ホモサピエンスの現実と未来

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photographs by Emmet Gowin

 私たちは、地上で生きている限り、当人が望もうが望むまいが、地上の出来事のなかに巻き込まれている。地上の出来事のなかに巻き込まれ、流されながら、目の前を移ろう光景(情報)を見続け、認識し、判断する。例えば、電車に乗って車窓の風景を眺めている時、過ぎ去っていく風景と、目の前にある風景を見ることで意識はいっぱいになり、現在より一歩先の未来の光景を思い浮かべることがあまりない。地上の出来事に巻き込まれながら生きるということは、そのように、過ぎ去った事物を走馬灯のように眺めながら、今この瞬間に集中して生きるということなのだろう。

 そして、未来をよりよく生きるために、今この瞬間を見つめながら限りなく未来を正確に予測しようとする。でもそれができるならば、誰だって株で大もうけができる。もちろん、車窓の風景にしても、風景のつながりから、ある程度、短期的なことまでは予測できるだろうが、素朴な田園風景が続くと思っていたら、突然、トンネルの中に入って風景が遮断されてしまうということは、よくあることだ。

 地上の出来事の中に巻き込まれて生きるということは、突然、トンネルの中に入ってしまって驚くということでもある。もちろん、人生経験によって、それが出口のあるトンネルだと知っていれば、パニックに陥ることはないだろうが、そうでなければ、どこまで暗闇が続くのか恐怖に囚われてしまう。それを回避するためには、経験を多く積むしかない。

 しかし、どんなに経験を積んだ人でも、初めての経験というものがある。

 たとえば、昨年の津波の後に引き起こされ、今も継続中の原発事故。みんな初めてだから、この大事件をどのように捉えて、どういう心構えで未来に向かって生きていくべきなのか、まだよくわからない。

 地上の出来事を鳥瞰できるような視点を持っていれば、トンネルがあることや、それがどこまで続いているか知る事はできる。私たちの地上の営みを、空から眺めれば、また別の認識を持つことになる。

 ガガーリンが、宇宙空間から「地球は青い」というメッセージを伝えてきた時、私たち人類は、おそらく初めて、地球全体のかけがえのなさや、それに対する愛しさを共有する感覚を持ち始めたのではないか。その感覚が生まれる事で、生き方のベクトルも少しは変わった。でもまだ50年ほどしか経っていないから、その変化が形になっていない。しかし、数百年という単位で見れば、きっと、大きな変化の最初の一歩として、後の時代に評価されることになるだろうと思う。

 飛行機乗りで、最後はドイツ軍に撃墜されて亡くなったサン・デグジュペリは、「機上、人は窓からのぞいて、都会という人間の蟻の巣を生物学者のような気持ちでのぞいている」と書いた。

 一人ひとりは、個性とか自由とか主張しながら、全体を眺め渡せば、蟻塚の蟻のように、機械的なシステムに組み込まれたかのように、管理され、画一的な行動をとっているようにしか見えない。

 それでは、このエミット・ゴーウィンの写真はどうだろう。この写真は、風の旅人の第16号のテーマ、Holy Planetという特集の巻頭に紹介したシリーズの一つだ。

 これは、アメリカのネバダ砂漠の核実験場を空から撮影したものだ。この実験場では、1951年から1992年にかけて、925回の核実験(825回は地下核実験)が行われた。この場所から、ラスベガスまでは、たった105kmしか離れていない。100kmというのは、東京と湯河原の距離。福島原発と東京の間は200kmで、その距離は、福島原発宮城県石巻市と等しい。(東北ばかりが汚染されているようなイメージは、大いなる錯覚だ)。

 ラスベガスに遊びに行く人は、地上の出来事にしか関心はなかったのだろう。鳥瞰すれば、凄まじい核実験が何度も行われている場所が、すぐ目の前にあるということが簡単にわかるのに・・。

 しかし、私たちが直面している問題の複雑さを解く為には、鳥瞰の視点だけでなく、さらに深く私たちの意識の中に目を凝らさなければならない。

 このエミット・ゴーウィンの写真に、恐ろしさだけでなく、美を感じてしまう人は多いのではないだろうか。原爆のキノコ雲に対しても、同じように感じる人が多いだろう。実際に、2005年にラスベガスにオープンした原爆博物館では、キノコ雲が描かれたマグカップや帽子やキーホルダーがお土産物になっている。

 有能な科学者が、恐ろしい兵器だと知っていながら開発に血眼になってしまうのも、畏怖感と共存している美に取憑かれてしまうからではないか。今も様々な分野で取り組まれている最先端の技術開発には、そういう悪魔的の魅力がある。

 かつて自然の猛威に何度も酷い目に合わされながら、そこに美を感じ、神格化した人々もまた、同じだろう。

 ホモサピエンスの心理は、複雑だ。その深層に、強いコンプレックスがあるように思う。自分のことをとるに足らない存在だと知り、それゆえ、いろいろな知恵をめぐらせるが、その浅知恵を凌駕する存在に対して、恐れて遠ざけようとすることもあるが、逆に強く惹かれてしまうこともある。

 人間の地上の出来事を鳥瞰するためには、空からだけでなく、人間そのものを鳥瞰する探求が、必要なのだろうと思う。遠く心の先史時代にまで遡って。