第1090回 いのちが私たちの中にあるのではなく、私たちが、いのちの中にある。

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今日はお天気がよくて、家の前の河川敷に、親子連れが、わりとたくさん来ていて、子供の頃によくやっていた川に向かった石投げや、虫取をしていて、いいなあと思って眺めていた。

 

 忘れてならないことは、いのちが私たちの中にあるのではなく、私たちが、いのちの中にあるということ。

 4月1日に「Sacred world 日本の古層」を発表して、4月3日に注文をしてくれた知人の劇作家で俳優の和田周さんが、新型コロナウィルスによる肺炎で亡くなった。
 81歳。映画を愛し、読書家で、近年も、ハンナ・アーレンからシモーヌ・ヴェイユに夢中になり、道元本居宣長西田幾多郎鈴木大拙と読み漁っておられたようだ。
 処世には程遠い本質と大局を見据えた読書と思考と実践。専門の狭い領域で優劣を競うことが知性や創作だと錯覚している似非文化人、似非アーティストが多い世の中で、真に心ある文化人であり芸術家。
 2年ほど前、和田さんは、
『新・明日もまた今日のごとく』最首悟著(くんぶる発行)から次の言葉を引き出して、水俣病の不条理と向き合っている。

「しあわせ」を問うことは、人間の、そして「いのち」の深遠さを認識することである。

 新型コロナウィルスの猛威を受けて、今まで当たり前だと思っていたことが、当たり前でなくなった。
 しかし、以前の当たり前の状態に戻ることが、「しあわせ」であるはずがない。
 当たり前だと思っていたことが当たり前でなくなった時、人間は、感情的になって、それを不条理だと思う。
 しかし、当たり前ではなくなった時は、当たり前だと思っていた現実を距離を置いて見つめる機会である。
 人間が変われる時というのは、そういう時しかない。

 「いのち」の深遠を認識するところから、「しあわせ」を捉え直す時期が来ている。

 

 合掌

 

 

 

ホームページで、 Sacred World 日本の古層を紹介中

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