第1108回 未来の土壌となる記憶

f:id:kazetabi:20200527141735j:plain

 

 東京が日本の中心になって、日本の歴史が見えにくくなってしまったことは間違いないだろう。
 しかし、400年前まで東京は辺境の地だったわけで、時代環境が変われば、辺境だった地域が中心になる可能性もある。
 その場合、インフラの変化は大きな意味を持つ。明治維新の後、海外との物質をやりとりする貿易が国家にとって何よりも重要になったことで、太平洋側の大きな港を中心に都市が発展し、その都市と都市を結ぶ交通路が整備されて、その周辺が活性化していった。
 しかし現在、物や人や情報の流れは変化しつつある。
 海外からやってくる人も、以前のように羽田や成田だけなく、直接、地方空港にくる人も増えているし、通勤の在り方も変わりそうな予兆がある。
 5年や10年では無理でも、50年や100年という単位で考えると、中心軸が変わる可能性はある。
 最近訪れた奈良県曽爾村などは、関東の人で知っている人はほとんどいないだろうし、関西にいる人でも山の中の鄙びた里というイメージを持っている人が多い。
 しかし、古来、大阪や奈良と伊勢を結ぶうえで最短だったのが伊勢本街道で、それは奈良から宇陀を通り、曾禰から松阪から伊勢に抜ける道で、多くの人々が行き交っていた。
 しかもこのルートは東西の道であるが、宇陀、室生、曾禰からは、大和川、室生川、名張川などが北に向かい、大和川奈良盆地を経て淀川まで伸びて、室生川は名張川は伊賀の地から木津川と合流し、京都にも行け、淀川で大阪にも行けた。野洲川を使えば琵琶湖まで行けた。
 今では静かな山里にすぎない曾禰だが、水上交通を使えば、近畿圏の主要な所はどこにでも行けた。
 しかも、この周辺は日本でも有数の鉱物の産地でもあり、つまり産業にとっての要所だった。
 そんな古代の日本のことは、東京で生活してテレビばかり見ていると、イメージできない。
 古い昔のことなんかイメージできなくても、知らなくても、理解できなくても何の問題はない、大事なのは今この瞬間であり、未来なのだからと考える人は、おそらく、日本人の半分を軽く超えているかもしれない。
 しかし、未来というのは何なのか。
 未来は、この瞬間ごとの自分の判断や決断の上に積み重ねられていく。そして、自分の判断や決断は自分の記憶からくる。そうでなければ、他人の判断や決断に盲目的に追随するだけということになる。
 しかし、他人といっても色々いるわけで、どの他人をあてにするのか自分で判断しなければならない。その判断すら難しいと数が多いものに従うだけということになる。つまり扇動されやすく、当人にとっても集団にとっても危険な状態だ。
 いずれにしろ、自分の判断は、意識的であれ無意識的であれ自分の記憶による。すなわち、記憶が未来の土壌なのだ。
 未来のことを真剣に思うのであれば、記憶はおろそかにできない。そして自分の記憶のなかには、自分が意識していなくても、自分以外の色々なものが関わっている。文化や風土なども、自分の記憶に影響を与えている。
 そして記憶は、自分の無意識のうちに自分を操っているので、そのことに無自覚だと、自分の未来は、自分では知らず識らず、記憶に操られたものになっていく。ふつう、人は、そのように生きている。それが人生だと。そんなややこしいことより、今、食っていくことが大事なのだと。 
 しかし、食っていくためにやっていることにおいても、判断と決断が積み重ねられており、記憶と無関係ではない。
 そして何よりも、人は誰でも死ぬことが宿命付けられているのに、自分の存在の下地になっている記憶が、自分が直接的に関わったと意識できる出来事だけに限定されているとすれば、あれは良かったとか悪かったとか、楽しかったとか悲しかったとか、運が良かったとか悪かったとか、そういう感慨だけで自分の人生は閉じてしまうことになる。
 人生は、自分の運や努力や能力で左右されて、その結果が全てと割り切れる人はかまわないが、世界中には、そう簡単に割り切れない状況に追い詰められている人もたくさんいる。
 人間は色々と理屈をつける種だが、たとえば蜜蜂は、とてもシンプルだ。蜜蜂の雄はたった一回の交尾のためにだけ生まれて、育てられ、女王蜂と後尾した時にペニスを引き抜かれて爆死するし、メスの働き蜂は、自分の子供を作らず、女王蜂が産んだ子供の世話だけで一生を送る。
 彼らの生命が”個”に閉じていないからであり、彼らの活動の判断と決断が、彼らの中に刻まれた無意識の記憶によるものだからだ。
 蜜蜂は、無意識のうちにそうした生命の摂理を悟っている。しかし、理屈を覚えた人類はそうはいかない。
 自分の生命が”個”に限定されるものではないということを、理屈を超えたところで納得感を伴って感じられなければ、人間は、自分個人に降り掛かる不運や不幸に一喜一憂し続けるしかなくなる。 
 自分だけのものだと思っている自分の現実と自分の記憶が、自分だけのものではないことのリアリティは、人間の場合、歴史の中に見出すことが可能だ。
 人間が、古代から歴史を重んじてきた理由は、そこにある。

 

 

* Sacred world 日本の古層 Vol.1を販売中。(定価1,000円)

 その全ての内容を、ホームページでも確認できます。

www.kazetabi.jp