愛媛県今治市で、鈴鹿芳廉さんの展覧会が行われています。(2022年10月23日まで)
この展覧会期間に合わせて、今治市で、鈴鹿さんと私でトークを行ない、私が撮ったピンホール写真のスライドトークも行います。
場所は、今治市の玉川近代美術館で、2022年9月25日 14:00 〜 15:30となります。
テーマは、「この時代に、なぜピンホール写真なのか!?」
シャッターもレンズもなく、約0.2mmの針穴を通る光で撮影された白日夢のような写真は、スマホ写真だと削ぎ落とされる物事の気配が写り、その気配が、人々の記憶の深層に働きかける。それは一体なぜなのか?
詳しくは、こちらをご覧ください。
鈴鹿さんは、私が、ピンホール写真を始めるきっかけになった人です。
鈴鹿さんのピンホール写真の写真集「WIND MANDALA」において、文章を書く依頼を受けた時、最初はあまり気乗りがしませんでした。
私は、風の旅人の編集で、数多くの写真家の写真を見てきましたが、鈴鹿さんは、写真家ではなくアーティストとして活躍されていて、それまで鈴鹿さんの作品を観たことがなかったということと、風の旅人の編集部で、それまで何人かのピンホール写真を見ていて、あまり良い印象を持ってなかったからです。
表現方法は、テーマにそって選ぶべきもので、そのテーマを表現するうえでの必然性を感じさせない方法論では心に訴えてこないのです。それまで観てきたピンホール写真は、方法論のユニークさと、描写の面白さを、競うようなものばかりでした。
しかし、とりあえず写真を見て判断してほしいと鈴鹿さんに強く説得されて、鈴鹿さんが撮ったピンホール写真を見ました。そして、観た瞬間、テーマと方法論の合致を感じ、すぐに文章を書けると感じ、実際に、短期間のうちに、かなりの文章量で書き上げました。同時に、自分が心の中に温めていたテーマを表現する方法は、これかもしれないと閃きました。
その閃きを得てすぐ、自分でもピンホール写真を撮り始めました。それが、 Sacred world 日本の古層のプロジェクトです。
2016年の秋から、時間が許すかぎり日本の様々な地に足を伸ばし、ピンホール写真を撮り続け、ひたすらこれに没頭しており、6年前の閃きは、間違いなかったと思います。
6年前まで、約15年にわたり、日本および海外の、時代を代表する写真家たちの写真を、見尽くし、選択し、編集構成を行い続け、それらの凄い写真は、脳裏にしっかりと焼き付いてしまっています。
そうしたなか、数人の写真家に、「写真を観る目が養われているのだから、あなたも自分で写真を撮ればいい」などとアドバイスを受けたけれど、凄い写真の数々が脳裏に焼き付いているので、カメラを持ってファインダーを覗いた瞬間、自分が撮っても意味がないとすぐに思ってしまいました。カメラを変えれば違ってくるかと思い、色々試したけれどダメ。
まず、ファインダーを覗いて画面を切り取ることが、生理的にダメだった。当たり前のことだけれど、ファインダーの中の世界は、あまりにも狭い。世界のごく一部を恣意的に切り取ることになる。だから、その一部だけに対して相当な思い入れがないと、本気で撮れない。
鬼海弘雄さんのポートレートのように、今、自分の目の前にある人物に、強烈に引き込まれるほどの感覚が、自分にはない。
自分の興味関心は、どうにも、今、目の前に見えていないものに向いている。これを写真で表す場合、ムードに流れた印象的なものは世の中に溢れているのだけれど、私は、目に見えていないけれど本質的で実態のある何かにアクセスしたいという思いが、かなり強い。
風の旅人の最終号となった第50号で、次号の告知としたまま未完に終わってしまった「もののあはれ」も同じで、単なるムードや情感で「もののあはれ」を解釈したり表現することは、簡単だし、多くの人がすでにやっている。
しかし私は、「もののあはれ」は、もっと本質的で、実態を伴い、かつフィロソフィーのあるものだと思っている。
つまり、どちらかといえば中庸な性質で奥行きや広がりのある世界を伝えるうえで、明瞭さや精緻さを誇る最新機器は、あまりふさわしくなく、そのため、自分で写真を撮る気になれず、宙に浮いたような状態にいた。
そうした時に、ピンホール写真の可能性に気づかせてくれたのが、鈴鹿さんの表現だった。
この仏様の写真は、昨年、鈴鹿さんが移住した今治市に遊びにいった時、鈴鹿さんが懇意にしている仙遊寺の和尚の許可を得て、長らく秘仏だった千手観音像を、かなりの長時間露光で撮らせていただいたもの。
後ろに引けない狭い場所で、ピンホールカメラにはファインダーがないから、どこからどこまで写っているのかわからず、国宝級の仏様に何かあったら大変だと、長時間露光のあいだ、息をひそめて三脚の横に立っていた。結果的に、これまで経験したことがないほど、仏さまの近くで、長時間、無の境地で仏様と向かい合う形となったのだが、写真を現像した後、まさに、その向かい合っていた時のありがたい感覚が、写真として表されていたので、自分でも驚いた。
自分が恣意的に切り取った写真ではなく、まさに、ブラックボックスに流れ込んできたものを有り難く頂戴した、という写真になった。
ピンホール写真というのは、そういう邂逅の賜物だという気がする。
鈴鹿さんの口癖も、「出会い」であり、仙遊寺の和尚との出会いなくして、今治に移住する決断もなかった。
人生の道筋は、自分で選んでいるようでいて、実際は、その多くが何ものかの導きによるものだ。そして、一つの導きが、次の導きにつながって、展開していく。
私は、40歳になるまで、自分が雑誌を創刊するとは考えてもいなかったが、ある日、写真家の野町和嘉さんに、日本にはろくなグラフィック雑誌がないから、あんたが作れ、みたいに強迫され、その流れに乗った。
それまで写真家のことをロクに知らなかったけれど、風の旅人の創刊をきっかけに、写真の世界にどっぷりはまるようになった。
自分がピンホール写真を撮るなんてことも、鈴鹿さんと出会うまでは考えもしなかった。
そして、ピンホール写真を本にまとめていくということも、10年くらい経ってからと漠然と思っていたが、鬼海弘雄さんに写真を見せたところ、すぐにでも本にしろと、またまた強迫され、その流れに乗った。
自分で予定や計画を立てると、自分の頭のなかにある情報に限定されたなかで、物事を考えなければならない。
外からやってくる何かを掴むことは、自分が、自分の限界を超えていくうえで大事なことかもしれない。もちろん、そのための準備が必要だけれど、その準備は、できるだけ邪念なく、欲心にとらわれることなく、また依存心も捨て、濁りなく判断できるように心を整えておくことが、一つの重要なポイントだという気がする。
これは写真も同じで、自分の恣意的な考えで写真を撮ろうとすると、自分を超えた何かにつながっていくことも少なくなる。
ピンホール写真の良いところは、そうした恣意性をできるだけ捨て、自分でも気づかず、認識すらしていない何ものかを素直に受け入れるような感覚で撮ることだろう。
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ピンホール写真で旅する日本の聖域。
Sacred world 日本の古層Vol.1からVol.3、ホームページで販売中。