先ほどのタイムラインの続きだが、伊勢神宮を訪れると、”つくられた聖域”という気がしてならない。
伊勢神宮は、おそらく、律令制の始まりに、聖なる舞台装置として作られたのではないかと思うのだ。
もちろん、そうだとしても、すでに1300年ものあいだ大切な聖域として護られてきたので、日本人の魂とつながる大切な聖域であることは間違いない。だから、今でも、数多くの人々が訪れる。
つくられた聖域だと感じるのは、仕掛けの演出が、至るところに見られるからだ。
たとえば、内宮への参道にあたる宇治橋は、「俗界と聖界の境にある橋」とされ、内宮のシンボル的存在だが、冬至の日、橋の真ん中から太陽が上るように設計されている。
しかし、京都府宇治市の宇治橋は、源氏物語にも登場し、646年に架けられたとされているのに対して、伊勢の宇治橋は、橋としての記録は、最古のもので1190年とされる。
また、以前にも書いたが、伊勢神宮の場所が、国譲りの神話と関わりの深い神々のフツヌシ(香取神宮)、タケミナカタ(諏訪大社)、オオクニヌシ(出雲大社)と、厳密な距離関係になっており、この配置は、計画的に行われたと考えざるを得ない。
また20年に一度の遷宮は、690年、持統天皇の時から始まったとされるが、式年遷宮を行なう理由として、神の勢いを瑞々しく保つ「常若(とこわか)の思想」があると説明されており、聖域の在り方として先に思想があるわけだから、古代的なものだとは思えず、これは、永遠に神事を継続できるようにするための人為的な仕掛けだろう。
旧殿から新殿へと20年ごとに神座の位置が変わり、神体を移し終わった旧殿は取り除かれ、その敷地は古殿地(こでんち)として、次の神座になる時を待つわけだが、こういう制度じだいが、非常に人為的なもののように感じられ、仮に神様が存在するにしても、そうした人間の都合に合わせてくれるとは思えない。
現在も、内宮の正宮は、階段の下までが撮影の許可範囲であり、階段から上は、警備員が厳しい目を光らせている。
神聖だからそういう措置をとっているというよりは、神聖さを維持するために、そういう措置をとっているのであって、こういうのは、権威を保つための典型的な手法だ。
伊勢神宮は、人為的なシステムで維持されてきた聖域である。
そして、すべてを新しくすることによって神威の一層の更新(若がえり)をはかる伊勢神宮のシステムは、日本人の心性を反映しているのか、それとも、そのシステムに日本人の心性が影響を受けているのか?
日本人は、行き詰まることが予想されるような段階で、徐々に方向を修正するということが苦手で、完全に行き詰まった時に、すべてを新しくするという強行的な手段をとりがちな国民性だ。
それが吉と出るか凶と出るかは、その時になってみないとわからない。
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ピンホール写真で旅する日本の聖域。
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