第1157回 Sacred world 日本の古層Vol.2の完成

 

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 新型コロナウィルスによって、この1年以上ものあいだ、世界中の人々が、これまで経験したことのない時間の中を生きています。

 天災や疫病は、人間の「理」を超えたものであり、古代から人間は、こうした人間の「理」を超えた試練に直面するたびに、世界観や人生観を見つめ直してきました。   神話が作られた時も、そういう時であり、現代まで生き続けている古典の多くは、そうした試練の中で生まれたものです。

 人間が作ったシステムは時代とともに変化しますが、自然の理は太古の昔から普遍であり、日本人は、古代から、その自然の理に沿って生きてきました。

 もののあはれ、わび、さび、はかなしといった日本人特有の美意識は、そうした自然の理に即して深まり、文化を育み、その文化が、日本人の生き様に影響を与えています。 

 現在、全精力を傾けて取り組んでいるプロジェクト 「Sacred world 日本の古層」は、今の時代、自身を見つめるために、現代という狭い枠組みを超えた視点で、人間のあり方を捉え直したいという思いが動機になっています。

  1年に一冊ずつ発行するという計画で、まもなくSacred world 2が完成します。  ホームページを公開し、ご予約を受け付けております。 →https://www.kazetabi.jp/  

 ページ数、サイズはVol.1と同じで、価格も前回同様、1冊1,000円(税込)に、発送料が300円となります。書店での販売は行わず、オンライン販売のみとなります。

 Vol.1に引き続き、写真は、ピンホールカメラで撮り続けております。

  日本の湿潤な風土の中を旅し続けていると、中近東や西欧のような一神教ではなく、自然の中に八百万神神々を見出していたということがよくわかります。

  とりわけ悠久の時を超えて存在している巨木や磐座などは、神々しいまでの気配を伝えており、古代人は、そこに人間の理を超えた世界の本質を直感的に捉えていたことでしょう。

  現代人は、自然の「理」に反した望みや欲に囚われてしまいます。それでも、人間の中には、自然の「理」に等しい原初の生命そのものの息吹も宿っています。

  ピンホールカメラはシャッターやファインダーがありませんので、人間の意識で被写体を切り取るのではなく、無意識のうちに何ものかを招き入れるという感覚の写真行為となりますが、その結果、物事の形よりも息吹や気配といった、見えるようで見えないものと反応しやすい道具なのではないかと思います。

 

 

第1156回 大坂なおみ選手の矜持と勇気について

 大坂なおみ選手の会見拒否のことが話題になっている。

 私は、風の旅人の中でも、色々な人のインタビュー記事を何度も掲載した。

 インタビューで話を聞いても、相手の真意をきちんと捉えきれているとは限らないので、原稿にした後、必ず、相手に読んでもらい、きちんと真意が伝わっているかどうか確認することは怠らなかった。というか、それは当たり前のことで、インタビューというのは相手が発する言葉をそのまま原稿にすればいいというものではなく、相手が発する言葉の背後にあるものを汲み取ることが大事だ。文脈を読み誤ると、正しいインタビューとは言えないし、いいインタビュー記事とは言えない。

 私は、その方法で、石牟礼道子さんをはじめ作家の方や、映画監督、哲学者、染色家といった異なる表現分野の人のインタビューのほか、オリンパスの社長をはじめ、いろいろな企業トップ、そして介護現場で働いている人たちなどをインタビューしてきた。 

 インタビューは相手の話を聞くことではなく、対話だと私は思っている。対話は、言葉の表面上のキャッチボールではなく、相手の言葉の背後に思いを巡らせて、その思いを汲み取ること。

 なので、きちんとしたインタビューをできたという手応えは、相手がその原稿を見て、「うまく言えなかったけれど、まさに、こういうことを言いたかったのだ」と言ってもらえるような対話ができた時だ。

 「あの時は、そういうつもりで言ったのではないのに」などと言われてしまうようでは、インタビューは失敗だ。それに対して、「いえ、あなたは、確かにこう言いましたよ、テープにとってますから」などと反論する者は、愚かで悲しい。人間でなくロボットか機械でも、そういう作業ならできる。

 そして、私は自分が新聞社にインタビューされることもあった。その時、驚いたことに、インタビューの後、かなりの分量の記事なのに、なんの確認もされずに掲載された。記事内容への満足度以前のこととして、新聞というのは、そういうスタンスなのだと知って驚いたのだ。たぶん、相手に確認して修正などが入ると、客観的事実ではなくなると思っているのだろう。つまり、記者側の受け取り方が、重要なんだと。うまく伝わらなかったら、それは伝える側が悪いんだ。こっちは、あなたを紙面で紹介してあげているんだからさ、というくらいの感覚なのかもしれない。

 まあ、確かに政治家などへのインタビューで、政治家に朱書きを入れさせたら、政治家の自己宣伝にすぎなくなる、ということがあるからかもしれない。

 つまりインタビュー記事の内容の書き下ろしを相手に確認させないのは、相手に、言い訳や釈明の余地を与えないためか。

 そうしたメディアのスタンスは、自分たちは公平、公正な立場にいると思っているだろうが、自分の側を万物の尺度としており、かなり、独善的であり、自己都合的だ。

 まあ、政治家や官僚など体制側が独善的で、その独善性に対抗する手段が社会の中に他に存在しなかった時は、そうしたメディアの必要性もあったのかもしれない。

 しかし、インターネットの時代となり、もはや多くの人は、メディアに対して、そうした役割を期待しなくなっているのだが、メディア自身がそのことに自覚的でない。

 気づいたところで、対話の方法を身につけていない。文脈を読む訓練もできていないかもしれない。

 そうした変化が社会に起きていることは明らかであるが、スポーツ選手や、自称アーティストの人たちも、相変わらずメディアにすり寄っており、そのため、メディアは、まだなんとか社会的権威を保ち続けている。

 スポーツ選手や、自称アーティストがメディアにすり寄るのは、彼らの価値基準のなかに、相変わらず「知名度」というのがあり、知名度は、虚栄心を満たすだけでなく、お金につながるからだ。そして、メディアの暴力が恐ろしく、敵にまわしたくないからだろう。

 大坂なおみ選手は、勇気ある行動をとった。勇気を発揮する以前に、繊細な彼女の心が限界に達していたということもある。

 そして、テニスというスポーツを愛していても、それを虚栄を満たす道具、お金を稼ぐ道具に結びつけたくないという矜持があり、それらと引き換えにするくらいなら、その世界から潔く足を洗っても自分としては悔いがないという諦観もあるかもしれない。

 お金をたくさん稼ぐことや、有名であり続けることに、まったく興味が持っていないというのが彼女の本音で、だからそれらを失っても後悔はしない。むしろ、それらの葛藤を引きずりながら生き続けることの方が、惨めで不幸なこと。そういう心境にあるから、本音を言える。

 仕事でも人間関係でも、本音で付き合えるかどうかが、人間の幸福感を決定する大きなポイントになる。

 いくらお金や地位に恵まれていても、偽り続けることほど、苦しいものはない。

 不本意ながら不祥事に巻き込まれて、偽りの仕事をさせられてしまった官僚が自殺する。それほど、偽りというのは、感覚の鈍麻していない人間にとって辛いことなのだ。

 メディアは、偽りを暴くことが仕事だと思っている。しかし、自分たちが、人々の偽りに対する感覚を鈍麻させる事をやり続けていると、想像できていないかもしれない。

 メディア自身が、想像力を減退させているからだ。

 想像力を減退させた者が、いいインタビューをできるはずがない。

 いずれにしろ、メディアがどうあれ、大坂選手のように、しっかりとした矜持(虚栄的なプライドとはまったく正反対の自分自身の誇り)を持ち、それを価値基準に行動できる人が出てきたということは、メディアと消費(必要がなくなったら捨てる)が一体化した大量生産と大量消費(物だけではなく人においても)、及び、なんでもかんでも無聊の慰め(気晴らし、憂さ晴らし)にしてしまう時代が崩壊しつつあり、新しい時代の扉が少しずつ開かれてきているのかもしれない。

 

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第1155回 オオヤマツミの嘆き

四国巡礼の際、友人でありピンホール写真の師匠でもある鈴鹿芳廉さんを訪ね、数日間、毎日温泉に入ったりしながら、しばらく一緒に時間を過ごした。

 今回の四国巡礼の目的は、徳島と高知がメインで、愛媛は息抜きのつもりだったけれど、予想以上に濃厚な体験と出会いがあり、その強烈な手応えから、ここに呼ばれたのは何かあるぞ、とは思っていた。

 そして、鈴鹿さんと愛犬の散歩をしている時、写真を撮った。このあたりは、古墳が多く、高速道路の建設中に大規模古墳群が出てきて、現在、工事を止めて発掘調査などをしていたりする。

 この写真を撮ったところも、今は丘の上に墓が立ち並んでいるけれど、かつては古墳だったんじゃないの、とか言いながら歩いていた。

 この写真の向こうの台形の山についても、あれは間違いなく神奈備だよね、ここからの眺望がとってもいいし、とか言いながら写真を撮った。

 そんなことを言いながら撮った写真に、どうにもオーラとしか思えないものが写っている。

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鈴鹿さんは、すでにこの写真を公開済み)

 鈴鹿さんそのものが、常にオーラを放ちながら生きている人だから、特に強調するようなことでもないが、人は誰でもオーラを身にまとっていて、その色が見える人には見えるらしいので、鈴鹿さんがオーラを放っていることじたいよりも、大事なことがありそうな気がした。このようにオーラが写るというのは、この瞬間に、何かいろいろなエネルギーが組み合わさった結果で、そこに立ち会っている自分や、その場所とも、つながりがある現象なのではと、ちょっとだけ気になっていた。それで、この後方の山のあたりはどういう所なのか確認した。 

 そこには三島神社があり、越智氏と関係が深い。そもそも、この今治には、越智さんが非常に多い。この写真の場所の近くにあったお墓に刻まれた名前も、越智さんがとても多かった。

 越智氏というのは、物部氏なのだが、日本史において極めて異例の氏族で、日本史に大きな影響を与えていながら、ヤマト王権とは常に距離を置き続けてきた氏族だ。

 この今治と、広島の尾道のあいだに、しまなみ海道があるが、このあたりから東の海には無数の島が点在する。

 古代、大陸とヤマトの往来は、「瀬戸内海を通って」と教科書で習うが、瀬戸内海の航海は、そんなに簡単なものではない。最近も船の衝突事故があったが、無数の島にぶつかる潮が複雑な流れになり、エンジンのない時代、風と潮の流れを読んで航海するのは至難の技であり、何も知らぬ渡来人がやってきて無事に渡れるようなところではない。

 エンジンを故障した北朝鮮の漁船が福井や新潟に流れ着いたりするが、日本海を流れる対馬海流に乗った方が、近畿には簡単にたどり着けるのだ。

 そして、古代、しまなみ海道のところで活動していた人々が、越智氏だった。

 中世においても、源平の合戦や、豊臣秀吉と毛利家の戦いにおいても、この瀬戸内海の無数の島々のあいだの潮の流れに通じる人たちを味方にできなければ勝ち目はなかった。源義経も、豊臣秀吉も、その努力をすることで勝利を収めた。

 越智氏は、いくら実力者であっても、中央政府の偉いお役人になることには興味をもたない氏族だった。自分たちの強みは、この今治の地にいることで発揮できるのだから。そして、ここは、古代から様々な物や人が、越智氏を通じて運ばれ、つなげられるところだった。瀬戸内海を通るとは限らない。今治に上陸して、吉野川を通じて徳島に抜けるルートもある。

 その越智氏が奉斎する神が、オオヤマツミノミコトであり、この神は、山の神として知られているけれど、それだけでなく、渡しの神でもある。というより、渡しがメインであり、そのための船を作るうえで木材が必要で、その供給源である山が、信仰の対象となる。

 渡しの神として、オオヤマツミノカミは、越智氏とともに、日本の歴史を、はるか縄文の時代から見続けてきたのだ。その聖域の中心が、しまなみ海道に浮かぶ大三島大山祇神社だ。

 (思えば、今回の四国巡礼、最初の予定では岡山から香川に上陸するつもりだったが、岡山に入った時、突如、どうしても大山祇神社を訪れたくなって、そのまま尾道まで向かい、大山祇神社を参拝した後に四国に入った。)

 私の京都の家は、桂川のほとりだけれど、近くにオオヤマツミノミコトを祀る梅宮大社が鎮座している。松尾大社も近くに鎮座して、こちらの方が有名だが、どうにも松尾大社は威圧感のようなものを感じてしまい足が遠のく。ジョギングする時は、梅宮大社を訪れることが多い。この場所は、とても落ち着くのだ。なんでだろうな、と漠然とは思っていた。

 この場所に梅宮大社を築いた嵯峨天皇の皇后である橘嘉智子や、橘嘉智子が、その意思を受け継いでいる犬養三千代(藤原不比等の後妻で、不比等が出世したのはこの女性のお陰。古事記日本書紀の真相も、不比等よりも、犬養三千代が鍵を握っている)を、ずっと意識して追いかけていた。

 そして、犬養三千代や橘嘉智子オオヤマツミノミコトを大事にしていた。オオヤマツミノミコトは、渡しの神として、すべてを見てきているからだ。

 そのオオヤマツミノミコトは、コノハナサクヤヒメとイワナガヒメをニニギに与えようとしたが、ニニギは、イワナガヒメは醜いから必要ないと送り返した。そのことをオオヤマツミノミコトは嘆いた。

 その真相について、今朝、早く目覚めてしまい、布団の中でぼんやりしていたら、次のような言葉が降りてきた。

 「そして、事代主と同じく渡しの神として、過去からの変遷を見てきたオオヤマツミノミコトは、新しくやってきたニニギに、縄文時代からの磐境(いわさか)の女神であるイワナガヒメと、弥生時代からの神籬(ひもろぎ)の女神であるコノハナサクヤヒメを、和合のために差し出すのである。

 磐境は、人間の願いとは関係なく神が憑いている依り代であり、神籬は、豊穣祈願や祈雨など人間の願いに応じて神を招く依り代である。つまり、コノハナサクヤヒメは、人間のこの世の現実に幸をもたらすために存在する巫女であり、イワナガヒメは、神そのものを畏れ、神に対して奉仕する巫女である。

 そして、神に願うことよりも、神を畏れることが、永遠の命につながることをオオヤマツミノミコトは知っていた。神に願うだけで神を畏れぬものは、願いの成就によって束の間の喜びを得るかもしれないが、また新たなる願望にとらわれ、それが結果的に苦の原因や争いのもとになるからである。

 ニニギが、コノハナサクヤヒメだけを選んだことを嘆くオオヤマツミノの真意は、そこにあった。」

 4月には完成させようと思って、年が明けてからひたすら没頭していたSacred world2。

 3月下旬に、突如、大山行男さんのインドの写真集を作ることになり、これも何かの思し召しだと思って流れにのって、その後、四国巡礼の旅にでかけたことで、3月末時点の構想から、最後の部分、「この国の祈りのかたち」が、どんどんと膨れ上がってしまい、収拾がつかなくなってしまった。

 でも、この言葉が降りてきて、いける!と思った。これが、 Sacred world2の最後の締めの言葉になる。ここに至るまでに、かなり日本の古層をめぐりめぐってきたが、これでなんとか VOL.2を収束させることができそうだ。

 

 実は、昨日の夜、この前兆となる古い新聞記事を発見していた。これは、まさしく自分が追いかけていた内容そのものだった。

 

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 大阪の茨木にある東奈良遺跡という銅鐸工房で発見された初期銅鐸に、縄文時代の文様が描かれており、銅鐸祭祀は、縄文文化弥生文化が出会って生まれた祭祀の道具だっという説。

 東奈良遺跡のすぐ傍、淀川沿いに三島鴨神社があり、オオヤマツミノミコトを祀っている。伊予の大山祇神とともに、全国の三島と名がつく神社の総本山。

 三島というのは、渡しの神なので、事代主も含まれる。

 古代、日本中をつなぐとともに、旧いものと新しいものをつなぐ役割を担っていたのが、渡しの神。だから、事代主は、奈良の大神神社の系譜では、猿田彦ともなっている。

 銅鐸というのは、縄文と弥生をつなぎ、さらに渡しの神を奉斎する氏族によって、各地をつないでいった。しかし、日本式の銅鐸の分布は、日本全国ではなく、静岡の掛川と、土佐のあいだに限られる。(九州の吉野ヶ里遺跡などでも出土するが、朝鮮半島から伝わって間もないもので、日本独自に発展していった後のものではない)。

 この銅鐸分布が、出雲という地名や、出雲の神々の聖域と重なっているので、一ヶ月前、その西の端である土佐を訪れた。そして、銅鐸祭祀の中心ではないかとあたりをつけた阿波を訪れた。  東の端の静岡の掛川は、昨年の年末、訪れていた。正しく言うと、この掛川訪問が、銅鐸祭祀と出雲の関係に気づかせてくれた。

 しかし、その日の朝まで掛川に行くつもりはなく、本当は、京都から中央高速を通って東京に移動する予定だったのだけれど、雪が心配で、しかたなく東海道を通ることに変えた結果だった。どうせ東海道を通るならば、その一ヶ月前、北海道で一緒に旅をした水越武さんの出身の三河あたりをじっくり探求しようと思い、途中で宿泊して、聖山の本宮山に登山したりしているうちに、とても大事なことを発見したのだった。

 そして、それらの発見を反映させるためにsacred world2をまとめはじめた。途中まで、巫女のことをずっと書いていたが、銅鐸祭祀と巫女の関係を深掘りしているうちに、整理できなくなった。出口の明かりは仄かに見えていたのだが、川の支流がいくつもできるように広がるばかりだった。

 しかし、この新聞記事で、すべてが一つに収束した。

  この東奈良遺跡周辺の茨木の端から端まで、去年の10月ごろか、朝から晩まで歩き続けた。

  きっかけは、友人が東京から茨木に引っ越したことだった。

  彼と会って、彼の家の近くの阿武山に一緒に登った後、茨木が、ものすごく気になり、後日、一人で憑かれたように歩き回ったのだ。そのあたりのことは、ブログでも書いていた。

https://kazetabi.hatenablog.com/entry/2020/12/05/144202

 今見てみると、その頃は、連日、ものすごい勢いでブログ記事を書いている。よくもまあこれだけ、毎日のように書き続けたものだ。 

 それはともかく、茨木に引っ越した友人は、茨木に引っ越す前、今、私がこれを書いている東京郊外の近くに住んでいて、私が、このあたりで拠点を探していたので、去年の夏、このあたりを一緒に散歩した。

 どうにも、いろいろと偶然と必然がスパイラルしながら重なっており、どこまでが自分の意思なのか、時々、わからなくなる

第1154回 古代、巫女の役割と、その罪について?

 

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日本を代表する名水の里、瓜割の滝。(福井県若狭町

 平安京の中心軸となった朱雀通り(現在の千本通り)は、東経135.74度で、このラインにそって羅生門大極殿船岡山などが位置するが、このラインは、近畿のど真ん中を南北に貫いており、その南端が、本州最南端の潮岬で、北端が、若狭の小浜となる。

 そして、第2代天皇から第9代天皇までの欠史八代と呼ばれる初期天皇の宮が築かれていた奈良県御所市周辺は、この東経135.74度で、数年前、このライン上の御所市の中西遺跡で、弥生時代初期の最大の水田遺跡が発見された。

 また、南北朝時代南朝が築かれた吉野の丹生川のそばの吉野三山や、京田辺の甘南備山、斑鳩中宮寺跡、奈良盆地の全ての川が合流する広瀬大社など、東経135.74度上には、古代の重要な場所が多く存在する。

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東経135.74度。上から八百比丘尼の入定の洞窟。平安京の朱雀通り(羅生門船岡山大極殿など)、京田辺の甘南備山、斑鳩中宮寺跡、広瀬大社、御所市の中西遺跡、吉野川の阿多姫神社、吉野三山、潮岬。

 

 この東経135.74度上には、女神や巫女の聖域が多い。コノハナサクヤヒメやイワナガヒメ、天津羽羽神、豊受大神聖徳太子の母親の穴穂部間人もまた、そこに含まれる。

 そして、このラインの北端の小浜には、八百比丘尼の入定の洞窟がある。小浜湾に面したところで、背後には後瀬山城があり、鯖街道と呼ばれる南川、北川が小浜湾に注ぎ込む場所であり、古代から渡来人が上陸し、鯖街道を通って、京都や奈良方面へと移動していく要の場所だった。

 八百比丘尼というのは、人魚の肉を食べたことで不死となった女性であり、全国に伝承が残されているが、入定(死なずに永遠の瞑想に入ること)した場所は、この若狭の小浜ということになっている。

 人魚の肉を食べて不

死になるという伝承は、いったい何を意味しているのか?

 八百比丘尼は、自らの好奇心で、人魚の肉を食べたのではない。村の男が、異人からもらった肉を、自分で試すのは怖いので、八百比丘尼に食べさせたのである。

 つまり、八百比丘尼は、異物が何ものであるかを調べるための犠牲であり、これは、古代において、巫女の役割だった。コノハナサクヤヒメやイワナガヒメなどの女神もまた、水辺で機を織っている時に異人(マレビト)に声をかけられて結ばれる一夜妻である。古代は川や海が交通路であり、水辺は、マレビトとの接点だった。

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八百比丘尼が800歳の時に入定した洞窟とされる。

 巫女は、所属する集団に降りかかる厄災を引き受ける犠牲者であり、もし集団が何かしらの厄災に見舞われれば、その罪は、巫女にあった。

 かぐや姫の物語のなかで、かぐや姫の罪とは何なのか?ということがよく議論になるが、近代的価値観にそって、かぐや姫個人の罪のことを考えても答えは出ない。かぐや姫というのは、巫女であり、その罪というのは、天災や疫病など、集団が見舞われた厄災のことである。

 魏志倭人伝の中に持衰(じさい)の話が紹介されているが、航海の時、一人の人間を持衰として決め、もし航海が無事に終われば、持衰を神のようにもてはやし、航海中に病人が出たり嵐に見舞われると、持衰は、その罪を背負って海の中に放り込まれたとある。

 神のそばに仕える巫女というのは、現代的な価値観では理不尽というしかない罪を背負う存在だった。しかしそれは悲劇というわけではなく、誉でもあった。巫女は、ただ美しいだけではなく、聡明で、振る舞いにおいても気品があっただろう。神やマレビトに対して、その集団を代表する役割を担っていたのだから。

 だから、敵なのか味方なのかわからないマレビトを計る役目も、巫女が背負った。巫女は、人柱にもなり、人質にもなった。

 かぐや姫のルーツは、丹後の竹野であり、竹野神社の巫女が、ヤマト王権とのあいだで重要な役割をはたしていた。聖徳太子の母親の穴穂部間人のルーツも、この竹野の地にあると思われる(蘇我と物部の争いの時、穴穂部間人は、この竹野の間人に隠れていた)。

 話を、若狭の小浜に戻すが、なぜ全国に伝承の残る八百比丘尼の物語において、800歳の時に入定した場所とされるのが、小浜なのか?

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小浜湾は天然の良港であり、京都の北、美山や京北方面に流れる南川と、琵琶湖方面へと流れる北川が海に注ぎ込むところ。鯖街道の出発点だった。

 

 その理由の一つは、小浜が、大陸からやってくる人たちの入り口になっていたからだろう。小浜は天然の良港であるし、朝鮮半島の、かつて新羅という国があった所から船に乗ると、対馬海流に乗って、ちょうどこのあたりにたどり着くのだ。

 そして、福井県若狭町に、瓜割の滝という日本の代表的な名水の里があるが、この周辺は、膳氏の拠点であり、膳氏のものと考えられている古墳が多く残っている。

 膳氏というのは、古代、天皇の食膳に仕えていた氏族だが、単純に食事係と思ったら、大きな間違いになる。

 天皇の食事を仕切るということは、天皇が行う全ての祭事における食事の準備をすることである。また、天皇の生命に関わる仕事であるから、天皇の側近中の側近であり、当然ながら、その警護も担うことになる。また、大切な客人をもてなす食事、つまり外交も仕切ることになる。

 安倍晴明で知られる阿部氏と、膳氏が、この役割を担っていた。

 そして、聖徳太子の愛妻で、「死後は共に埋葬されよう」と遺言したとされる膳部菩岐々美郎女(かしわで の ほききみのいらつめ)は、膳氏の娘である。彼女は、聖徳太子と共に病となり、太子が亡くなる前日(旧暦2月21日)に没したと伝えられる。

 聖徳太子の母親の穴穂部間人も、丹後にルーツを持つ巫女的な存在と考えられるが、あと少しで完成するSacred world2では、これら”境界の巫女”について、いろいろな場所を訪れて確認し、その

背景を想像している。

 現在、天皇陛下の後継は男になっているが、飛鳥時代から奈良時代にかけては、男性天皇の在位期間よりも女性天皇の在位期間の方が長い。

 しかも、男どもの権力抗争のなかで世が乱れる時、必ずといっていいほど女性天皇が即位し、さらに推古天皇をはじめ在位期間が非常に長いし、斉明天皇称徳天皇など、一度は男性天皇に譲位しながら、すぐに世の中が乱れたので、再び天皇の地位に戻っているのだ。

 古代において、女性は、明らかに、異なる勢力のあいだのバランスをとるために大きな役割を果たしている。古代の巫女が背負っている役割と、その罪は、そのことに大いに関係している。

 

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第1153回 これからの紙の本や雑誌作りについて。

 昨日、出版業の先行きの厳しさという、かなり以前から言われてきたことについて、私なりの考えを書いたけれど、今日、「日本カメラ」を発行している日本カメラ社が会社清算するということを知った。

 その理由として、コロナ禍による広告収入の減少云々と、ありきたりの言葉が添えられている。

 出版社が事業運営を続けられなくなる理由として、活字離れとか、インターネットの台頭で雑誌メディアへの広告が減ったためということは、かなり昔から言われてきている。

 私は、2003年に風の旅人を創刊した時から、広告収入という不安定な収益に依存するビジネスモデルで未来はありえないと思っていた。

 広告収入をあてにしないためには、売り上げの40%を抜かれる書籍取次流通の比率よりも定期購読を増やすことが鍵であるし、出費をどう抑えるかということも大事になる。

 幸いに、風の旅人を創刊した2003年頃は、デジタル革命が急激に進み、印刷製版のデジタル化によって、製版代やデザイナーの負担が、それ以前の10分の1に減っていた。A4で150ページの製版代が、800万円が80万円くらいに下がった。この浮いた分、広告はいらないと思った。同時に、広告をとってくる社員を抱える必要もなくなる。

 この20年近く、出版社は、デジタル革命の恩恵を受けていたはずであり、それでも経営が苦しいというのは、利益など表に出る数字よりも、本の販売数などの落ち込みは、もっと酷かったということだ。

 そして、いくら発行部数を多めにアピールしても、実際の販売数が激変しているから広告効果も得られない。必然的にスポンサーは離れていく。

 20年前は、製版におけるデジタル革命が急速に進んだが、近年では、ネット印刷のクオリティが高まっており、印刷全体のコストも格段に安くなっている。なので、発想を変えれば、紙媒体の出版を続けることは可能だ。その考えに基づいて、私は、昨年から、Sacred world を発行し始めた。これは、雑誌ではないが、これを雑誌形式にして、色々な写真家や作家の文章を掲載する媒体にすることは可能である。

 長年、雑誌運営を続けてきて、場を持つことで様々な人たちとのネットワークを作ることができる強みも感じていたが、今は、広がりよりもテーマを深く掘り下げたいという気持ちが強く、雑誌という形式をとっていないが、数年後には、気持ちが変わるかもしれない。

 書籍や雑誌の運営の障害は、活字離れや広告収入の落ち込みではない。もちろん、紙媒体を読まない人も増えているし、広告掲載を期待することも難しい。しかし、時代は変化しているのであり、出版を継続するための手段において、かつては考えられなかったものが生み出されている。

 30年前は、デザインして版下を作って印刷入稿の指定を行って、その作業は膨大で、修正作業も、ものすごく手間がかかったけれど、今は、それらの全体の業務を、素人でも簡単にできる。

 かつては出版物の告知のため、新聞広告が使われたが、なぜか出版物の広告は、他の商品に比べて広告費が一番高かった。今は、ホームページやSNSなど、様々な手段がある。

 流通においても、クリックポストやメール便など、様々な配送手段があるし、顧客管理も簡単で、全てを一人でやろうと思えばできる。オンライン決済ができるサイトだって、素人でも簡単に作れるのだ。

 真の問題は、活字離れや広告費収入の減少ではなく、産業構造や、発想や価値観が、旧態依然であることだ。

 かつては、パラパラと読んですぐにゴミ箱に捨てられるようなものであろうが、とにかく数字が大事だった。1万部より10万部がすごいと信じられていた。それが広告をとるためには重要なことだったし、既存の書籍流通システムも、そうした大規模な物量のための効率性を重視して構築されていた。しかも、その数は、非常に短期的な結果が求められる。本屋の棚に並べて反応が弱いと、すぐに次のトラックで回収され版元の倉庫に送り返される。

 テレビのワイドショーなどで取り上げられると、すぐに、目につくところに並べられる。

 けっきょくのところ、出版物も、消費社会の産物と同じ扱いであり、消費社会において通用する価値観のなかで評価が決まり、消費社会に順応する産業構造で運営されてきた。

 しかし、数を優先する価値観は、より効率的なネット社会に太刀打ちできるはずがなく、フォロワーの数で競い合うネット社会の個人の勝者の方が、膨大な人員や経費をつぎ込む雑誌よりも広告効果が高くなってしまった。

 かなり以前から、紙媒体は、薄められた情報を、より多くの人に散布する手段でなくなっていた。そうした状況のなか、生き残り続ける紙媒体の雑誌は、急速に進むネット社会についていけない人たちを独占的に囲い込む形で生き残るので、一社独占のように限られたものだけになる。

 そんな時代に、敢えて紙媒体を出す必然性や、目的は、これまでとまったく違うものになる。

 そして、その運営方法も、自ずからまったく違うものにならざるを得ない。

 消費社会を牽引した仕組みやコンテンツにしがみついているかぎり、インターネットにとって代わられるのは必然だ。

 畢竟、紙の出版物も、お気に入りの器や身の回りの道具、家具などのように、長くそばに置いておきたいもの、そばに置いておくことで自分を触発してくれたり、心を鎮めてくれたり、心身に何かしらの作用があるものに限られていくのではないだろうか。

 そして、出版物との接し方がそうなっていくと、他の物との付き合い方も少しずつ変わっていくような気がする。物や情報などを次々と消費するのは、けっきょく”不安”だからであり、そして、その不安の埋め合わせのために手を出すものが、その不安を解消するどころか、さらに不安を増幅させる性質を備えているとう悪循環がそこにある。皮肉なことに、景気の向上というのは、この悪循環の増幅による消費が鍵なのだ。

 物や人との付き合いは、これが一つあれば、この人がいさえすれば、と確かに思えるものが存在すれば、人の心はぐっと安定する。

 そして、それが消費社会の終焉に向けた心の持ちようであり、数字で計れない豊かさを重視する社会の姿がそこに現れる。

 未来の紙の出版物のあり方も、そうしたパラダイムの転換につながることを目指すべきなんだろうと思う。

 

 

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第1152回 日本企業の因習と先行き

 自社発行ではなく、他社発行の出版物でお手伝いしたのだけれど、出版業の先行きは厳しいなあと痛感。二重にも三重の意味でも。

 一般的に出版社って、編集制作サイドと営業サイドが分かれていて、編集制作サイドの企画を営業サイドが確認して、発行すべきかどうか、売れるかどうか、部数はどれくらいか、価格はどれくらいかを決める。

 しかし、その際、たとえ企画が通っても、こういうのは今時売れにくいんだよね、だから部数はこれくらいだとか、売るためには、このくらいの価格じゃないと難しいと、厳しい意見があがる。でもその結果、たとえば3500円で1,000部販売することになっても、トーハンなどの取次流通に4割抜かれるので、全部売れたとしても収益は210万円で、印刷代とトントン。制作費の部分は赤字になってしまう。その埋め合わせに、作家自身に定価で買い上げを求めるケースもある。作家自身の費用負担が出版社の利益になるということも多い。(共同出版という名の自費出版)。

 この構造を抜け出すためには、たとえば自社のホームページなどを通じて直販の比率を増やして、取次流通に抜かれる4割を自社利益にすることが賢明だ。1000部を全て直販で売れば、100万円ほどの黒字になる。私は、10年前からこの方法に変えたが、出版社は、取次流通との関係を維持するために、直販ができないそうだ。まあ確かにそれはわかる。出版社が自社サイトで販売すればするほど書店での販売は、その煽りを受けるのだから。しかし、これにも矛盾があり、取次流通もしくは出版社は、書店だけでなくAmazonにも本の販売委託を行う。書店への打撃ということでいえば同じだ。その結果、書店の倒産は増え続けている。その結果、書店流通経由の販売を尊重する出版社の本の売り上げも減っていく。

 これは、インターネットが登場する以前の成功モデルを、中途半端なまま残し続けているからであり、板挟みのまま、じわじわと衰亡していく構造がここにある。

 出版業は、日本経済の一つの象徴であり、日本でウーバーが広がらないのも、国がタクシー業界を守っているからであり、その理由は、タクシー業界が失業者の受け入れ先になっているからだ。

 日本の失業率は、先進国諸国のなかで少ないということが自慢される。

 しかし、その理由は、日本には、異様なくらい中小企業が多いからで、その数は、日本の企業421万企業のうち99.7%を占め、労働人口は、70%にもなる。

 この膨大な中小企業が、失業者の受け入れ先になるから、日本の失業率は低いのだけれど、中小企業は、そう簡単に賃上げができない。だから、欧米各国や韓国などの平均賃金が、毎年、あがり続けているのに、日本はずっと同じで、知らないうちに、韓国にも抜かれた。少し前なら、韓国に行けば物価が安いから豪遊できるからと週末を利用してのツアーが流行したが、立場は逆転している。日本は、コロナ禍前、インバウンド旅行が急拡大したが、日本が各国にとってお得な旅行先になったからだ。

 アベノミクスの掛け声のもと、日銀が日本の上場企業の株を買い占めるという禁じ手を使い、株価が30,000円になっても、多くの日本人に景気がよくなったという実感がないのは当然で、労働人口の70%を占める人々は、株など関係なく、大手企業の下請けとして、大手企業が厳しい国際競争で生き残るためだからだと過剰な要求をつきつけられ、毎日、ハードワークを強いられる。

 なにかしらの反乱(決して暴力的にということではなく)が必要なのだが、従順にこの構造に巻き込まれたまま、日々、やりくりし続けるしかない。

 そして、その”やりくり”には、本質的でないと思える業務が膨大にある。

 今回、私がお手伝いして本の仕事でも、緊急の仕事であったが集中的にエネルギーを費やして、最初の10日ほどで、読者に届ける物としての完成度は95%、仕上げることができた。

 しかし、残りの5%で、その95%と同じくらいの時間とか、やりとりが必要になった。

 その中には、たとえば、ジェンダーの問題に配慮して、”女”という表記を、”女性”に変えるべきだ、という議論も含まれる。

 本質というのは、文脈の中に宿っているのであって、単語一つの問題ではない。

 森元首相女性差別発言は、単語の使い方を間違えたのではなく、文脈として、組織の中に女性をあまり入れたくない、という意図があることは誰にでも明らかだった。それは、彼がお得意としている”手打ち”の習慣が女性にはないからだ。

 森元首相を、オリンピック組織委員会のトップに据え、余人をもって代えがたい などを持ち上げる連中は、この手打ちという密室の取り決めを、調整能力を称して、その因習にとらわれ、その因習のなかで、利益とかポジションを獲得してきた輩であり、そういう輩が、日本全体の構造を牛耳っている結果が、日本の停滞につながっている。

 出版メディアの凋落は、単なる業績の問題だけではなく、物事の捉え方、考え方などにおいて、本来は、創造的に新しい局面を切り開く存在でなければならないのに、因習に追従するようなことしかできなくなっていることだろう。

 因習に追従することは、一つの処世術でもあるが、この変化の時代においては、足枷でしかない。

 

 

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第1151回 メディアの役割

オリンピック組織委員会は、文春が報じている280頁に及ぶ内部資料(昨年4月6日付)の内容は、秘密資料であり、それを公開することは、東京2020組織委員会の業務を妨害するものであるとして、抗議している。

 https://tokyo2020.org/ja/news/news-20210401-03-ja

 文春のような役割を果たすメディアが一つもなければ、大規模なスポーツの祭典に国民の意識をひきつけて熱狂させ、その陰で汚いことをやっている輩は、姿を隠すことができていた。

 2020年に予定されていた東京オリンピックは、初めの頃からずっときな臭いものが立ち込めていた。国立競技場の問題やエンブレム問題など、特定の政治的権力者のお気に入りが、明らかに優遇されてきて、そうした”政治的圧力”に媚びることを潔しとしない表現者が排除される傾向にあるということは、表に現れてくる各種の決定事項を見るだけでも明らかだった。

 ちょっと冷静に見れば、なんでこんなものが選ばれるんだと思うようなものが選ばれ、愚かなマスメディアが、一切の批評精神をもたず、お上から受け取った決定事項を右から左に流すだけで、祝福ムードを盛り上げていた。

 そして、いつも不思議だったのは、バッハIOC会長との協議においても、日本側は、森とか橋本とか丸山とか小池とか、政治家の顔ばかりで、 JOC会長の山下の存在がまったく見えないこと。

 それ以外には、武藤 敏郎という森元首相のお気に入りの元大蔵官僚が、オリンピック組織委員会の事務総長らしくて、時折、会見をしているが、どうにも政治的な臭いがプンプンする人物であるということ。

 そもそも、オリンピック組織委員会のなかでの、日本オリンピック委員会の役割が、よくわからず、けっきょく政治的な力学のなかで、オリンピック組織委員会が運営されているとしか思えない。  今回の、文春に対するオリンピック組織委員会の雑誌の発売中止と回収などの要求なども、もはや政治的圧力としか見えない。

 文春の記事が、証拠もない捏造記事だから回収しろというのであれば構わないが、秘密資料であり、それを公開することは著作権の侵害なのだから雑誌の発売中止をしろと主張している。

 実に愚かだ。 アメリカのNSA国家安全保障局)による全世界におよぶインターネットと電話回線の傍受を暴露したスノーデンは、秘密事項を漏洩したことで、それこそ、国家機関に生命を狙われる立場になったわけだが、スノーデンの事件においては、アメリカ政府は、スノーデンのデマだ、証拠がないと、主張し続けることができる。

 しかし、東京オリンピック組織委員会において行われていたことが白日のもとにさらされていることに対して、組織委員会は、秘密漏洩だとか著作権の侵害だと主張している。つまりそれはデマではなく、事実であるということだ。

 だとすると、東京オリンピック組織委員会が、人に知られたくないことを極秘事項であると言っているにすぎず、この組織は税金によって運営されているのだから、その内部で何が行われていたかを知る権利が国民にあるという文春の反論の方が、国民にとっては、筋が通っている。

 重要な論点は 秘密漏洩とか著作権侵害だといった事務手続きの問題ではなく、その中身なのだ。  そして、なぜこの膨大な内部資料が外に出たかというと、外に出した人物がいたからで、その人物がなぜ外に出したかというと、組織の中で、政治的な力で大切な物事が歪められていくことに我慢ならない者がいたからだと考えることが自然だろう。

 文春が、唯一、メディアとしての役割を果たしているなあと思えるところは、歪められた組織内部のなかで、良心や正義の心を持つ者が、その事実を公にする道を作っているところだ。

 文春という存在がなければ、秘密のベールに包まれた組織内部で汚いことが行われていて、それに矛盾を感じている人物がいても、どうにもならない。

 日本の新聞社やテレビ局に話を持っていっても、無視されるだけならマシだが、新聞社やテレビ局に潜んでいる権力の犬が、すぐに秘密暴露の件を権力者に伝え、情報暴露者は、密告者として制裁されることになるだろう。

 現在、歪められた事実の情報を持ち込める唯一の場が、文春になっており、そういう場があるというだけで、いろいろな腐った組織に対する牽制にもなる。

 もちろん、正義や良心によるものではない情報ネタもあるだろうから、そのあたりをどう扱うかによって、メディアとしての信頼度が違ってくる。

 ただ、文春は、自分たちが、どういうポジショニングであることがベストであり、結果的に、雑誌の販売につなげられるか、理解していることだろう。

 広告収入に依存するのではなく、販売益を重視するビジネスモデルならば、大衆に媚びるだけの情報伝達に傾きがちだが、その安易なやり方は、他の誰でも簡単にできるわけで、けっきょく横並びの競争のなかで独自の存在感を発揮できない。

 大手テレビ局や大手新聞社が、国民の知る権利を守るなどという言葉を吐いても、説得力はまったくない。

 捏造か否かではなく、秘密漏洩か否かで権力組織と争えるメディアは、もはや文春しかない。

 そして、秘密漏洩か否かで権力組織と争えるメディアだけが、国民の知る権利を守るため、という言葉を使うことができる。 https://bunshun.jp/articles/-/44589

 

 

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