第1198回 エチオピアが、ユーゴやアフガンのようになってしまう。

 現在、エチオピアが崩壊の危機にある。

 ユーゴスラビアや、アフガニスタンのようになる可能性がある。激しい内戦により、民族間の対立は収まるところを知らず、虐殺、拷問、性的暴力が横行し、この1年間で戦闘により数千人の命が奪われている。

 私は海外70カ国くらい訪れていて、外国人とそういう話をしていると、どこが一番良かったか?と聞かれることが多い。日本人は、観光を除いて海外の状況にあまり関心がないからか、「へええ」で終わることが多く、それ以上の質問はあまりない。

 私は、これまで訪れた国のなかで一番印象深かったところとしてエチオピアをあげる。その理由は、自然も印象的だが、何よりも、1000年を超える歴史が現在も脈々と生きている場所は他に見当たらないからだ。

 人々が歴史の街として憧れるパリなんか、実際は、19世紀の都市計画によるもの(京都の祇園と同じ)だし、エジプトのピラミッドも、ギリシアパルテノン神殿も、過去の遺物にすぎず、博物館の陳列品のようなもの。

 渡辺京二さんの「逝きし世の面影」で書かれているように、明治維新の頃、日本にやってきた欧米人が驚き感激した、今に息づく「いにしえ」の世界は、エチオピアにおいても存在していた。

 私がエチオピアを訪れたのは、1991年に共産党独裁政権が打倒されて5年ほど経った頃だった。当時は、現在、ゲリラ攻撃を続けているティグレ人が、政権の中心にいた。彼らが、共産党独裁政権打倒の立役者だったからだ。ティグレ人は、エチオピアの北部の人たちで、1000年近く王朝を維持してきたアムハラ人や、現政権のオロモ人に比べて、目つきが鋭く精悍な印象があった。

 共産党独裁政権打倒の時も、現在も、人口は少なくても彼らの戦闘能力は優れている。少し前まで、自分たちが正当な側にいたのに、現在は、反体制派として扱われているから、名誉のためにも死を恐れず、戦い続ける。

 皮肉なことに、オロモ人の政権の中心にいるアビィ首相が、2年前、ノーベル平和賞を受賞してすぐ、エチオピアは混乱状態に陥ってしまった。

 エチオピアが、他のアフリカ諸国が次々とヨーロッパ諸国によって植民地化されていくなかで唯一独立を保ち、1000年にわたる王朝を続けてこられたのは、一種の神話政策にあった。

 エチオピアは複雑な民族構成だが、エチオピア王朝の祖は、ソロモンとシバの女王ということになっている。そうすると、3000年の歴史ということになるが、実際にこの神話が作られたのは、今から1000年ほど前、イスラム帝国が拡大していた時で、それに対抗するためにエチオピアの創生神話が作られ、その神話の求心力で、エチオピアは一つにまとまった。

 その求心力の軸になったのが、ソロモンとシバの子供、メネリク1世がイスラエルから持ってきたとされる失われたアークだ。「モーセ十戒」が刻まれた石版を納めた契約の箱「アーク」は、誰も見たことがないが、北部のアクスムのシオン・マリア教会にあるとされ、世襲で、神父が守り続けている。

 そして、エチオピアの各地域の教会に、この失われたアークのレプリカが管理されており、年に一回、ティムカット祭の時に、このレプリカが神輿のように運び出され、人々は熱狂する。レプリカでさえ人々の求心力になり得るのは、本物のアークが、アクスムにあると信じられていたからで、私は、現地で、「もしアークがないとわかったらどうなる?」と聞いたら、ガイドは、エチオピアが崩壊すると言っていた。

 日本の天皇制も、本当にアマテラス大神とつながっているかどうかわからないが、つながっているという前提で、朝廷の権威が保たれている。三種の神器も、失われたアークと同じで、実際はどういうものかわからないが、権威付けにおいて必要なものだ。

 日本とエチオピアの神話政策は共通するところがあり、大日本帝国の時は、エチオピア帝国と日本の皇室は世界最古級の皇室で、縁談もあった。第二次世界大戦後は、1956年に、戦後初の国家元首の訪日として、エチオピアハイレ・セラシエ1世がやってきた。彼は、エチオピア帝国最後の皇帝だが、ソロモンとシバの子供メネリク一世の子孫であると称していた。

 25年前は、エチオピア人は、失われたアークの存在を信じていた。今はどうだろうか?

 もし、日本と同じように神話の共有意識がなくなれば、国の求心力も失われる。

 現政権の中心にいるオロモ人は、エチオピアで最大人口の40%を占める。キリスト教徒(エチオピア正教プロテスタント)と、イスラム教が半々。しかし、オロモ人は、長年、半農半牧の生活で文字を持たず、言語も方言が多く、集団的な行動をとらず、統一的な力を発揮してこなかった。

 それに対して、現在、テロ攻撃をしかけているティグレ人は、ティグレ人全体では95%がイスラム教徒だが、エチオピア国内のティグレ人はエチオピア正教徒。男が放牧、女が農耕に従事し、エチオピアの人口の5%にすぎないものの一体感が強い。

 もう一つ、エチオピアの主流民族のアムハラ人は、85%がエイチオピア正教、15%がイスラム教。農耕民で、人口はエチオピア全体の20%ほどだが、長年、支配階級にいたため、エチオピア公用語はアムハラ語で、アムハラ人の主食であるインジェラエチオピア全土で食されているように、食生活も含めてアムハラ文化がエチオピアに根を張っている。

 民族や宗教の複雑なエチオピアだが、エチオピアとしてのアイデンティティは、アムハラ人が担ってきて、人口は多いものの統一感のないオロモ人が、現政権を担っている。それに対して、人口は全体の5%と少数だが、自らのアイデンティティを賭けて、ティグレ人が、死を恐れずに現政権に戦いを挑んでいるという構図になる。

 ユーゴスラビアも、複雑な事情を抱えて血みどろの戦闘の結果、イスラムボスニアと、カトリッククロアチアと、正教会セルビアに分かれてしまった。

 エチオピアにおいても、失われたアークの求心力が、もはや通用しない時代になったのだろうか。

 

 

ピンホールカメラで撮った日本の聖域と、日本の歴史の考察。

2021年7月5日発行  sacerd world 日本の古層 vol.2   ホームページで販売中

www.kazetabi.jp