1417回 今という永遠の中に在る縄文のコスモロジー

 縄文人は、同じような生活を10,000年続けていたとされ、さらに彼らの居住地は、ずっと同じで、竪穴式住居が、前の世代のものの上に積み重ねられるように作られているところが多い。
 つまり、他の地域に移る必要がないほど、暮らしが安定していたということになる。
 そんな彼らの生活場所は、今でいう里山だった。
 日本の沖積平野は、川がしょっちゅう氾濫する。峻険な山合いの谷からの水が、一挙に平野に流れ込むからだ。
 今でこそ、高い堤防を築いたり、巨大なダムで調整しているため、その脅威を実感しずらくなっているが、それでも、一度洪水が起こると、大変なことになる。
 縄文人が暮らしていた里山は、そういう危機がなかった。何より、照葉樹林の森には木の実が多く、そのため小動物もたくさんいたし、河川から魚を得ることもできたし、海に漁に出ようと思えば、河川を通じて簡単だった。
 私が子供の頃の学校の教科書では、縄文人が、はじめ人間ギャートルズのように毛皮を着て、狩をしているイメージにされていたが、近年の学会内の認識は大きく変わっていて、麻で織った服を着て、食卓には海の幸、山の幸が多彩にのっていたとされている。
 さらに山に近い里山は、湧水も豊富に得ることができた。
 しかし、縄文人は、里山に閉じこもっていたわけではなく、川や海を通じて、かなり遠方と交流していたことが、ヒスイや黒曜石が亀ヶ岡式土器など各種土器の流通状況からわかっている。彼らの行動は、融通無碍だったのだ。
 山というのは、神の領域で、里山は、その周縁部ということになる。だから、神を身近に感じて畏れの気持ちを抱きながら、驕ることなく、謙虚に生きていたことだろう。
 なにしろ食物の恵みは自然界からもたらされていたから、自然に対する感謝の念を失うことはありえない。
 海に囲まれた島国は、野生動物が冬眠しても、魚介類が十分なタンパク源になるので、人は飢えることがなかっただろう。 
 10,000年も同じ暮らしを続けたのは、進歩がなかったわけではない。暮らしのスタイルが変わらなかっただけで、精神性は、極めて高いレベルに達していたことは、土器や土偶を見ればわかる。
 八ヶ岳周辺の縄文文化を深く研究している田中基さんからの話で、私が感銘を受けたのは、縦穴式住居の出入り口の地下に、胞衣(出産の後の胎盤)が埋められているという話だ。
 それが何のためにというのは、学会内の学説としては証明しきれないものがあるだろうが、私は、縄文人にとって縦穴式住居は、子宮だったのだろうと直観した。あの狭い出入り口は、まさに産道であり、縄文人は、眠る時は子宮内に戻り、朝、目覚める時は新しく誕生していたのだ、きっと。
 縄文人が、食事を含め、日中はずっと住居の外ですませていたという話を聞いた時から、その考えは確信になった。
 毎日、子宮から新しく生まれるのだから、昨日の悩みを引きずらないし、明日のことも憂いたりしない。
 時間に区切りはなく、今という時間は永遠の時間だった。
 なんと精神的にも健やかなことか。ずっと屋外で活動し、身体的にも健やかだっただろうし、精神的にも健やかだった。だから、10,000年も同じ営みを続けていた。変える必要がなかったのだ。
 人間の幸福の定義は、いろいろとある。
 今という一瞬が永遠ではなくなり、昨日の悩みを引きずり、明日のことを心配しながら生きているのは、どれだけ利便さを獲得して、暴飲暴食をして、娯楽に興じても、幸福と言えるかどうか。
 ましてやブランド品で身を飾っても、他人の目に対する意識が強くなるばかりで、他人との比較や、他人との競争に苛まれるようになるのであれば、よけいな不幸を抱え込んでいるにすぎない。
 他人との比較や、他人との競争という意識ではなく、自らを全うできる状態へと自分を持っていく意識の方が、縄文人が獲得していた幸福に近い道のような気がする。
 自らを全うするというのは、よけいなことを考えずに、自分の目の前のことに全力を傾けるということだろう。そのことについて、周りがどう言おうが関係ないという境地に到ることだろう。


 10,000年のあいだ同じだった縄文時代から、弥生時代になって日本社会は急激に変わり始めた。

 
 稲作とか、新しい知識や技術や、いろいろなことが要因としてあげられるが、本質的なこととして、他者との比較分別という概念がもたらされたことがあると思う。
 この分別は、エデンの園を追い出されたアダムとイブが食べた禁断の果実に該当する。
 アダムとイブの子のカインは、神に気に入られたアベルを妬んで、殺害してしまう。さらに嘘をつく。このカインの罪が、人類の罪の起源とされる。
 その罪を引き起こしたものが妬みであり、妬みは他者との比較分別によって生じる。
 日本では、弥生時代以降、カインの時代になってしまう。しかし、それでも、時おり、その問題の本質を指し示す人物は現れた。
 空海道元などが、その代表で、彼らは宗教人として扱われているが、「宗教」という枠組みは後付けのものであり、本来は、人間の健やかな生き方を問い続けた探求者だったのだろう。
 道元が詠んだ、「春は花、夏ほととぎす、秋は月、冬雪さえて、冷しかりけり」という歌は、解釈本に書かれているような単に日本の四季を愛でている歌だとは私は思えず、縄文人コスモロジーのように、自然の循環のなかで、今という永遠の中に在るという境地を詠んでいるように感じられる。
 いつの時代でも、人間の健やかな生き方の問いと探求は、人間にとって、もっとも大事な精神活動のはずで、だからこそ、空海道元の言葉や行いは、現在でも、普遍性を帯びている。
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