第1103回 日本の古層vol.2 祟りの正体。時代の転換期と鬼(6)

 

f:id:kazetabi:20200601001819j:plain

室生龍穴神社 奥宮


 
古代中国で、牛は神聖な生物だった。牛に対する崇拝は、「物」という漢字にも現れている。物とは万物のこと。万物は牛から始まった。ゆえに牛が偏となっている。

 また、古代において、祭祀の時に不可欠だったのが牛で、牛は生贄だった。犠牲という漢字もまた牛偏である。

 犠牲は、人間の手に及ばない厄災などを鎮めるためのものだから、最も神聖なものこそが相応しい。

 そして、”朱”という漢字は牛の腹を真っ二つに切った状態を表しており、犠牲となった牛からほとばしる血を意味している。朱は、神聖なる犠牲を意味する色なのだ。

 古代において、朱は、硫黄と水銀の化合物である硫化水銀から得られていた。

 古代中国では、水銀に”丹”という漢字があてられ、古代日本では、水銀のことを”に”と発音していたようだ。そのため、日本に漢字が輸入された時、”丹”という漢字に、”に”という音が当てられた。

 縄文時代、硫化水銀の朱色で彩色された土器や土偶が作られている。その後、古墳時代において、内壁や石棺などが朱で染められたものが現れ、朱は、古代世界において、精神的な意味を持つ色として様々な場面で使用されるようになった。

 朱色は、硫化水銀だけから得られるものではなく、ベンガラという鉄成分由来のものもある。奈良の天平時代から鉛の化合物で朱色を作り出すことが発明された。これは少し黄色がかった赤で、現代人が一般的にイメージする朱色は、この人工色であり、正真正銘の水銀の朱は、もっと血の色に近く美しい。

 古代において、水銀の朱が特別なものだったのは、この美しい血の色ゆえのことであるが、それだけではない。

 まず、水銀には防腐作用があり、そのためミイラを作る際に利用された。船底に塗ることで防水作用もあった。

 水俣病有機水銀の猛毒性が知られるようになったが、無機水銀の毒性はほとんどなく、鎮静作用があるので漢方薬で使われている。また殺菌性もあるので、たとえば水銀とナトリウムの化合物である伊勢白粉などは化粧用として有名だが、皮膚病の外用薬、シラミなどの駆虫剤としても利用されたようだ。

 さらに、鉱石から金、銀、銅などを精錬する場合に水銀は不可欠だった。 

 水銀は不思議な金属で、常温状態で液体だ。しかし水などに比べて遥かに比重が重く、重圧に強い。

 金や銀は岩石の中で不純物と混在しているのだが、その岩石を細かく砕き液体水銀と混ぜ合わせると、水銀が金や銀とだけ化合して粘り気のある物体(アマルガム)となる。

 このアマルガムを熱すると水銀だけが蒸発して金や銀が得られる。この性質を利用して仏像を黄金で覆うことができる。青銅で作られた仏像の表面を金と水銀の化合物で塗り、内側から熱すると水銀が蒸発して黄金が青銅の上に付着する。奈良の大仏はこの方法が使われ、50トンの水銀が必要だったと記録されている。

 しかし、水銀は液体状態だと毒性はないが、気化した時に毒性を持つ。そのため大仏建造時に水銀中毒が発生したようだ。

 この水銀と関わりの深いところが、丹とか丹生という地名になっており、日本各地に数多く存在している。

 古代中国においても日本の水銀が注目されていたという記録が残っているし、日本と大陸との交易において日本から水銀が輸出されていた。

 世界的に見ても、水銀鉱床は、ヒマラヤ山脈や地中海周辺、環太平洋など大きな造山地帯に集中しているようだ。その鉱床は地下の深いところまで及んでおらず、他の鉱床を伴っている場合は、上表部分に、しかも小さく存在しているだけなので規模において大きくは望めず、長期にわたって採掘が行われることは難しい。

 日本は4つのプレートが押し合う地下活動の活発なところで、とくに九州から関東まで伸びる長大な断層である中央構造線上にそって水銀の鉱床が多く見られる。

 この中央構造線は、九州からはるか西、中国の揚子江周辺の湖南省にもつながっており、湖南省は稲作地帯であるともに古代から水銀の産地で、ここから日本へと弥生文化が伝えられたと考えられている。

 中央構造線の中でも、近畿の紀ノ川下流域の日前神宮の鎮座するあたりから高野山を通り、吉野、宇陀、そして伊勢へと至る場所が、水銀の最大級の鉱脈と言える。

 そして、日本の古代史において、これらの場所が非常な重要な役割を果たしている。

 まず、飛鳥、藤原京平城京、それ以前の大和朝廷の拠点とされる三輪山の麓の纒向遺跡などが、水銀の大鉱脈を背後に位置している。

 そして、日本古来の山岳宗教と仏教が融合した日本独特の宗教である修験道の中心は、吉野から熊野にかけての大峰山系である。

 さらに、日本の宗教および精神史における巨人である空海は、10代の頃は四国の山岳地帯で修行したが、唐において密教の正当な継承者として認められて帰国した後、最終的に真言密教の中心として高野山を拠点とするが、その前に、3年間、大峰山系で修行した。そして、丹生都比売神社から神領を授かって高野山を開いた。

f:id:kazetabi:20200601004139p:plain

丹生都比売神

 不思議なことに日本各地の丹や丹生の場所に、必ずといっていいほど空海の伝承がある。

 その空海を崇敬していた宇多法皇が、907年、上皇によるはじめての熊野御行を行い、1281年の亀山上皇までの374年の間におよそ100度の上皇による熊野御幸が行われた。修験道と関わりの深い後白河法皇は、34回も熊野詣を行っている。

 さらに、『日本書紀」によれば、吉野には、応神・雄略・斉明・持統文武・元正天皇らが行幸したとされているが、古代最大の内乱とされる壬申の乱の前に天武天皇が潜んでいた場所が吉野であり、戦いに勝利した後、皇后(後の持統天皇)と6人の皇子を伴って吉野の地に行き、吉野の盟約を行っている。その時に詠んだ歌が、万葉集にある(巻1127)。

 

淑(よ)き人の良しと吉く見て好しと言ひし芳野吉く見よ良き人よく見 

ーかの美しく賢き方が申されたように、吉野は要の地であり、良き人よ、よく心得て治めよー

 

 そして、天武天皇の意思を汲んでか、持統天皇は、その後、31回も吉野に行幸している。

 吉野から熊野にかけての地は、修験道が修行を行う宗教的な場所もしくは神仙境として憧憬される地であったが、それだけでなく実用的な地でもあった。それは、金、銀、銅、鉄そして水銀の豊かな鉱床が数え切れないほどあったことだ。

 吉野一帯には、丹や丹生という地名が非常に多く、水銀の産地であったことは間違いないが、水銀の鉱床のあるところは他の貴金属の鉱床が豊かなところでもある。

 水銀は、主に彩色に用いられる以外は、それ自体の金属的価値というより、金や銀など貴重な資源を取り出すうえで貴重な物質である。つまり森羅万象に秘められた力と人間世界とのあいだを媒介する不思議な物質であり、そこから丹生都比売という神が創造されたのだろう。

 播磨国風土記』に、神功皇后三韓征伐の出兵の折、丹生都比売大神の託宣により衣服・武具・船を朱色に塗ったところ戦勝することが出来たという話がある。

 また空海は、上に述べたように高野山の開山において、丹生都比売神社から神領を授かった。

 前回、橋姫を鬼にした貴船の神について書いたが、天下万民救済のために、天上界から貴船山中腹の鏡岩に降臨した貴船明神は、丹生大明神と御同体とされる。

f:id:kazetabi:20200601001626j:plain

貴船神社 奥宮 相生の大杉。

 貴船明神の降臨の際にお供をした仏国童子(牛鬼ともいう)はおしゃべりで、神界の秘め事の一部始終を他言したので貴船明神の怒りに触れ、その舌を八つ裂きにされてしまった。そして貴船を追放され、吉野の山に逃げた。そこで一時は五鬼を従えて首領となったが、程なく走り帰って、密かに鏡岩の蔭に隠れて謹慎していたところ、ようやくその罪を許された。

 そういう話が、貴船神社の『黄舩社秘書』という古文書に残されており、貴船神社と、吉野の関係が伺える。

 仏国童子が牛鬼であるというのは、上に述べたように、牛が神聖なる犠牲でもあるという話にもつながる。

 また、貴船の神は、別名、龗(おかみ)の神という龍神であるが、この神は、古事記の中で、カグツチを産んでイザナミが亡くなった時、怒りのあまりイザナギカグツチを斬り殺し、その際、太刀の剣の柄に溜つた血から生まれたと伝えらえる。

 古代中国の殷の時代、「戈」(ほこ)という武器の刃の部分に”朱”が塗られた祭祀のための遺物があるが、太刀とカグツチの血のイメージが重なる。

 貴船神社の祭神の龗(おかみ)の神は、現在では水神とされているが、もともとは、血のイメージとつながる水銀の神であろう。だから貴船山の鏡岩に降臨した貴船明神(丹生大明神と御同体)と重なるのだ。

 水銀鉱脈が豊かな吉野、宇陀の地の室生龍穴神社は、貴船神社と同じく龗の神を祀り、その奥宮にあたる吉祥龍穴は、貴船神社の奥宮の龍穴とともに、日本三大龍穴の一つとされる。

f:id:kazetabi:20200601001932j:plain

室生龍穴神社 奥宮 吉祥龍穴

 吉野から宇陀にかけての一帯は、室生火山群と呼ばれ、1500万年前の大爆発があったところである。

 その大爆発は、大台ケ原あたりを中心にした超巨大爆発で、それは現在の私たちが見るような火山の噴火のレベルを超えて、火砕流堆積が四百メートルの厚さに及ぶものだったらしい。そして火山灰などが固まった凝灰岩など柔らかい部分はその後の侵食で流されて、今の地形ができたようだ。

 そして、特に吉野から宇陀にかけては、鉱脈が豊かで、自然水銀や朱色の硫化水銀(辰砂)が露頭し、古代、ヤマト最大の水銀鉱床だった。

 吉祥龍穴を棲み処としていたとされるのが善女竜王で、善女竜王は、高野山の麓の丹生都比売神社にも祀られている。

 平安初期(824)、京都の神泉苑空海が祈雨の祈祷をした時、勧請したのがこの善女竜王だった。

 吉野一帯は、鬼の棲家であるとともに龍神の潜むところで、空海や、役小角など修験道者にとって最大の行場であった。そして、天皇上皇が、たびたび訪れた場所だった。

 鉱物などの資源が豊かだっただけでなく、1500万年前の大噴火が作り上げた繊細かつダイナミックな光景が、生命エネルギーを覚醒させ、人間分別には収まりきらない森羅万象の根本原理を悟らせるのだろうか。

 役小角が吉野の金峯山で示現させた蔵王権現は、日本独自の神仏で、、菩薩、諸尊、諸天善神、天神地祇すべての力を包括しているとされ、仏教的には、釈迦如来と千手観音と普賢菩薩の合体を意味し、これ一つだけで、過去、現在、未来を救済する。

 その形相は、激しい忿怒相で、怒髪天を衝き、まるで鬼である。

 

f:id:kazetabi:20200601111048p:plain

東から伊勢斎宮、御壺山、倶留尊山、室生龍穴神社 奥宮、三輪山二上山大鳥神社と続く北緯34.5度のライン。30年ほど前、太陽神の祭祀との関係が強いラインとしてNHKでも取り上げられた。その後、真弓常忠氏が、太陽祭祀というより鉄との関係が強い場所が結ばれていると指摘した。当時は、室生寺がそのライン上にあると説明されたが、正確にはそうではなく、室生龍穴神社の奥宮の位置の方があっているし、時代的にも相応しい。太陽祭祀か鉄ということではなく、そのどちらにも関係している。鉄に限らず、このラインの周辺は鉱物資源の宝庫であるが、鉱物資源の開発は環境破壊や争いのもとになる。この地帯の東西の同緯度に聖域を置いたのは、龍神など山を支配する神と太陽運行の規則性を重ね合わせて祀ることで、恵みと咎のバランスをとることが必要だったのではないだろうか。

(つづく)

 

 

* Sacred world 日本の古層 Vol.1を販売中。(定価1,000円)

 その全ての内容を、ホームページでも確認できます。

www.kazetabi.jp