第1102回 神話のわかりにくさの背後にあるもの。

日本神話に出てくる神や天皇の名前は、長くて、わかりにくくて、覚えにくい。そして、名前ばかりが連なっているところもあり、筋がぼやけてしまう。
 でも、これはきっと、わざとそうしている。
 20歳の時、大学を辞めて2年間ほど諸国放浪したが、リュックサックの底に聖書と資本論を数冊入れた。この二つが好みの本だったわけでなく、逆に苦手だったからだ。
 当時、インターネットのない時代で、日本を離れたら日本語の活字に触れられることはないだろうと思っていた。実際にそうで、旅の途中、話し相手も含めて日本語が恋しくてしかたなかった。
 聖書と資本論をリュックに入れたのは、持っていける本の量が限られているので、一度読んだら終わりというものではなく、何度も読み返せるものをと思ったからだ。 
 旧約聖書の『創世記』は、ふだんの生活の中でなら不毛としかいえない内容で、敬虔な信者ですら、毎日、少しずつ読むことなんてないだろう。しかし、旅の途中、私は他に読む本もなかったので、『創世記』の部分を何度も開き、これはいったい何を言わんとしているのかと想像していた。
 内容が象徴的で、アダムとイブからアブラハムの時代まで、数字が無数に重ねられている。何年生きて子供を産んでその後何年生きて死んだの繰り返しだ。しかも、それぞれ登場する人物にあてはめられる数字が百年を超えているのでリアリティがない。
「アダムは百三十歳になって、自分にかたどり、自分のかたちのような男の子を生み、その名をセツと名づけた。アダムがセツを生んで後、生きた年は八百年であって、ほかに男子と女子を生んだ。 アダムの生きた年は合わせて九百三十歳であった。そして彼は死んだ。セツは百五歳になって、エノスを生んだ。 セツはエノスを生んだ後、八百七年生きて、男子と女子を生んだ。セツの年は合わせて九百十二歳であった。そして彼は死んだ。・・・」
 ざっとこんな感じが続く。
 しかし、毎日見ているうちに妙なことに気づいた。それぞれの人物は子供を産んだ後の年月が異様に長いのだ。アダムの場合は800年、セツの場合は807年。最初は気の遠くなるような数字の羅列に思われたが、それぞれの人物において子供を産んだ後の歳月は、何年生きたと表示されていても無視していいんじゃないかと気づいた。
 子供を産んだ時から次の時代は始まっているのだから。
 それに気づいて、それぞれの人物が子供を産むまでの歳月だけを足していったら、アブラハムの誕生まで1948年だった。
 それをする前は、子供を産んでから生きたという807年とか800年という無数の巨大な数字が壁になっていて、計算しようなどという気持ちになれなかったのだ。
 しかし、そのフィルターを外したら、意外と計算は簡単で、アダムとイブからアブラハムまで、1948年というわりと現実的な数字でおさまった。
 アブラハムは、ソドムとゴモラの時代、神に救われる道を示した人物で、イエスキリストも人々に説教するたびに、彼より約2000年ほど遡るアブラハムのことを引き合いに出している。アブラハムは聖書の中でもっとも重要な人物なのだ。
 そして、その頃の私は、パレスチナ問題に関心を持ってイスラム諸国を巡っている時だった。チュニジアに滞在していた1982年の夏、イスラエル軍によるレバノンベイルートへの激しい爆撃が行われた。
 そのイスラエルが強硬な手段でパレスチナの地に独立したのは西暦1948年だ。それは、創世記の暗号に散りばめられた数字から浮かんだアブラハムの誕生の数字と同じで、私は愕然とした。
 これはミステリーでもオカルトでもなく、狂信的なシオニストたちは、この創世記の謎の数字の暗号解読を当たり前のようにすませているだろうと思った。
 20世紀に入り、世界中に離散していたユダヤ人が、3000年前のダビデとソロモンの栄華の地、パレスチナに帰還する壮大な計画を建て実行していったわけだが、それを実現するためには、壮大な計画に応じた壮大なビジョンとモチベーションが必要だ。
 シオニストたちは、彼らの聖典の核心にあたる部分と、自分たちの宿命を重ね合わせた。
 シオニストにとって20世紀のイスラエル建国は、4000年前、神に選ばれたアブラハムと同等の価値あるものでなければならない。
 こうした壮大なビジョンを時代を超えて伝えていくためには、誰にでもわかるようなハウツーブックで示すわけにはいかない。
 誰にでもわかるようなものは、安易な気持ちで手を出す人も大勢いて、安易な気持ちで歪めてしまい、安易な気持ちで拡散させるからだ。今日の大衆マスメディアの報道や、ツイッターなどの情報拡散がその典型だ。
 多くの人が関心を持つものの価値が高いというのは20世紀の大衆社会の人間が陥った最大級の錯覚で、歴史を振り返ってみても、そういう安易なものが次の時代にきちんと伝わっていったことはない。
 放浪を終えて日本に帰り、聖書の「創世記」から獲得したイメージと歴史認識を400枚ほどの原稿にまとめた。そして当時、世の中でもっとも評価されていた批評家が、「マスメディア論」なるものを上梓していたので、若干22歳、若気のいたりの私は、彼のところに強引に押しかけ、原稿を渡した。
 そして数週間後、再び会いに行ったところ、とりあえず話をしようということになって話をしたら、「きみは巨視的すぎる。デカルトを語る場合は、デカルトの研究者が日本には最低10人いて、それぞれが全集を出しているからそれを全部読んでから来い」と一蹴された。
 当然、私が書いたものは読んでくれていなかった。
 宗教戦争の時代に生きて後の科学的思考につながる道筋をつけたデカルトへの敬意はあっても、その研究者になるつもりはなかったので、2度と彼のところには行かなかった。
 それはともかく、中国の老荘思想なども、誰にでもわかるものではないけれど、2000年の歳月を超えて現代でも多くの読者がいる。
 ”わかりにくさ”の壁は、大衆マスメディアのように冷やかし気分で関わってくる大勢に真実を歪められないための一種のフィルター装置でもある。
 私は、若い頃の「創世記」体験があるので、神話に触れる時は、ただ言葉を追うだけのことをしない癖がついた。
 わかりにくく書かれていれば、わざとそうしているのだろうと思うようになった。そして、なぜそうしなければならないのかを考える癖がついた。
 もちろん、わかりにくさにも二つのタイプがあって、一つは、それを記述している当人が物事をきちんと把握できていない状態で記述している場合。それを書いている当人がわかっていないのだから、読み手に何も伝わらない。下手くそな翻訳は、そうなっている。語学力の問題ではなく、原文の文脈が読み取れていない翻訳者が翻訳するとそうなる。
 わかりにくさの背後にある真実は、それを記述している人間が、あえてそうしなければならない理由も含めて物事の道理を理解している場合にのみ存在する。
 たとえば、ものづくりの匠とか武術の達人が、その極意を弟子に伝えていく場合に、そうなる。
 このたび私が作った「Sacred world 日本の古層Vol.1」には神様の名前がたくさん出てくる。
 それらの名を覚えたり理解しなければならないという感覚が、現代人特有の強迫観念であり、それらの名がほのめかすものをぼんやりと想像して、何かしらの気配みたいなものを感じるだけで十分なのだ。
 写真をピンホール写真にしているのも、見るための対象ではなく、眺めるための対象だからだ。
 現代を生きる私たちにとって古代世界は、決して見ることができないもので、いくら実証主義を重ねても、そのままリアルに再現できるものではないし、それができると思っている人は大事なことを何もわかっていない。
 再現することより、想像すること、そして何かしらのものが今を生きる自分にもつながっていると感じられることこそが大事なのだ。
 歴史というものは、リアルに実証できる形で後世に伝えられていくものではない。むしろ、誰にでもわかるような具体化は、何か大事なものが抜け落ちていても気づきにくくするわけで、真実はその時点で歪められてしまう。
 どんな具体化であっても、”仮”のもののはずなのに、”仮”であることを忘れ、それが正しい答えだと思ってしまう。
 今回のパンデミック騒ぎのこれまでにない特徴は、コンピュータによる計算が重く用いられたことだが、計算式にあてはめるデータというのは、どんなに厳選したとしても、仮のものでしかない。(感染率の伸びのシミュレーションにしても、致死率の計算にしても、データを得た時の状況に左右されるし、データ化されていない実態がどれほどあるかわからない)。にもかかわらず、そのデータを仮では実として扱ってしまい、計算式は複雑でいかにも専門家の装いだけれど、出てくる答えは誰にでもわかる数字というパフォーマンスに、人々が踊らされてしまった。
 どんな現象や情報でも、私たちに伝わっているものは、仮のものである。仮のものであるという認識を忘れさせないためにも、あまり安易にわかりやすいものにしてしまってはいけないのだ。秘伝を伝授する人は、そのことが痛いほどわかっている。
 古代世界は、実証的に精密に見なければならないものではなく、眺めるように感じるものであり、たとえ明確にわからなくても何か大事なものを感じられるかどうかの違いこそが大きい。
 その”あはひ”に耐えうる心の許容量が重要で、何事も白黒はっきりとさせないと気がおさまらないのは、意思がはっきりしているのではなく、ものごとの”間”の重要さを知らず、曖昧な状況に耐えうる心のトレーニングができていないだけなのだ。
 芭蕉が生きた時代から現代まで300年ほどしか経っていない。その芭蕉が師と仰いだ西行は、芭蕉の500年前に生きた人物だ。
 芭蕉は、西行が残したものの背後に、何か大事なものを感じていた。その大事なものが誰にでもわかるように大衆化されていれば探求の心も起きない。だから、師と仰いでその背中を追うこともなかっただろう。
 探求の心は、今の自分には届いていないものがそこにあることを感じながら、それを眺めるように心に思い描きながら歩み続けること。その歩みのプロセスが人間を深める。
 だから大事なものを後世に残す際は、答えをわかりやすく残すのではなく、その探求の心を維持し続けられるように設定する。
 おそらく世界中のどの神話も、安易に消費されず長く語り継がれてきているものは、そうなっている。

 

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www.kazetabi.jp