第1277回 ドイツ対日本の試合で、日本チームの修正力に感心しきり。

 ワールドカップが始まっていることや、日本対ドイツ戦があるということも、まるで意識しておらず、たまたま映画を見ようと思ってプライムビデオをつけたら、冒頭に試合放映の告知があったので観ただけなのだが、ドイツ対日本の試合は面白かった。

 歴史的勝利ということもあるかもしれないけれど、前半戦、80%以上ドイツがボールを支配していて、実力の差だな、何点くらい取られるのだろうと思いながら観ていたのだが、後半にフォーメーションが変わってから劇的に展開に変化が起きて、ドイツ選手の球回しが悪くなって、日本選手がボールをまわしてゴール前でチャンスを作る場面が多くなった。状況に応じて、全体のフォーメーションを変化させるという戦い方が、とても興味深かった。

 前半、中途半端な攻撃的布陣が通用する相手ではなく、けっきょく弱い守りを崩されてばかりいたのが、守備を強化する布陣にしながら前線にスピードのある選手の投入で、速攻によって局面を打開するフォーメンションへのチェンジ。

 状況に応じてフォーメーションを変えるというのは、戦略を変えるということだろうけれど、それを実行するのは選手であり、一人ひとりの選手には個性がある。サッカーのようにチームプレーで1点を取りにいくようなゲームは、選手の個性の組み合わせ方が重要になる。だから、フォーメーションを変える時に、メンバーも入れ替える。個々の選手の能力の組み合わせ方の変化が、戦術の変化ということになるのだろう。

 ゴールをあげた選手も素晴らしい活躍だが、戦術として、面白いなあと思ったのは、途中から入った三苫選手で、左側で彼のところにボールがいった時に、少し時空が止まったような印象で、そのタイミングから急激に動き出して、ドリブルか、パスか、次の展開が、かなり多彩になった。それがスムーズに1点目につながった。

 疲れてきたから交代させるとか、動きが悪いから代えるというのではなく、戦略に応じて、その戦略に応じた戦術を実践できる選手に代える。しかし、代わらないままの選手もいるわけだから、彼らは、途中から変わる戦略と戦術に当意即妙に対応しなければならない。

 かつての日本チームが強豪チームと対戦していた時の印象は、なんか一辺倒だなあという感じだった。強引にドリブルで突破しようとして簡単に倒されて、「あああー」と解説者が声をあげるだけ、とか、ボールを持っていても、ゴールに向かって行けずに、中間あたりで、ずっとパスを回しているだけみたいな。

 海外の強豪チームでプレーする選手が増えて、状況に応じてプレーができる頭と体と技術を備えた選手が日本チームには多くなっているのだろうか。

 まあ、サッカーに限らず企業なんかでも、「我が社は、これが強みだ、自信を持っていけ」とか、「我社は、このやり方で、成果をあげてきたんだ、成果を出せないのは、お前が無能だからだ」という頑迷な頭の企業は、もう完全に時代遅れなんだろう。

 企業の問題だけでなく、たとえばシンポジウムなんかでも、事前に用意している内容を話すだけの人と、他の人が発している言葉に柔軟に対応できる人の違いがあるが、前者が多いと、個々の話が切れ切れで、全体が有機的につながっていかず、場が活性化していかないので、退屈きわまりないものになる。

 サッカーのように、明確な結果として現れないから、そうした催しも、反省がなくて改善が行われない。

 状況に応じて、手持ちのものの組み合わせ方や、アウトプットの仕方を変化させて柔軟に局面に対応し、修正していくこと。人間の能力としては、そうした力が最も高度なものなのではないだろうか。

 おそらく、鋭い牙も爪も持たないホモ・サピエンスが生き残ってきた理由は、その能力にあるのだろう。

 

________________________

ピンホール写真で旅する日本の聖域。

Sacred world 日本の古層Vol.1からVol.3、ホームページで販売中。

www.kazetabi.jp