第1522回 「かんながらの道」 写真展について

 まだ先のようだけれど、年が明ければすぐなので、早め早めに作業を進めています。
 来年の2月6日(木)から2月17日(月)まで、新宿のOM SYSTEMギャラリーで開催することになった写真展のDMができあがりました。
 何しろ写真展は初めてなので、これをどう活用すればよいのやら。とりあえずOM SYSTEMからは1200部ほど配布していただけるとのこと。残り1000部ほど、他に良い配布場所があれば、教えてください。
 今回の展示は、新刊の「かんながらの道」と同じく、すべて針穴写真による表現なのだけれど、針穴写真として観ていただく必要はなく、この撮影方法でないと、うまく表現できないという思いで、8年間、ひたすら続けてきました。
 写真というのは、物事をどこまでもはっきりと写し出す性質もあるけれど、一種の幻視というか、夢幻と現実のあいだの被膜になる表現もありえます。
 古代世界は、今ここにない現実であるけれど、人間の潜在的な記憶の底に眠る現実でもあり、だからこそ、人は、古代の謎に対して、なにかしらトキメキを感じます。
 宇宙の謎、生命の謎、そして人類の謎。この三つの謎は、永遠の謎であり、一つの正しい答えに辿り着けないかもしれないけれど、少しでも、その謎に近づきたいという思いは、誰にでもあるのではないかと思います。
 針穴写真の映像には、そうした漠然とした願いのようなものも、こめられています。
 長時間露光のあいだ、待つという作法が、何かしらの祈りのよう。
 祈りとは、ひたすら念じるように待つことだと、この10年で強く思うようになりました。
 焦って救いや答えを求めても、それらは遠ざかるばかり。
 待てないのは、自己を中心に世界のことを考えているからで、世界は、自分の都合に合わせて、動いてくれない。
 待つことの大切さを身をもって知ることが、世界の摂理に対して、静かに注意深くなれる道なのかもしれません。
 ひたすら待つようにして、自然のなかに還っていく人間の営みの痕跡と向かい合う時、ふと、森羅万象の摂理と人類の歴史の摂理が重なって見える時があり、自分もまた、その摂理の一部であることを、それとなく実感できる瞬間があります。
 特に最近は、針穴で都市を撮るようになって、さらにその実感が強くなりました。
 それを実感できたところで、自分の生き方が大きく変わることがないかもしれないけれど、死に対する心構えは、少しは異なってくると思います。
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 新刊の「かんながらの道」は、書店での販売は行わず、オンラインだけでの販売となります。
 詳細およびお申し込みは、ホームページから、ご確認ください。よろしく、お願い申し上げます。https://www.kazetabi.jp/
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 また、新刊の内容に合わせて、京都と東京でワークショップを行います。
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<東京>日時:2024年12月14日(土)、12月15日(日) 午後12時半〜午後6時  
場所:かぜたび舎(東京) 東京都日野市高幡不動(最寄駅:京王線 高幡不動駅
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<京都>日時:2024年1月12日(日)、1月13日(月) 午後12時半〜午後6時
場所:かぜたび舎(京都) 京都市西京区嵐山森ノ前町(最寄駅:阪急 松尾大社駅