健やかさと、老いることの意味

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(撮影/山下大明)

「森の中で世代をひとつの身に纏う杉を見ていると、老いることの意味やその大切さに気づかされる。森の中で倒れ朽ちていく倒木の上に育つ樹々が、なんと多いことか。森は、朽ちていった樹々の上に成り立っているといえる。」 山下 大明(写真家)


 5月6日(月)、荻窪の六次元で、山下大明さんと私とでトークショーを行います。お申し込みは、こちらまで→http://www.6jigen.com/
 山下さんは、屋久島の生態に惹かれ、この島に住み着いて20年以上になる。その間、屋久島の自然と対話を重ねながら、写真を撮り、自分の思考を深めてきた。
 老いることの意味やその大切さ。そして、倒れ朽ちていく倒木の上に育つ樹々。生の健やかさの本質は、きっとそういうところにある。
 子供が健やかに育つようになどと言い、子供の安全、安心な環境づくりに努めるのはいいのだが、子供は、大人である私達自身の上に根を張っていくのだということを忘れてはならない。子供の精神は、私達大人の精神から養分をすくいあげながら育っていくのだ。
 「子供達の為にこの国を守らなければならない」と口で言うのは容易い。そして、守る為だと言いながら、他国を非難するのも、そんなに難しいことではない。自分自身を振り返る必要はないのだから。
 一番難しい選択は、自分自身を耕すことだ。子供達が、自分に根をおろしたとして、そこからどんな知恵や精神という養分を吸い上げることができるか。子供の生命力を高めるような土壌を、はたして私達大人は、自分の中に作り上げているか。
 「子供の為に」という言葉を使って、自分の方に向けられる視線を逸らさせることは大いなる欺瞞。
 子供に対して、「オマエの為だ」などと言いながら、大人が、人間として恥ずかしい方向へと歩んでいても、子供は、大人のことなんか信用しない。そんな大人を自分の土壌にしようなんて思わないだろう。
 近年にかぎらず、私が20歳頃の時でも、若者は根無し草のような感覚で生きていた。それに対して、大人は、「最近の若者は・・・」と批判したりするわけだが、若者が根無し草になるのは、大人の土壌が、根を下ろすに値しないことも原因なのだ。
 北朝鮮、韓国、中国云々と、自分以外のものに目を向けさせられる材料は事欠かない。
 しかし、状況がどうであれ、まずは自分を耕すこと。一生かけて、思考し続け、学習し続け、子供が根を下ろせるような土壌を自分の中に作ること。それが、子供より人生を長く生きてきて、子供世代より先に死んでいく大人の責任だと思う。



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