第1104回 日本の古層vol.2 祟りの正体。時代の転換期と鬼(7)

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赤目四十八滝 【布曳滝】

 修験道の祖とされるのは、役小角634年-701年)であり、空海(774-835)より100年ほど前の時代を生きたとされる。役小角は、聖徳太子蘇我氏の時代から大化の改新白村江の戦いなどを経て天智天皇の時代となり、壬申の乱に勝利した天武天皇の時代に至る日本の大きな歴史的転換期を生きたことになる。

 仏教が本格的に国家の中心となるのは奈良時代だが、その前に日本独自の仏教である修験道が始まっているのが興味深い。

 仏教がまだ未整備だった時代ゆえに、修験道には、新しく大陸から入ってきた仏教と古代から続く日本の山岳宗教が深く融合している。

 唐に渡った空海が、わずか半年しか恵果和尚に師事していないのに仏教の本場である中国の僧侶たち以上に評価され、密教の正当な継承者と認められたのは、当時の唐で最先端仏教とされていた密教が、日本古来の山岳宗教に通じるものがあったからだろう。空海は、10代の頃から、深山幽谷に分け入り厳しい修行を行うことで、すでに密教の真理を体得するための「験力」を備えていたのだろうと思われる。

 日本の山岳地帯は、地球の深いところでマグマが冷えて固まった花崗岩などの火成岩と、火山噴火によって外に流れ出た溶岩が冷えて固まった玄武岩などの火山岩が複雑に織りなしている。それは、四つのプレートの圧力による隆起や、その圧力による地下活動の活性化による火山噴火などが、世界の中でもっとも集中した地域であるからだ。

 とくに近畿地方の中央部、宇陀や吉野から熊野にかけては、1500万年前、日本列島の西日本が大陸から引き剥がされる時の凄まじいエネルギーと、その後の悠久の時を経た風化や水の侵食で形成された、スケールが大きく変化に富んだ驚異的な光景を見ることができる。

 アメリカのグラウンドキャニオンなど雄大な風景は地球上にたくさん存在するが、吉野から熊野にかけてのように、歩き回れる狭い範囲において、繊細かつダイナミックで多彩な変化が絶えず連続する場所は、そんなにはない。

 役小角が日本独自の仏である蔵王権現を吉野の金峯寺山で創造したのは、この周辺の自然環境とは無縁ではないだろう。

 蔵王権現は、、菩薩、諸尊、諸天善神、天神地祇すべての力を包括しているとされ、仏教的には、釈迦如来と千手観音と普賢菩薩の合体を意味し、これ一つだけで、過去、現在、未来を救済する。つまり、古代から八百万の神が存在していた日本に、突然、全てを包括する絶対神が登場したようなものだ。

 日本古来の山岳信仰は,山そのものを御神体として祀ったり、神の降臨地として、もしくは神々の鎮まる霊地として山麓の住民たちに崇められた。これらの地の奇岩・滝・泉などは、修験道という信仰形態が生まれる前から神霊の宿る地として人々によって崇められていた。

 それらの山岳地帯に入り込んで修行することによって山の神の力を体得し,それを元に呪術宗教的な活動をしていた人たちもいた。それが後に入ってきた仏教の成仏観を取り入れて、衆生の救済を目指す修験道として体系が整えられていく。

 この流れは、飛鳥時代役小角から奈良時代行基、そして平安時代空海へと受け継がれていく。

 そして、彼岸と此岸の境界である山岳において修行する修験者は、境界的な性格を持つ存在としても捉えられており、山伏を天狗として怖れる信仰もあった。さらに、修験霊山には鬼の子孫と称する者もいた。

 役小角が従えていたは善童鬼(ぜんどうき)と妙童鬼(みょうどうき)という鬼は、修験道における役小角の弟子とされる。元は生駒山地に住み、人に災いをなしていた。役小角は、彼らを不動明王の秘法で捕縛した。あるいは、彼らの5人の子供の末子を鉄釜に隠し、彼らに子供を殺された親の悲しみを訴えた。2人は改心し、役小角に従うようになった。

 全国に残る鬼退治の伝承は、この役小角の物語のように、もともとは山の中で山の恩恵を受け、鉱山開発を行ったり古来からの山岳宗教に基づいて暮らしていた人たちと、里に住んで農業を営んでいる人たちのあいだで起きた軋轢がもとになっているものもあるだろう。たとえば鉄穴流しという山を切り崩して砂鉄をとる作業は、大量の土砂を里に流し、田畑にダメージを与える。

 役小角が起こした修験道は、伝来した仏教の精神を取り込んで衆生の救済を目指すものであったから、山と里の軋轢をなくすための活動も含まれていたのではないか。

 役小角の精神を受け継ぐように登場した行基は、後に聖武天皇によって日本初の大僧正となり、東大寺および大仏建造の最高責任者となるが、それまでは弾圧を受けながらも各地で仏教を布教し、その教えを広める学校、橋、ため池など公共工事に取り組み、民衆の心をつかんだ。その行基を守り、活動を支援したのが修験道者であった。

 役小角行基の活動の後を受け継いだのが空海である。

 室生龍穴神社から東北5kmほどのところに赤目四十八滝がある。

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赤目四十八滝 【荷担滝】

 室生龍穴の前を流れる室生川も、赤目の地を流れる滝川も宇陀川に流れ込み、名張川と合流し、木津川につながり淀川となって大阪湾へと注ぐ。室生龍穴も、龍が棲むとされる赤目も、淀川の源流である。

 赤目の入山口、黄龍山延寿院がある。ここに安置されている赤目不動尊は、日本不動三体仏の一つに数えられている。

 赤目四十八滝から山を一つ越えた竜口という里には、伊賀流忍術の開祖、百地三太夫の生家がある。

 赤目の長さ4kmにわたる深山幽谷の地は、数々の瀑布が龍のように躍動し、龍が棲むと言われる底知れぬ深い澤もあり、周辺の峻険な岩壁や巨岩などともに多彩で繊細でありながらダイナミックな光景が続き、まさに万物の生々流転の縮図である。

 その地勢ゆえに、ここは古より山岳信仰の聖地であった。とくに修験道者達の行場であったためか、主たる滝は、行者滝、霊蛇滝、不動滝、大日滝、千手滝など、仏教の因んだ名が多く、赤目の地全体で大日如来を中心とする曼荼羅図にも見立てられている。

 また、赤目四十八滝の48は、阿弥陀如来48願からつけられたとも言われている。  

 空海、この赤目山中の護摩窟で護摩を修したと言われ、この妖気漂う窟に、空海の像が祀られている。

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赤目四十八滝 【骸骨滝】

 赤目の由来は、役小角が修行中に赤い目の牛に乗った不動明王に出会ったとの言い伝えにあるとされるが、それとは別に、赤目の地は岩肌の赤いところが多い。古代は、辰砂(硫化水銀)や赤鉄鉱、褐鉄鉱が、ふんだんに存在していたかもしれない。

 というのは、この赤目の地は、吉野と同じく1500万年前の大爆発によってできた地勢であり、日本国内でも最も豊かな鉱脈が集中している場所に位置しているとともに、地図上の赤目の位置が、かなり意味深なものに思われるからだ。

 赤目四十八滝の入り口に位置する黄龍延寿院は、東経136.085だが、その真北に線を伸ばすと、紫香楽宮、東近江の鏡山、敦賀気比神宮である。

 鏡山の山頂には竜王社と貴船神社が鎮座し、麓には渡来系の天日槍を祀る鏡神社があり、周辺は鍛治と関わりの深いところである。そして、気比神宮が鎮座する前の海岸は、笙の川が運んできた辰砂(硫化水銀)の堆積した場所であったことが、松田壽男氏の研究でわかっている。

 そして赤目八滝の上流側、真南のところに聳えているのが高見山で、関西のマッターホルンと言われる秀麗な山は、ちょうど中央構造線上に位置し、その頂上には、神武天皇東征の際、この場所で四方を見たといわれる「国見岩」や、道案内を勤めた八咫烏を祀る高角神社がある。

 その南が、大台ケ原で、この場所と弥山、大峰山を結ぶ三角形が、空海をはじめ、修験者たちが厳しい修行を重ねてきた聖域である。

 さらに真南には、熊野市の花の窟神社が鎮座し、ここにイザナミカグツチが祀られている。

 貴船神社や室生龍穴神社の神、龗の神(おかみの神)=龍神をはじめ、火の神カグツチの誕生とイザナミの死の物語は、水銀をはじめとする鉱物資源との関わりが非常に深い。

 その花の窟神社を真西に行くと(北緯33.88)、龍神村安倍晴明社がある。この龍神村龍神温泉は、日本三美人湯とされるが、役小角が発見し、空海が開湯したとされる。空海が訪れた時、難蛇竜王が夢に出てきて、温泉場として開湯したそうだ。

 また、安倍晴明が妖怪を封じたとされる「猫又の滝」などの伝承が残っているほか、隕石が落ちた場所とされる星神社もある。いずれにしろ、村の真ん中を流れるのは丹生ノ川であり、丹と関係の深い土地であると想像できる。

 この龍神村から真西に行くと、和歌山県日高町の丹生神社であり、日高町は、熊野古道の要所で熊野参詣のために多くの人々が訪れた。九十九王子といわれ、皇族・貴人の熊野詣に際して先達をつとめた熊野修験の手で組織された一群の神社があるが、この日高町に4つ鎮座している。

 そしてこの日高町からさらに真西に行くと、徳島の阿南の若杉山遺跡である。2019年3月、この場所にある水銀坑道が1〜3世紀の弥生時代のものであることが判明して歴史家たちを驚かせた。日本の鉱山の歴史が500年も遡ったからだ。

 現時点で日本最古とされる徳島の阿南の水銀の坑道のある場所が、近畿の鉱物と関係の深い聖域とラインで結ばれているのは偶然なのだろうか。

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上から気比神宮、鏡山、紫香楽宮赤目四十八滝の入り口の延寿院、高見山、大台ケ原、花の窟神社。ここから西に行くと、丹生川沿いの龍神村安倍晴明社、熊野参詣の拠点、日高町の丹生神社、四国の若杉山の水銀鉱山。その上の東西ラインは、西から高野山、天河弁財天社。

 

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