新型コロナウイルスへの感染防止策として、世界中の産業が停止することで、二酸化炭素や二酸化窒素の排出がなくなり、大気汚染が劇的に改善されている。
大気汚染が世界最悪とされるインドでも、今まで見えなかったヒマラヤ山脈の神々しい姿が現れ、人々が驚いている。
これまで存在していたにもかかわらず見えなかったものが、この状況下で見え出しているのだ。
現実とは一体何なのか。人間は、自分の目に見えている世界を現実と考え、その現実に即して世界観を築き、その世界観に合わせて自分の人生を設計する。
同じ場所に住んでいても、毎日、神々しいヒマラヤの山々を見ながら生きている時と、スモッグガスによってヒマラヤの山々がそこに存在していることすらわからない状態で生きている時では、その人の世界観、人生観が、違ってくるだろう。
現代社会は、情報で溢れかえっているように思われているが、実際は、非常に限定された範疇に思考や感性を誘導する情報ばかりが溢れているということで、その範疇の外の情報は、遮断されている。つまり、見えない、存在しない、ということにされている。
ガスが晴れれば、今まで見えていなかっただけのものが見え始める。見えるということは大きなインパクトを持つ。たとえば、幽霊や宇宙人の姿を実際にこの目で見てしまった人は、世界観を変えざるを得ない。誰にも信じてもらえなくても、自分が感じ取ったリアリティは打ち消せないのだ。
コロナウィルスの問題が社会に与えるインパクトは、世の中の状況が劇的に変わり、ものの見え方が変わることにあるかもしれない。
しかし、そうしたチャンスの時期ではあるものの、テレビの存在はいただけない。
ふだんワイドショーなど見ない人でも、コロナウィルス関連の情報が知りたくて、私もそうだが、つい見てしまう。
どのチャンネルをまわしても、そこに登場している人のキャラは同じ。自分を安全圏において何かを強く非難するような口調の人がとても多い。これまでワイドショーの視聴者が、自分の代わりに何かに対して不平や文句を言ってくれる人を求めていたからだろうか。
しかし、この状況下で、しかめっ面の顔、キンキンとした声の心情の吐露、何かを責める強い口調、不平や不満や非難の言葉を聞き続けていると、気分が滅入ってくる。
どんどんと狭いところに詰め込まれるような気がしてくる。
一歩外に出て川岸を歩けば、この状況下でも世界の広がりは十分に感じられる。
自分の気持ちの持ちようで、未来の方向性を変えることはできるが、世界の本質は自分の力で変えるものではない。
しかし、自分の気持ちの持ちようで自分に見えているものが変わり、ものの見方が変われば、世界は異なる様相となる。
これまでと違ったものの見方をする人の数が増えていくと、その新しいものの見方に沿うように世界の表層が整えられていく。その世界の表層を、人々は現実だと判断して生き方をそれに合わせる。でも、世界の本質は、ずっと変わらない。
世界の本質、それは、世界は人間だけに都合が良いようにできていないということ。
絶妙なるバランスのうえに成り立っているもので、そのバランスが崩れると、それを修復するための変化が起こる。例外なく。
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