震災後、5ヶ月が経った宮城県。瓦礫の撤去が進み、広大な空き地が至る所に存在して、夏草が生い茂っていた。閖上にしろ、石巻にしろ、海岸付近の土地は広大で、陸上スタジアムがいくつもできる。これからいったいどのような開発が行われるのだろう。果たして、人々は戻ってくるのだろうか。
かつてシルクロードの拠点として栄え、川の流れが変わったために人々に見捨てられて少しずつ砂漠に埋もれていった古代遺跡のような雰囲気が漂っている。
現在、仮設住宅の建設が進み、多くの人が避難所や知り合いの家から仮設住宅に移っているが、仮設住宅というのは、住宅の提供だけではなく、生活用品が一式揃えられている。キッチンやお風呂、エアコン、冷蔵庫、洗濯機、20インチか24インチくらいあるテレビ、炊飯器、電子レンジ、コタツ、布団二組(一人暮らしでも)、シーツ、枕、米、食器、端・・、とにかく至れり尽くせりで、仮設住宅を出る時に、全部もらえるそうだ。
なんだかんだ言って、日本は凄い。
それに比べて、石巻などで、一階が津波によって完全に破壊されてはいるものの2階が無事のため2階で家族全員で生活している人は、エアコンは室外機が破壊されて動かないので扇風機を買い、お風呂もない、キッチンもない、洗濯機もないので手洗いで、という非常に不便な生活を送っている。この落差は、いったい何なんだろうと思ってしまう。
私が、3月に取材させていただいた方は、8月6日、ようやくボランティアの手を借りて、床の下にたまった泥のかき出しをしていた。
石巻には、大勢のボランティアが来ているが、宮城県第2位の人口16万の大きな町で、被災した家も莫大ゆえ、順番待ちの状態だ。
行政としては、数えきれない被災者が出ているので、効率優先で、機械的に対応せざるを得ないところもあるだろう。平等にきめ細かく支援していけるような段階ではないことは確かだ。
ただ、仮設住宅など画一的な対応が一段落ついたら、個々のケースにどのように対応していくかが大事になってくるのだろうと思うけれど、行政に、そうした対応が可能だろうか。
行政は、状況に応じて判断していくということが一番苦手だ。
個々のケースを考慮するよりも、画一的に家電製品を与えるという判断の方が楽で、速い。
だから、けっきょく行政のやることは、数の論理となってしまい、個々は、個々でやるしかなくなる。