(伊古奈比咩命神社。手前が、枯れて1300年の「白龍のビャクシン」。)
熱海から伊豆の大室山から伊豆半島の南端、下田の伊古奈比咩命神社(白浜神社)を訪れた。
伊古奈比咩命神社は、富士山と、古代、神々が集まるところとされた神津島を結ぶライン上に位置している。
神津島は、縄文時代の黒曜石の重要な産地で、神津島の黒曜石が日本の至るところで発見されている。
伊古奈比咩命神社は、古くからの聖域で、白浜海岸にある丘陵「火達山」に鎮座している。樹齢2000年とされるビャクシンや、枯れてから1300年経つとされる白龍のビャクシンが林立しているのに驚かされ、その独特の姿が、この世ならぬものを醸し出している。本殿の奥は禁足地となっており、そこから多くの祭器具が見つかっており、古代から祭祀が行われていたものと考えられている。
(伊古奈比咩命神社の拝殿の本殿のあいだ。神職だけがこの道を通ることができる。)
伊古奈比咩命は、イワナガヒメやコノハナサクヤヒメの父、大山祇命(三島大神)の後妃とされている。
この伊古奈比咩命の東北に23kmほど行った海岸線にある大室山は、伊豆東部火山群の活動で約4000年前に噴火した単成火山だ。山のてっぺんから富士山や南アルプスの山々、そして太平洋の絶景が見える。
(単成火山の大室山の頂上から望む富士山。大室山は、海からも目立つ山で、古くから山焼きが行われていた。海を行き交う人々の絶好の目印だった。)
そして、火口に浅間神社があり、なぜかここの浅間神社は、コノハナサクヤヒメではなく、イワナガヒメを祀っている。
この大室神社から見える富士山の反対側に八ヶ岳の権現岳があり、権現岳の山頂直下にも、イワナガヒメを祭神とする檜峰神社が鎮座している。
そして、そのラインの延長上に、現在、星くずの里たかやま 黒耀石体験ミュージアムがあるが、この周辺も、縄文時代、質の高い黒曜石の産地だった。さらにラインを延長すると、長野県白馬村(北安曇)の姫川の源流である。これは偶然かもしれないが、姫川というのは縄文時代のヒスイの代表的産地で、姫川のヒスイもまた、日本各地で見つかっている。古代、安曇氏は、糸魚川から姫川を遡り長野の内陸部へ入っていった。
本州のど真ん中の安曇氏の北の出入り口がここで、南の出入り口が、どうやら伊豆のようだ。
(伊古奈比咩命神社。禁足地のそばの鳥居。)
まず、富士山と大室山を結ぶライン上の真中に伊豆国一宮の三嶋大社が鎮座しており、ここの祭神が、イワナガヒメの父、大山祇命(三島大神)だ。オオヤマツミノミコトは、山の神であるけれど、同時に渡しの神で、水運をになっている。それはおそらく、船の材料の木材の供給源だからだ。
下田の伊古奈比咩命が、大山祇命(三島大神)の後妃というには本后がいたということで、本后は、阿波姫(天津羽羽神)であり、神津島の女神である。
そして、神津島の大室山を結ぶラインの真北に位置する熱海に鎮座する多賀神社は、かつての白浪之彌奈阿和命神社(しらなみのみなあわ)であり、ここの祭神も阿波姫で、多賀神社の境内にも縄文時代の祭祀場の跡が残っており、神津島と熱海が縄文でつながっている。
(熱海の来宮神社の推定年齢2000年以上とされる大楠)
熱海は、アタミで、古代、海人の安曇(アズミ)氏の拠点でもある。
安曇氏は、紀元前5世紀頃、春秋戦国時代で混乱する中国から逃れる人々を、日本に運ぶうえで貢献し、そのことが弥生時代の幕開けとなった。
しかし、安曇氏のような海人は、それ以前から活動していたのは間違いなく、それゆえ、姫川のヒスイや、神津島や八ヶ岳の黒曜石が日本各地で発見されている。
大山祇命(三島大神)は、ニニギの天孫降臨の時にすでにこの国にいたわけで、おそらく、縄文に遡る神なのだろう。そして、その娘で、ニニギに選ばれなかったイワナガヒメは、上に述べた二箇所以外に、西伊豆の松崎町の雲見浅間神社にも祀られており、ここは、富士山から真南に70kmのところだ。
この東伊豆の浅間神社もまた、西伊豆の大室山の浅間神社と同く、イワナガヒメを祀っている。
八ヶ岳、富士山、伊豆、神津島の領域のなかで、イワナガヒメの存在感が大きい。
神津島と富士山と伊豆半島の聖域の地理的な結びつきを確認していると、縄文時代から、これらの聖域に何かしら深い関係があって、それが後の時代にも折り重なっているように思えてならない。
黒いマークが、イワナガヒメを祀る聖域。上から八ヶ岳の権現岳、西伊豆の大平山の浅間神社、東伊豆の雲見浅間神社。オレンジが伊古奈比咩命神社。ブルーが熱海の多賀神社(旧 白浪之彌奈阿和命神社)と神津島の阿波命神社。赤が富士山と三嶋大社。八ヶ岳の西北の赤いマークが、現在、星くずの里たかやま 黒耀石体験ミュージアムで、この周辺も、縄文時代の質の高い黒曜石の産地である。さらにラインを延長すると、長野県白馬村(北安曇)の姫川の源流である。これは偶然かもしれないが、姫川というのは縄文時代のヒスイの代表的産地で、姫川のヒスイもまた、日本各地で見つかっている。古代、安曇氏は、糸魚川から姫川を遡り長野の内陸部へ入っていった。