいることが父親の責任なのだろうか。仲良しでいられる時は、お互いに心地よいだろう。そうして、息子は家が心地よく、ずっと親と同居することになる。
父親も、自分に懐いている子供は可愛い。けれども、その子供が家で暴れるようになって手に負えなくなると、こんな筈ではなかったということになる。
この父親は、母親や娘を守る責任を自分が果たすためと言っているが、母親と娘は家を出てどこかで暮らし、自分と息子だけで一緒に過ごすという選択肢もあった筈で、そうしなかったわけだから、本当は、自分自身が息子を恐れていたか、二人きりで向き合い続けることから逃げていたのではないか。
父親は、裁判の場でも、「今から思えば、三男を家族への暴力行為で訴え、世の中の仕組みの中で更生の道を歩ませるべきでした。三男の報復が怖くても、三男のことを思えば、そのように考えるべきでした」と述べている。
殺してしまった後に、「今から思えば、三男を暴力行為で訴えるべきだった」と言うのだが、それだと、厄介者を片付ける方法を間違ったという風に私には聞こえてしまう。社会的には正しい答であっても、息子を殺した親の言葉としてどうなんだろう。
どんな事情があろうと、寝ている間に息子を殺すくらいならば、自分が死ぬ覚悟で、全身全霊で闘いを挑んでもよかった。実際にやるかどうかは別にして、それくらいの気迫で正面から受けて立つことができずに、色々な意味で窮地に陥っている子供を救えないのではないか。
「子供の暴力にさらされていないからそう言える」とか、「自分がそういう立場になったらそうは言えない」とか、色々な批判を受けるかもしれない。しかし、誰しも今回の事件は自分とは無関係のことと言えない。いつ何かしらの事情でこういうことが起こるかもしれない。息子が暴力をふるうのではなく、息子が暴力にさらされる局面に陥ってしまうかもしれない。そういう時に、父親は男としてどういう風に行動するのか、どういう覚悟をもって対応すべきなのかということは、その時になって急に考えても遅い。今この瞬間にも、その覚悟を決めておかなければならないと思う。
そして、そのように父親の男としての覚悟ということを考える時、この殺害者である父親が口にしている『プラモデルを一緒に作るなど友達のように仲のいい親子」という父親の在り方が、父親としてあるべき姿なのかということも考えなければならない。
そんな幸福を絵に描いたような家庭が、子供が育つうえで理想だとは言い切れない。
子供がずっと家にいたいとは思えなくなるような雰囲気を作ることも親の重要な役割なのではないか。
最近、テレビの動物のドキュメンタリー番組で、子供が小さい頃、せっせと餌を運んでいた親鳥が、突然、餌を取りに出かけなくなる。子供は腹をすかせてピーピーとうるさいが、親は無視し続けている。それは子供が巣立つことを促しているのだ。そうして親がまったく餌を運んでくれる気配すらないことを知って、空腹に耐えかねた小鳥達は、恐る恐る自分の羽で飛び出していく。その番組を見ている時、子供が巣立つべきタイミングというのを知っている親鳥はすごいと思った。そのタイミングを逃してしまうと、子供は、もう空に飛び立てなくなってしまうのだ。
非情のようだけど突き放すこと。子供の巣立ちのタイミングをしっかりと把握していることこそが、愛なのだろうと思う。いくら一生懸命に育ててきても、そのタイミングを心得ていないと、親は子供を見殺しにしてしまう。というより、その巣立ちの為に親は子供を一生懸命に育てるのであって、一緒にプラモデルを作る仲のいい友達のような関係の継続が、親の務めではないと思う。というか、そんな”しあわせ”は、幻影なのだ。生きることは修羅であり、父親は、修羅を生きる覚悟を子供に伝えていくことが責任だと思う。
この事件は、子供をどう育てるかという一般的な話ではなく、この殺された子供は精神の障害者なので例外であり、精神病を受け入れる体制が整っていなかったことによる悲劇というふうにすりかえられてしまいそうだが、そういう処理の仕方は、何の解決にもならないだろう。
新聞記事のなかで、殺された息子は、「都立校2年のとき、精神の障害と診断され、通信制高校に移ったが、その後、浪人生活を経て大学に進学して、就職した。しかし仕事がうまくいかず、職を転々した」と書かれているが、この一文で、この子供にはもともと精神病の素質があったのだと思ってしまう人がいるかもしれないが、そんな単純なものではない。
中学校、高校の時に、この子供のように精神的な危機に陥り、精神の障害と診断される子供は多い。実際に、最近、取材した高校も、そういう子供達が集まっていた。しかし、先生をはじめ周りの大人達が真正面からぶつかることで、健やかになって社会的にも逞しく生きていけるようになった子供達もたくさんいるということを知った。
近年、私が取材した高校のように人間関係を通して子供達を救おうとする学校以外に、今回の事件で殺された息子のように、高校卒業の単位を取得するために、通信高校を利用するケースもたくさんある。
通信高校にも色々なメリットがあるのだろうけれど、どうしても人間関係が希薄になる。人間関係というのは、単に仲良くすることではなく、衝突したり、調整したり、やりすぎたことを後悔したり、反省したり、色々な経験を積み重ねていきながら、わからないものはわからないまま、思い通りにならないものがあっても、何とかせざるを得ないという落としどころを掴んでいく大切なトレーニングの場だ。そういうトレーニングこそが生きていくうえでもっとも大事なものであると弁えていたら、親は、子供に高校卒業のための通信教育を受けさせるだろうか。
今回の事件で28歳の息子を殺した監査法人の社員(公認会計士?)であるという父親は、息子を精神病院に入院が必要な重症患者と決めつけ、自分にはよくわからないものを相手に、焦り、憂鬱になり、不安でいっぱいだったろう。そして、その状況を打破するために、自分にとってわかりやすい論理を作って、対応した。その論理というのは、「今の制度だと自分と自分の家族は救われない。自分には家庭を守る責任がある。だから息子を殺す」というものだった。そして、今となって、その行為が間違っていたと反省しながらも、「三男を家族への暴力行為で訴え、世の中の仕組みの中で更生の道を探るべきでした」と言う。この人にとって自分が理解できる論理というのは、やはりあくまでも、息子は異常者で、その異常者の問題を解決する手段をどうすべきかなのだ。
人間は、他の生物よりも大脳を発達させ、発達しすぎた大脳のバランスを崩しやすい。だからこそ、それに備えるための他の生物にはない方法も生み出している。人間関係というのはその一つだろう。人間関係によって大脳のバランスを崩しやすい。だからこそ人間関係を通して、自分の思いどおりにならないことをたくさん経験させて、耐性をつけて将来に備える。それは、子供の教育において、もっとも忘れてはならないことだと思う。
今回の殺人者である父親は、息子の異常性を強調するが、自分こそが、自分の思い通りにならないことに対する耐性が弱かったことを自覚できないのだろうか。そして、息子の成長過程において、その耐性をつけさせるために親として何ができていたのかをふりかえらないのだろうか。
殺した息子と添い寝したとか、他人の同情を誘うような描写は、この問題の本質ではない。誰しも子供を愛しているのは間違いなく、憎んで殺したのではないということを、わざわざ強調する必要なんてない。
そして精神病の受け入れ体制のことでこの問題を片付けてしまったら、いざ自分が同じような局面に陥ると、この事件と同じようなジレンマに陥るだけで、何の解決にもならないだろう。
ニュースは、「周りの人達が、ヘルプの信号をキャッチしなければいけませんね」と当たり障りのないことを言うが、周りに期待しても結果的に無理な可能性が高いのなら、自分がいざそうなった時にどうするかという覚悟を持っていた方が賢明だ。「周りの人達が・・、社会が・・、国家が・・・」という言い方は、誰にも批判されない無難な言葉にすぎず、ニュースを右から左にながしていく常套手段であり、本質的な解決にはつながらない。
森永純写真集「wave 〜All things change」→
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