第1431回 もし安井仲治が、あと30年長生きしていたなら。(2)

日本が太平洋戦争に突入する直前、安井は、驚くべき写真を創出する。

 それは、「磁力の表情」と題されたシリーズで、鉄粉と磁石で作り出した磁場の形を浮かび上がらせたものだ。

 このイメージは、私が編集制作を行っていたグラフィック雑誌『風の旅人』の第31号から連載で紹介し続けていた「電気の宇宙」のビジョンとそっくりであり、太陽コロナや銀河から、ミクロ世界にも相似形で連なっている宇宙の姿だ。 

 そのため私は、この安井の「磁力の表情の写真を、「この世の際」というテーマで制作していた風の旅人の第39号の表紙にした。

https://www.kazetabi.jp/%E7%AC%AC%EF%BC%93%EF%BC%99%E5%8F%B7-%E7%AC%AC%EF%BC%94%EF%BC%90%E5%8F%B7/ 

 この号には、いわゆる世間的には障害者とされる人が制作するアウトサイダーアートも紹介していたが、安井の磁場の写真は、それらのエネルギーとも呼応していた。

 なぜ、安井は、戦争前の時期に、この作品を作り出していたのか?

 おそらく彼は、宇宙や地上の出来事が、争い事も含めて、磁場のなかのエネルギー現象のように見えていたのだろう。

 安井は、世の中では誰も戦争の気配を感じていなかった時期に、個人の意向ではどうにもならない宇宙的原理のようなものを実感していたのだと思う。

 同じ頃に撮られた写真は、異様で、物事の見え方を反転させるものが多い。 

 砂浜に横たわった一見健やかな肉体に見える男が、まるで死んでしまっているようにも見える写真。枯れたヒマワリの花が乾き切った泥の上に落ちているのだが、周辺の泥の方が生きて蠢いて、ヒマワリの種を飲み込んでいく緊迫感が伝わってくる写真。生と死は、同じ位相にあり、表裏の関係でしかない。安井は、それを視覚的に、象徴的に示している。

 さらに安井は、自らの死の直前、雪、月、花、池、林といったものをモチーフに写真を撮っているが、彼は、それらを「人の心ばえ」であると言っている。

 世界と安井が、それらの写真を通じて一体化しており、白と黒、光と影、陰と陽が均衡している。

 「雪」の写真の場合は、白くはかない雪と、底無しの闇が、ぎりぎりの緊迫感で均衡する。

 「月」では、丸く小さな月が、生茂る木々の黒い陰と怪しく均衡する。

 「林」では、白い林のなかで行き止まりのように見える真ん中の黒い陰が、向こう側に通じるトンネルのように見える。

 「池」は、まるで三途の川のようで、あの世とこの世の境界を超えて黄泉の国に辿り着いた死者の視線だ。これらの写真を見ていると、極限まで行って、もうそれ以上どこにも行けないと悟った人間だけが見ることのできる「世界の反転」が示されているように感じられる。

 すなわちそれは、ひとつの終わりが、あらたな世界を開くビジョンになるという「終わりと始まりの合一」であり、その境地を、安井は、「心ばえ」と言っている。 

 行き止まりの人間にとって究極の救いのビジョンを示して、安井は天に召されたのだ。

 1941年12月8日、日本軍が真珠湾を奇襲し、ここから日本軍の快進撃が始まった。

 1942年2月、日本軍は、ジャワ沖海戦でアメリカ、イギリス、オランダ海軍を中心とする連合軍諸国の艦隊を打破する。

 日本社会は、戦勝に沸いていた。

 この風向きが変わったのは、太平洋戦争の転換点とされるミッドウェー海戦の大敗だが、これが1942年6月。

 それでも日本国内は、戦争に浮かれていて、誰もその後の深刻な事態を想像すらしていなかった。

 このミッドウェー海戦の3ヶ月前の3月15日、他界してしまった安井仲治の目には、その後の不吉は、しっかりと捉えられていた。 

 安井は、太平洋戦争直前の1941年10月、病のなか最後の力を振り絞るように、「写真の発達と、その芸術的諸相」と題する講演を行った。

 そのなかで、「普及が却ってその芸術を滅ぼす。ゆえに、普及の円の中心が確固としていなければならない。そして、それは”道”である。全人格的努力を傾注するものが必要である。」と、芭蕉の言葉を借りながら説明している。

 さらに、写真家に対して、その仕事として、「アマチュアの同情者(共感を得るという意味)としての必要もあるだろうが、芸術的な仕事をしている人は、芭蕉の言葉に聴くところが多くなければならぬと思う。」と言い添えている。

 「芸術もけっきょく人に帰するが、単純なものほど人に帰する点が多く、技術でごまかすことは出来ない。卓上一個の果実を撮る人も、戦乱の野に報道写真を撮る人も、”道”において変わりはない。」

 このシンプルで深い安井の言葉を指標にしたくない多くの写真家(写真家志望者も含めて)や、それらと同調する評論家が、コンセプトやテクニックで空疎なものを意味ありげにして、結果的に写真そのものを貶めている。

 木村伊兵衛たちメディアの戦争宣伝工作部隊は、ミッドウェー海戦の大敗以降、逆に活動を活発化させた。あたかも日本が勝ち進んでいるかのように、真実を覆い隠し続けた。

 安井が言っていた「全人格的努力」を行うのではなく、時流に乗るどころか時流を煽る表現者の社会的ポジションが上がっていき、本土空襲や沖縄の悲劇、広島と長崎への原爆投下につながっていった。

 

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