島田 紳助のことより、高速増殖炉「もんじゅ」のこと。

島田紳助の引退騒動はどうでもいいけれど、その陰に隠れた「もんじゅ」に関する今日のニュースには、注意しなければならない。

http://www.chunichi.co.jp/article/fukui/20110824/CK2011082402000113.html

 

 日本原子力研究開発機構が、高速増殖原型炉もんじゅ敦賀市)の復旧作業を始めた。その責任者が、「本年度内に開始予定の40%出力試験は国の重要なプロジェクトであり、着実に準備を進める。年度内の試験開始は技術的には可能」と述べている。



 ここで重要なことは、独立行政法人である原子力開発機構が頑固頭で主張して後ろ盾にする「国の重要なプロジェクト」とは、いったい何であるかだ。それはもちろん「核燃料サイクル」のことなのだけど、今年の7月19日、行政機関である原子力委員会は、核燃料サイクル政策関連の来年度政府予算の編成を最小限の施策に絞る基本方針をまとめた。それに対して日本原子力研究開発機構をはじめ、長年、核燃料サイクルの要である高速増殖炉の研究開発に携わってきた人達から不満と異議が出た。彼らからすれば、自分たちが長年やってきたことが無になるかもしれないし、将来の食いぶちの問題もあるので当然の反応だ。

 今日のニュースで伝えられた「もんじゅ」の復旧作業は、危機感のある原子力研究開発機構が、自分達の存在感を示すために、半ば焦って強引に推し進めようとしているのではないか。もちろん、その背後には、利害関係のある政治家なども加担しているだろう。

 核燃料サイクル政策関連の予算が最小限に絞られるというのは、1967年から日本のエリート達が「国の重要なプロジェクト」として妄信してきた核燃料サイクルに対する夢から目覚めなければならない現実を、受け入れざるを得ない状況になっているからだ。

 アメリカやフランスなど、日本より遥かに核関連の技術や情報を持っている国が、とっくの昔に諦めている「核燃料サイクル」に日本がしがみついているのは、少資源国日本ならではの問題もある。

 「核燃料サイクル」は、通常の原子力発電所でウラン235を核分裂させてエネルギーを取り出し、そのエネルギーで水を沸騰させて蒸気にして発電タービンを回して電気を作り出した後に出る使用済み核燃料を再処理してプルトニウムを取り出し、そのプルトニウムを核燃料にして、「もんじゅ」のような高速増殖炉で発電するという構想が基本になっている。

原発で使用するウラン235の地球上の埋蔵量は極めて少なく、石油よりも早く枯渇してしまうという人もいる。1トンの鉱石のなかに1kg以上のウランが含まれているウラン鉱石を粉砕してウランを取り出しても、そのウランの中で核分裂するウラン235は僅か0.7%しか存在せず、残りは核分裂しないウラン238である。

 それゆえ、現在のようにウラン235に頼った原発に将来性はない。また、ウランを原発で核燃料として使うためには、ウラン235の割合が0.7%では少なすぎて3%まで濃縮しなければならないのだが、その濃縮技術を日本は完成させておらず、現状では、アメリカで濃縮してもらったウランを買っているのだ。

 ウラン235の濃縮作業は、もともと原爆の技術だから、原爆を持ったことも、その性能実験をしたこともない日本よりも、アメリカの方が技術や情報の蓄積が大きくて当然だ。

 「もんじゅ」は、希少なウラン235を使わず、使用済み核燃料から取り出したプルトニウムと、ウランのなかにたくさん存在するウラン238を使って発電を行おうとする原子炉だ。しかも、原子炉の中でプルトニウム核分裂してエネルギーを発生する時に、中性子が飛び出し、それがウラン238にぶつかって新たなプルトニウムを作り出す。そのようにプルトニウムを次々と作り出せば、もはやアメリカから濃縮ウランを買わなくても発電し続けることができるという関係者達の夢。

 その前に、全国の原発でウラン235を使って発電を行った時に生まれた使用済み核燃料からプルトニウムを取り出すという作業が必要で、その為に、青森県六ヶ所村に、再処理工場が作られた。しかし、この再処理の技術も日本はまだ完成させておらず、トラブルが続出している。この技術もまた原爆製造の為の技術であり、アメリカやフランスやイギリスの方が知識も実施経験もある。だから日本は、現状ではフランスやイギリスに使用済み核燃料を送って、プルトニウムの取り出し作業を行ってもらっている。

 しかし、いつの日か六ヶ所村プルトニウムの取り出しが始まることを期待して、全国54か所の原子力発電所には13530トン、六ヶ所村には3000トンの使用済み核燃料が保存されている。(経済省 2010年9月末資料)。その死の灰の量は広島原爆の80万倍にもなるという。こうした核燃料サイクルを夢想しているのは先進国では日本だけで、アメリカなどは使用済み核燃料を徹底的に地下に埋めて冷やしていく方法をとっている。日本は、再処理したいものだから、福島原発のように決して頑丈とは言えない簡易プールで冷やし続けており、冷却水が失われた途端に高熱を発し、大きな災いをもたらしてしまう。



 「もんじゅ」の場合は、その程度ですまない。高速増殖炉は、プルトニウム核分裂させて、さらに新たなプルトニウムを作り出すことを期待するシステムだから、核エネルギーを蒸気エネルギーにする際に、水ではなく液体ナトリウムを使わなければならない。水だと中性子の速度が軽減してプルトニウムを作り出せないのだそうだ。この液体ナトリウムというものが曲者で、水とか空気に触れると激しく燃えたり爆発したりする。この前の福島原発の時のようにトラブルが起こって炉内の温度が上がった時、水をかけて冷やすということはできず、茫然と見続けるしかない。そして、もしも燃焼すると温度は2千度を越え、1千度で鉄は溶けるので炉は溶け落ちてしまい、そうすると空気とナトリウムが反応して大爆発するだろうし、猛毒のプルトニウムが広範囲に飛び散ってしまうだろう。少し考えただけでも、恐ろしいシナリオだ。

 そして、仮に運よく「もんじゅ」がうまく動き始めたとしても、日本が長い間、「重要な国のプロジェクト」としてきた核燃料サイクルを完成させるためには、「もんじゅ」一つでは足りず、全国に、同じような高速増殖炉を次々と作っていかなければならない。ただの原発でさえ危険極まりないという気持ちになっているのに、危険度において比較にならない「もんじゅ」のような高速増殖炉を受け入れる自治体があるとすれば、頭がおかしいとしか言いようがない。あり得ないだろうということが政府筋でもわかってきたから、7月19日に、原子力委員会が来年度政府予算の編成を最小限にしていく旨を決めたのだと私は思っていた。

 日本は、フランスやアメリカのように、原爆実験による実証試験をやったこともない。いくら手先が器用で勤勉だからといって、原爆技術の応用で、さらにその技術を高度に管理しなくてはならない原子力発電所(原爆は、爆発させることが目的であって、原発は、その爆発力を長期的に管理しなければならないから、よけいに大変だ)は、そもそも無理なのだ。

 しかも、フランスは地震がないし、アメリカは地震のある西海岸に原発は作らず、全て東に集中させている。不安定な土地の上に、これだけたくさんの核関連施設を置いているのは日本だけだ。

 しかし、行政機関である原子力委員会の決定とは別に、独立行政法人である原子力開発機構は、「もんじゅ」に対して頑固なまでに固執している。権益目当てという単純なものだけでなく、国の重要なプロジェクトに携わってきたという誇りや面子もあるだろう。そして、そのプライドを守るために、政治家にお金を渡すということもあるかもしれない。

 2011年1月28日「もんじゅ」の復旧作業を受注した東芝は、家電の安売りに巻き込まれて経営を悪化させていくことを避けるために、勝負を賭けて原子力発電の技術と特許を持つウエスティンハウス・エレクトリックを6000億円もかけて買収(事前の予想の3倍の値段)し、経営戦略を原発関連にシフトした矢先である。そう簡単に諦めるわけにはいかない。

 現在、原子力開発機構および原子力関連企業が、「もんじゅ」の再開を強引に進めようとしている状況と、1930年頃の日本の状況が、私には重なって見える。

 現在の原子力開発機構に該当するのは、当時は軍隊だった。日露戦争の頃まで、軍隊は英雄だった。しかし、大正デモクラシーの頃から、反戦運動民主化運動が盛んになり、軍部の立場は悪くなっており、露骨な軍人批判も多く見られた。また同じ時期、関東大震災(1923年)、世界恐慌(1929年)と続き、国内情勢が不安定で政治家の腐敗と堕落が著しい状況のなかで、青年将校達が5.15事件(1932年)を起こしたり満州事変(1931年)を起こすなど軍部が暴走を始める。そうした軍部の動きに妥協したり寄り添っていく政治家などもいて、日本は次第に太平洋戦争に突入する体制をつくっていく。

 禍はかつてと同じ姿で生じない。70年前は、戦争が多くの禍をもたらしたが、現在、あの時の戦争を同じような禍をもたらす可能性があるのは、北朝鮮や中国の脅威や、自衛隊の暴走ではなく、もしかしたら、原発関係者の暴走と、そこに癒着する政治家ということだってある。

 「もんじゅ」以外に高速増殖炉が建設される可能性は、ほとんどないと思うし、トラブル続きの六ヶ所村の再処理工場の問題もあるので、核燃料サイクルの夢は、事実上終焉していると思うが、その現実を認めたがらない一部の人々によって強引に「もんじゅ」の運転が推し進められ、もしも爆発するようなことがあれば、あの時の戦争のような恐ろしい結果になってしまう。

 あの戦争の時、メディアは、軍隊に寄り添うことにメリットがあるから寄り添って人々を啓蒙した。そして、戦後のメディアは、軍隊に寄り添ってもメリットがないので軍隊に寄り添わないが、メリットのある原発関連には寄り添って人々を啓蒙してきた。どちらも似たような構造にあるように思う。