第1095回 新型コロナウィルス対策。数理モデルと、環境要因の分析。

 今日の新聞も、「新型コロナウイルスの感染者が187カ国・地域で400万人を超えた」という見出しが踊る。 
 しかし、おそらく一般の人々の生理的な感覚では、パンデミックと言われるけどピンとこないという人が増えてきているのではないか。
 ロックダウンされて行動に規制がかかっているけれど、自分の知り合いのなかに感染による死亡者がいるという人が、非常に少ないからだ。
 これまでの日本国内のコロナによる死者は600人。3月だけで自殺者が1700人なので、自殺や交通事故の方が、その影響の範囲内にいる人が多く、死の深刻さを自分事として感じているはず。 
 そうした生と死の現実的なリアリティよりも、数字に追い立てられる切迫感と、行動制限による閉塞感というヴァーチャルな不安が、今回のウィルス現象の特徴だ。
 情報というのは、伝えられ方によって、その印象は、まったく異なってくる。
 今回の新型コロナウィルスにおいて、今から100年前、第一次世界大戦の時のスペイン風邪が、よく引き合いに出される。
 スペイン風邪の死者は、1700万人から5000万人、人類史上最悪の感染症であると。
 そのように聞くと、パンデミック映画で見るような凶暴な殺人ウィルスというイメージができあがり、その殺人ウィルスと新型コロナウィルスのイメージが重ねられる。
 しかし、物事を正確にとらえるためには、情報伝達者は丁寧に情報を伝える必要があるし、情報を受け取る側も、慎重に情報を判断しなければならない。
 私は、長年、雑誌媒体を作ってきたが、そのことを一番重視してきた。見出しタイトルで人を煽るという下品なことは、ぜったいにやりたくなかった。
 スペイン風邪は、誰でもアクセスできる情報からでさえ、その脅威の本質を把握することはできる。 
 後の研究分析で、スペイン風邪のウイルス感染は、それ以前のインフルエンザ株よりも攻撃的ではなかったことが判明しているようだ。
 その代わり、栄養失調、過密な医療キャンプや病院、劣悪な衛生状態が細菌性の重複感染を促進していた。ほとんどの犠牲者はこの重複感染が死因であり、重篤期間はやや長期化することが多かった(ウィキペディアより)。
 もちろん、後世の人間が研究分析することだから全てがその通りかどうかわからない。
 しかし、ウィルス感染による死というものが、ウィルスの攻撃力によるものだけではないという理解の仕方はとても重要だ。
 なぜ、この理解が重要なのかというと、ウィルス感染の死がウィルスの攻撃力とだけつながっているとすれば、ウィルス自体の脅威は普遍的であり、日本の政策決定に影響を与えているという北海道大学の西浦博教授の数理モデルも、ある程度は通用する。
 しかし、ウィルスの感染による死が、ウィルスの攻撃力によるものではなく、他の要因との関係が深いとすれば、他の要因の細かな分析を反映させないと、数理モデルの結果は大きく違ってくる。
 イギリスがこうだったから、たぶん日本も発展途上国もやがてこうなるとは言い切れないということだ。
 100年前のスペイン風邪の場合、細菌性の重複感染が死者と大きく関係していた。そうすると、細菌性の重複感染が引き起こされやすい環境とそうでない環境によって、結果は大きく違っていたということだ。
 そして、その細菌性の重複感染は、栄養失調や劣悪な衛生状態と結びついていた。その環境要因が、第一次世界大戦という特殊な事態と重なることで最悪となり、爆発的な死者が出たということが考えられる。
 今回の新型コロナウィルスにしても、数理モデルが通用するのは、ウィルスの攻撃力によって死者が出るという前提においてのみだ。
 しかし、最近になって明らかになっているように、アメリカやフランスなど世界中で極めて死亡者数の多いところの死者は、40%が高齢施設であること。そして、その死のほぼ100%が合併症であるという事実。
 スペイン風邪の時のウィルスのように、栄養状態や衛生状態が悪いところに莫大な死者が出ているわけではなく、むしろその逆の現象となっていて、糖尿病など成人病の疾患があり、おそらく衛生状態がそれほど悪くない高齢者施設の人が亡くなっている。
 こうした事実の傾向を無視していては、今起こっていることを正しく理解することはできない。
 にもかかわらず、一昨日、テレビをつけたら、政府の新型ウイルス対策専門家会議メンバー、北海道大の西浦博教授が、インタビューを受けて、学校を再開した時のリスクを算出するために、ドイツなどのデータを見ているという話をしていた。 
 この人は、一人の感染者が何人にうつすかを表す「基本再生産数」というものを前面に押し出し、ヨーロッパの感染状況から再生産数を2.5と見積もり、それをもとに、接触8割減など、政府に提言する役割を果たしてきたようだが、履歴を見ると、医者としての現場での活動はほとんどなく、研究者として活動してきて、コンピュータでシミュレーションする「数理モデル」が得意らしい。
 数式を駆使できる感染症の専門家は珍しく、経験や勘に頼る人が多いために、西浦氏は、専門家会議で存在感を増し、政府決定にも大きな影響を持つようになったようだ。
 現場での経験や勘よりも計算の方が説得力のある資料は作れるのだろうが、上に述べたように、こうした数理モデルは、個別の状態や環境要因に関係なく、ウィルス自体の攻撃力によって全ての人類の生命が危険にさらされるという前提条件の時にのみ通用する。
 スペイン風邪のように、今回の新型コロナウィルスの場合も、ウィルスの攻撃力ではなく複合的な要因が人を死に至らしめているという傾向が出てきているのだから、その複合的な要因の分析をまず先にする必要があるのではないか。
 高齢者施設で生活している人の死者が多いという結果を一つとっても、フランスやアメリカと、日本では、その数に大きな違いが出ている。
 日本の高齢者施設と、アメリカなどの高齢者施設との違いがしっかりと分析されているのだろうか。
 その違いを検討することさえやらずに、フランスやアメリカの数字を日本にあてはめ、コンピューターソフトを使って数理モデルを作り、日本も1ヶ月後にはこうなる可能性があるという導き方は、専門家ならではの高度な技で頭の良さそうなパフォーマンスに見えるけれど、実際は、物事を多面的にとらえず、深く考えていないということになる。
 もちろん、こういう時代だから、感染症の専門家にコンピューター分野が得意な人がいてもかまわないが、その人の提言を重視するというのは勘弁願いたい。
 そういう考え方も少しは参考にするという程度で、大局的に判断できる、本当の意味でクレバーな政策運営者が必要なのだ。
 おそらく、地方自治体の長で、本当にクレバーな人は、その土地ごとの特徴や傾向をよく掴めるはずで、非常時の問題への特別な対処と、常時のことをしっかりとやっておかなければ後にもっと大きな問題になるという読みを、経験と勘をもとに、うまくバランスをとっていこうとするだろう。
 今のコロナ騒動は、そうしたクレバーな長が選挙民によって選ばれている地方から鎮まっていくような気がする。
 日本の中央の長は、台湾などと大きく異なり、当人の資質や実績に関係なく党内の力学で選ばれているだけなので、そこのところが日本国民としては辛い。これを機に、地方の時代となっていくのかもしれない。
 数理モデルは、複雑系の中を手探りしながら前に進んでいく時には、まったく役に立たないどころか、むしろ害になる。数字がこうなったらこうするなどというコンピューターシミュレーションは現代のマネーゲームのようなもので、それに従う人が多い場合は、その動きに合わせて株価が連動してくれる。つまりバーチャルな世界にだけ通用するゲームだ。しかしその株価も、リアルな現実との整合性が求められる最終局面になると、そのズレが修正される。そのズレは、それまでの不自然さを含んでいるので巨大となり、混乱の事態となる。
 バーチャルなゲームは、後のしわ寄せが恐ろしい。
 
 
 

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