第1044回 日本の古層 〜相反するものを調和させる歴史文化〜(2)

f:id:kazetabi:20190228105632j:plain

古代からの聖地、ヤマトの三輪山の麓にある巨大な前方後円墳箸墓古墳古墳時代初期、3世紀末から4世紀初頭)

 第125代天皇の譲位の日が近づいている。

 地上の権力者が誰になろうが関係なく、古代から連綿と続いてきた天皇制という日本特有の権威システムの不可思議さ。 

 飛鳥時代歌人柿本人麻呂は、軽皇子(後の第42代文武天皇)と阿騎の野に出かけた時に詠んだ歌に、天皇に関する言葉がある。 

 

やすみしし わご大君 高照らす 日の御子(みこ) 神ながら 神さびせすと・・・

 

 「やすみしし」というのは、「四方八方を知る」ということで、「わが大君は、くまねく国土全般を明るく照らす太陽であり、実に神々しい」という意味であろうか。

  前回の記事でも書いたが、日本の天皇制は、中国の支配者のように世俗の実権と権威の両方を握って国を支配するのではなく、地上を照らす太陽のように、世俗の権力者が入れ替わっても変わることのない神聖な権威によって国を修めるという特有の在り方で、人類史上稀に見る長期間にわたって続いてきた。

 天皇は武力で威圧して國家を管理しているのではなく、太陽の神の御子としての神聖なる権威によって国を治めていて、その権威の根幹は、四方八方に通じて天神地祇を祭られる<天皇の祭祀>なのであり、これは今も変わらない。

 そして、これは大事なことだが、連綿と続いてきた天皇の権威というのは、天皇家万世一系であるとか、純粋の日本人だからということではない。

 天皇家の血筋は、第26代継体天皇(在位507〜531)の時に変わっている可能性が大きいし、第50代桓武天皇の母親の高野新笠は、土師氏と百済系渡来人氏族のあいだの娘である。また、第59代宇多天皇(在位887〜897)の母である班子女王(はんしじょおう)の母は当宗氏であり、渡来系の東漢坂上の一族である。

 そもそも、聖徳太子の時代の飛鳥地方は、道ゆく人は渡来人の方が多かったくらいなので、純血の日本人という概念は意味がないのだ。

 相対するものを調和させてきたのが日本的システムであり、天皇制という権威システムは、その中心にある。この調和のシステムを作り上げたのは、純日本人ではなく、相対するもの同士の知恵の寄せ集めだろう。 

 この日本的システムがどのように整えられていったのかを深く理解せずに、今そしてこれからの自分たちの在り方を考えることはできない。いつまでたっても、欧米からの新しい情報知識の後追いすることが次の時代につながるという感覚でいると、思想的にも、感受性としても、日本の精神的風土が貧相になるばかりであり、価値観の拠り所を失い、アメリカや中国の動向に神経質になりながら、その駆け引きに巻き込まれ、煽動され、国を滅ぼす選択を強いられる可能性もある。

 戦前の皇国史観の過ちのトラウマが依然として残り、さらに、神の国という単純化された国家神道の亡霊を、この時代においても呼び起こそうとする空疎な人々が相変わらず存在しており、さらに流行のグローバリズムの影響で、日本の歴史に向き合うことが、古ぼけて偏狭な価値観の持ち主であるかのような誤解がある。

 果たして、そうだろうか? 物事の本質と向き合わず、他人の知識や情報や考えを右から左に流すばかりで、言動が散漫で一貫性がなくなっていくのは、世界のことや歴史の本質に向き合って自分の頭で考えていないからではないか。

 歴史の謎と向き合うというのは、邪馬台国がどこにあったかを議論することだけではなく、日本という精神的風土の成り立ちや、その風土で育まれてきたものの本質を探ることであり、それは、自分の思考や価値観、世界観や人生観に責任を持てるようにするためだ。

 天皇の譲位という歴史の節目において、そのことを改めて認識するとともに、考えれば考えるほど、知れば知るほど、謎と驚きに満ちた日本の古代を探っていきたい。

 最先端のテクノロジーによる太陽系探査の新情報にも胸が踊るし、若い頃から続けてきた世界の秘境地域、極北やサハラ砂漠熱帯雨林や野生動物の楽園への旅も魅惑的だが、地球儀で見ればあまりにも小さな島国なのに、未だ十分に知ることさえできていないこの国の歴史文化の地層こそが、今、もっとも心を惹きつける。

 近年になって、あまり大きなニュースにならないのが不思議なくらいだが、巨大な古代製鉄跡の発見とか、歴史が書き換えられるような大発見が次々と起こっている。

 日本の古代は、これまで教科書でならってきたものより、はるかにダイナミックで、システムとしても精巧で、麗しいものだったような気がしてならない。

 考古学も、文献学も、様々な角度から探求を続けているが、時代が進むにつれて真理に近づいているのではなく、実証主義にとらわれすぎるあまり想像力が萎んでしまい、次々と出てくる新たな実証の後追い分析を繰り返しているうちに、思考の迷路に陥り、縦割り行政のように狭い領域に閉じ込められ、総合的な推論ができない状態になってきているようにも思われる。

 一方、依然として不確かなことの方が多すぎるにもかかわらず、伝統にあぐらをかいただけの相続者、歴史趣味人、文化通が、教養人の代表として、各種の文化イベントに繰り返し登場する。クイズ番組のように、それらしい解答で、”すっきり”としたい大勢を満足させるために。

 長い年月を経て積み上げられてきた歴史文化は、現代的価値観で”すっきり”と整理できるものではない。

 しかし、ミステリアスなものほど、人は惹かれる。

 日本の文化史上、もっとも長く、多くの人々に愛され、影響を与えてきたものの代表が、『源氏物語』であり、それは、この小説が、華やかな宮廷生活を描くだけでなく、随所に怨霊が登場するなど、人為を超えた力が多く描かれ、人間存在の不確かさ、その宿命の受け止め方が人によって様々で、自分に引き寄せて色々と考えさせられる余地があるからだろう。

 日本の文化史上、もっとも重要な作品であるにもかかわらず、触れようともしない人が大勢いるのは、一千年も前の話だから自分と関係ないと思う人が多いからだ。それゆえ、その魅力もわからない。読んだわけでもないのに、女たらしのプレイボーイの話だと信じ込んでいる。

 伝える側にも責任があるのだが、いずれにしろ残念なことだ。

 『源氏物語』に限らず、多くの日本文化が、現代の価値観で都合よく整理されて、その本質から遠ざけられ、単なる美術館の展示物になって、間に合わせの解説文を添えられているが、それを消費することが現代の文化教養となってしまっている。

 経済の問題も大事かもしれないが、本当の意味で、文化の問題が、かなり危機的な状況かも知れない。

 文化の不毛は、じわじわと、人の心を蝕んでいくから。