第1092回 恐怖の正体!?

 
 あいかわらず日本のメディアの情報提供は画一的なままだ。
 新型コロナウィルスの騒動が3ヶ月を超え、いろいろな傾向が具体的に見えてきている。そうした具体的な事実を無視して、感染が広がれば致死率の高いウィルスによって、何十万、何百万の死者数が出るという抽象的な扇動をいつまで続けるつもりなのか。
 
  世界各国で、新型コロナウィルスの抗体検査が広がっている。

 アメリカでは、歌手のマドンナが抗体検査の結果、すでに感染していて抗体をもっていることが判明し、嬉しさのあまり浮かれた発言をして顰蹙をかっている。

  WHOは、「抗体を持っていたとしても2度と感染しないとは言い切れない」と、躍起になって、抗体検査の広がりを牽制している。

 しかし、抗体検査は、感染リスクのない人を探し出すためというより、このたびの新型コロナウィルスの脅威が実際にはどれほどのものかを知ることにおいて意味があるのではないかと私は思う。

 専門家の先生方は、このウィルスは致死率が非常に高く、重症になる人は20%にも及び、このまま感染者数が拡大していけば日本では80万人の人が亡くなる可能性がある、などと言って、恐怖を煽る。このあたりの数字は、色々と変わるので正確ではないが、とにかく致死率が高い、だから感染拡大を防ぐことが大事だという一色に染まり、毎日のように感染者数の数ばかりが詳細に報告され、今日は何人増えた、というニュースばかりになる。

 そして、その感染者数の増大を抑え込むために、仕事は制限され、外出や移動の禁止、それに関する同調圧力の強い状態になっている。

 しかし、100人の感染者数が確認されましたと大騒ぎする時、実際に、そのうちの何人が無症状なのか、年齢層がどのくらいなのか、そして、亡くなった方の持病などはどうなっているのかといった詳細がまったくわからない。

 今日は80人の感染で昨日より少し減りました。今日は150人の感染と倍増しました。そんな数の発表ばかりがずっと続けられている。同じ日、60人が自殺で亡くなっていても、そのことについては一切のニュースはなく、80人の感染者(そのうち無症状が大半)が出ただけで大きなニュースになっているという不可思議な現象。

 そして昨日、インドネシアのバリ島在住の知人から、こんな衝撃的な情報が届けられた。

 私としては、これまでブログなどにも書いて予測していたことだが、それがどうやら事実でありそうな情報だ。

 バリ島の観光客の訪れない田舎において、海外の出稼ぎから帰ってきた一人がコロナウィルスに感染していることがわかり(症状が出たので検査した結果)、政府は、その孤立した村の住民すべてに感染を広げた可能性があると判断し、抗体検査を行ったようだ。

 その村の人口は2640人で、順々に1210人に抗体検査を行ったところ、無症状だった人の443人に反応が出た。そのうち症状のある人は8人だけだったらしい。

 出稼ぎから感染者が帰ってきてから、そんなに日数が経っていないのに、なぜそんなに短期間のうちに抗体を持っている人が増えているのか明確な理由がわからないが、8人の症状のある人を除いて、大半の人が、まったく気づかないまま過ごしている。そして、それだけの感染者がいるのに、死者がいるわけではない。

 専門家は、このウィルスの致死率の高さだけを強調するが、具体的な数字を丁寧に見ると、その実態がわかる。

 年齢層で、致死率の違いがはっきりしている。若い人でも重症化しないとは限らないと抽象的な表現で警告するが、実態を正確に見て判断した方がいい。 

 政府は、日々、感染者数ばかり伝えて、死者の詳細を伝えてくれないので、このデータは、感染による死者が263人の段階だが、

30歳までは、感染者数は3000人ほどいるが、死者はゼロ。

30代は、2000名ほどの感染者で死者は2名。

40代は、2200名ほどの感染者数で死者は5名、

50代は2400名弱の感染者で死者は12名。

60代は1600名の感染者で死者は29名、

70代になると急激に増えて、1260名の感染者で死者は75名。

80代以上は、1060名の感染者数で死者は140名。

となる。

 つまり、40歳以下の致死率は、0.0004%であり、60歳以下でさえ、0.002%。それに対して、70歳以上の場合は、9%ということになる。

 この数字でさえ、感染の症状のある人のうち、どれだけの人が亡くなったかという数字であり、感染者全体の致死率ではない。感染していても無症状の人が、この何倍、何十倍といる可能性が強いことが、現在進められている抗体検査によって、わかってきたからだ。

 専門家は、若い人でも感染して死ぬリスクがあると煽るが、若い人の実数は限りなくゼロに近い。だからといって若い人は気を緩めていいということではなく、持病のある人や高齢者と、いかにして距離を置くかということを具体的に考えて実践すべきなのだ。若い人が感染すると高齢者にうつるので若い人も感染しないように注意しなければいけないというのがこれまでの論理だが、注意していても多くの人が感染してしまっているという事実から、対策方法を考えた方がいいのだ。

 また、若い人でも重症化リスクがあるという抽象的なことではなく、どんな若い人が危険なのか具体的な数字で示した方がいい。若い人でも、糖尿病など持病を抱えている人だって存在するのだから。

 とりわけ、現在、世界中でももっとも深刻な事態となっているアメリカは、主に清涼飲料水の消費が多すぎるゆえの若年層の糖尿病の増大が問題となり、全ての小中学校内での炭酸飲料水の 販売が禁止となっている。

 アメリカの中でももっともウィルスのダメージの大きなニューヨーク市では、あまりにも糖尿病患者が多いので、2012年、16オンス(日本の500ml缶)を超える清涼飲料水や砂糖入りコーヒーや紅茶の販売を市内で禁止すると発表した。この規制は 2013 年3月 12 日に施行される予定だったが、米国飲料協会が 2012 年 10 月に提訴するという事態となり、ニューヨーク州が敗訴してしまったこともあった。

 我々日本人の感覚では500mlでも十分な大きさだが、アメリカ人は特大サイズの砂糖がたっぷり入った清涼飲料水を、毎日の食事などでも当たり前のように飲んでいる人が多い。

 そのため、少し以前のデータではあるが、ニューヨーク市の成人の 58%は肥満か糖尿病を有し、公立高校生のうち約 40%が肥満。糖尿病による死亡者は年間 5800 人、そのうちの 2000 人が 70 歳以下で、ニューヨーク市の成人の8人に1人は糖尿病である。 ニューヨーク市では年間 1700 人の人が糖尿病で亡くなり、2600 人が足の切断で入 院している。となっている。

 もちろん、糖尿病などの持病だけが新型コロナウィルスによる死因とは言えず、たとえばイタリアでは、4月26日のニュースでは17000人の医療従事者が感染し、医師だけで日本全体の感染者の40%にもなる150人が亡くなっているが、激務のなかでの睡眠不足、ストレスなど、免疫力の低下も原因ではないか。

 新型コロナウィルス騒動が3ヶ月以上に及び、世界中の様々な地域において傾向の違いが出てきている。

 専門家は、このウィルスは、人種や地域性、気候に関係なく、普遍的に殺傷力があると主張するが、未だ死者数がゼロという国は、たとえばラオスカンボジアなど東南アジアやアフリカ、発展途上国に多い。こうした発展途上国は医療体制が整っていないので、感染が広まったら地獄絵図のようになるというのが専門家の見解なのだが、実際には、なかなかそうはならない。

 それは、上に述べたバリ島のケースのように、とくに糖尿病などの持病のない人は、感染しても無症状ですんでいるからかもしれない。 

 そして、それらの国は、平均寿命も低く、50代もしくは60代前半だ。

 先進国のように、毎日、血圧や糖尿病の薬がなくては生きていけないというコロナウィルスに感染したら命を奪われるような人が、これらの発展途上国には存在しないのだ。そういう人が仮にいたとしても、毎日、薬を飲めるような環境ではないので、既に亡くなっている。

 発展途上国にも高齢者はいるが、そういう人たちの多くは食生活が良かったり肉体労働で日光を十分に浴びていたり免疫機能も健やかで、だから感染しても亡くなる比率が低い。

 こういうことを書くと、かなり顰蹙を受けることは承知だが、このたびの新型コロナウィルスの騒動は、現代文明社会に対する大きな皮肉になっている。

 現代文明社会の定義はいろいろあるが、一つ大きなポイントは、「不健康な状態でも薬などによって長く生きながらえる」ということだ。そうした医療体制を備えているかどうかが、文明かそうでないかの指標になっている。

 そして新型コロナウィルスは、そうした不健康に対して、容赦がないのだ。

 ウィルスは、映画の影響もあるのか殺人兵器のような印象を持たれているが、ウィルスの生存戦略は寄生する相手を殺すことではなく、共生することだ。そうしないと、ウィルス自体が死に絶えてしまう。その共生戦略によって、ウィルスは、人類史よりも長いあいだ生き残ってきた。

 ウィルスの感染力の凄さが強調され、その恐怖が煽られているが、おそらくウィルスは、人間には理解できない方法であっという間に人間に感染しており、感染している人間も、まったく気づかないまま過ごしていて、本来ならばそれで何も問題ない。

 今回のコロナウィルスにかぎらず、これまでのインフルエンザにしても、無症状の人も含めてどれだけの人が感染しているか具体的に調べていないだけで、既に多くの人が感染してしまっているというのが本当のところではないか。

 新型コロナウィルスは、本当は人間と共生したくて人間の体内に侵入したのに、それが、毎日、薬を必要とする人であったりした場合、感染した相手も、感染したウィルスも死んでしまうというケースがかなりある。(それでも、実際の致死率はかなり低そうなので、生存できているものの方が圧倒的に多い)。

 今回の新型コロナウィルスの騒ぎのなかで引き合いに出されるのが、1918-1920年に世界各国で多くの死者を出したスペイン風邪だが、あの時も第一次世界大戦の途中と、その直後の流行であり、世界中の人々が特別に例外的な状態に置かれていたことは間違いない。

 それはともかく、上に述べた文明の一つの定義、「不健康な状態でも薬などによって長く生きながらえる」ということが、とくに北欧など冷徹な判断をする国々の中から、少しずつ修正が加えられつつある。

 スウェーデンは、以前は高齢者が食べられなくなると点滴や経管栄養を行っていたが、近年は行わず,自然な看取りをするようになっている。

 終末期高齢者に人工栄養を行うのは,非倫理的(老人虐待)という考えもある。

 また安楽死を合法とするオランダでは、新型コロナウィルスに感染した高齢者に対する救命措置をめぐる議論が続いている。

 アムステルダムの医療専門機関「緩和ケア専門知識センター」は、かかりつけ医らに、「余命が1年未満だったり慢性的に体が弱かったりする患者を集中治療室に運ばないとする基準を再確認し、内容を患者にも伝えるよう要求した。さらに「集中治療室医組合が3月に感染拡大時の医療崩壊を避けるため、救命対象基準を『80歳』とする指針を作り、後に『70歳』に引き下げていたことも判明した」(同)。

 また、オランダは安楽死が認められているので、年齢を考えると集中治療室に入れたとしても生き残れるとは考えられないから、安楽死を選びたいという高齢者もいるようだ。

 (4月18日朝日新聞、4月21日、PRESIDENT記事より)。

 スウェーデンは、世界中が新型コロナウィルス騒動の巻き込まれるなか、ロックダウンに頼らない独特の対策を続けており、周辺の欧米諸国が戒厳令のような厳しい措置をとるなか、16歳未満の子どもたちは普通に学校に通っているし、レストランやバー、カフェやナイトクラブも着席スタイルのサービスは許されており、買い物は普段どおりにできる。

 もちろん、スウェーデンでも、コロナウィルスによる死者は出ており、30日の時点で、死者数が2462人にのぼる。スペイン、イタリア、フランスなどに比べれば圧倒的に少ないが、感染が報告されている人数、2万1000人に対する死亡率が高いので、アメリカや中国などよりも死亡率が高い、スウェーデンは人体実験をしていると世界の良識人から非難されているのだ。

 それに対して、スウェーデン公衆衛生局の疫学者であるアンダース・テグネルは4月下旬にBBCラジオの番組に出演し、「我が国の死者のうち少なくとも半数は、高齢者施設の中で集団感染した人々だ。封鎖をすれば感染拡大を阻止できる、という考え方は理解しがたい」と反論している。

 つまり、合理主義の徹底しているスウェーデンは、高齢者以外は自由に活動させ、施設内の高齢者がある程度亡くなっても仕方がない、という対策方法をとっている。

 もちろん、施設内の高齢者が死んでもよいという考えではないが、高齢者施設で働いている人は、ふだんは街中に繰り出して普通に生活しているから、彼らが、施設にウィルスを持ち込む可能性は高い。しかも、施設で働いているスタッフの大半は、スウェーデン語があまりできない外国人労働者なのだ。

 それでも、スウェーデンは、街中で健康な人たちが自由に交流し、その中で感染が広がっても、その人たちの中で重症化する人はほとんどいないという見通しで、そのことによって施設の高齢者が死に至ることがあっても仕方ないという独自の対策を続けているのだ。

 仕方ないというのは、おそらくであるが、たとえロックダウンをしたところで、施設を支えているスタッフの大半がスウェーデン語のわからない移民であることを踏まえれば、周知徹底は難しく、彼らが働く施設内で決して健康とはいえない高齢者が感染して死に至ることを完全に防ぐことはできないわけで、にもかかわらず、「弱者を守る」という善意でそれを強行することの社会的ダメージが大きすぎるという判断だろう。 

 若き環境活動家グレタさんが、「具合が悪いから、もしかしたら感染しているかもしれないけれど、家にこもっている」とツイートしていたが、グレタさんのような人たちは、報告されている感染者にカウントされていないので、スウェーデンの感染率が高すぎるという攻撃は、実情に即していない。

 スウェーデンが、躍起になって犯人探しのようにコロナウィルス感染者を追っていないだけなのだ。

 もちろん、こうしたやり方に対して、一部の学者が異論を唱えているのは、世界中で同じ傾向だ。

 しかし、同調圧力のようにすべてが足並みを揃えるのではなく、こうした独自の対策をとり続けている国があることで、今回の新型コロナウィルスの傾向が、少しずつ読み取れるようになってきてはいる。

 にもかかわらず、日本での報道は、あまりにも画一的で、「今日、何人の感染者が出ました」ということが強調されるばかり。

 そしてこの感染者数が1日あたり100人を切ってこないとダメだと専門家が主張し、「専門家の先生とよく相談をして決めます」と自分に責任が降りかからないような答弁しかしない国のトップのもと、仕事を再開できる日は遠のくばかりと沈鬱な気分だけが蔓延していく。

 首相が頼り切っている専門家の中に、総合的に、多角的に状況を判断できる人がどれだけ含まれているのか?

 新型コロナウィルス感染症対策専門会議は、医学的な見地から適切な助言を行うことを目的としてメンバーが構成されている。

 つまり、ウィルスの感染を防ぐことと、その治療の専門家だ。

 感染しても無症状や軽症が圧倒的に多いのだから社会的にはそれ以上に憂慮すべき問題があると意見を出す人や、治療をしなくても自然に治っていく人がかなり多いという事実に着目して総合的に判断するような人は、専門会議のメンバーには入らない。

 そうすると、そこで議論される内容と判断は、決まり切ったことになる。

 専門会議は、そういうメンバーで構成されているから、それでいい。問題は、その専門家会議からあがってきた見解と、それ以外のことを考え合わせて、総合的に判断して全体の最適化をはかるのが政治なのだけれど、我が国の首相は、「専門家の先生がたのご意見をお聞きして」としか言わない。専門家の方々の見解は、政治家として判断するうえで一部の材料のはずでなければならないのに。

 それゆえ、残念ではあるが、日本は、欧米に比べて圧倒的に感染による死者数が少ないが、その事実に即した対応を独自に作り出すという芸当はできないだろう。

 日本よりも遥かに死者数が多い状態が続いているフランスやドイツなど各国の政治のプロ達が、苦渋の思いで総合的に判断し、全体の最適化をはかるうえでこれしかないと決断し、政治リーダーが自らの政治生命を賭けて実行していく内容を、日本の政治家は、盗み見るようにして、間違いだと言われないような判断と決定を後出しジャンケンのようにしていくことになるだろう。

 日本社会において、賢明という言葉は、そうした責任回避力のことを指す。

 新型コロナウィルスの死者を抑えるということだけにおいては、現状でも十分に少ないのだが、そういう小心者ゆえの”賢明”なリーダーシップでも間違いはないかもしれない。しかし、責任回避だけを重視した対策で、それ以外の分野にどれだけ計り知れない影響が出てしまうのか、そちらの方が心配だ。

 3月だけで自殺者は1700人にのぼるが、リーマンショックの時も、自殺者が急増した。日々のコロナウィルスの死者数よりも、日々の自殺者数の方が圧倒的に大きいのに、誰もそのことを伝えない。

 コロナ騒動が始まり、3ヶ月を超えて、色々な傾向が見えてきた。

 それらの傾向を踏まえれば、やるべきことの方向性も自ずから決まってくる。

 日本は、北欧のような冷徹な判断をする国ではない。弱いものから助けるという良心が強く残っている国だ。

 しかし、だからといって全てを閉じ込める必要なんてない。

 持病のある人や高齢者のリスクが高いことは事実であり、問題は、それらの人と、そうでない人の接触を無くすこと。

 抗体検査の結果を見ても、感染そのものを防ぐことはかなり難しいことは明らかなのだから、祖父や祖母と孫や子供達は、しばらく会わないようにすること。自分が若くもなく健康でもないという人は、できるだけ外に出たり、人と接しないようにすること。

 施設などで、高齢者や持病のある人と接する必要のある人は、すぐにでも抗体検査を行い、感染状態を把握したうえで、それらの人たちと接する場合は、万全を期すること。

 など、具体的なやり方を示すことは可能であり、それが必要な段階にきている。

 全ての地域の全ての人に自粛を命じるような画一的で社会を窒息させるような策は、他の病の原因になるばかりだ。

 

 

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