「薔薇刑」、「鎌鼬」、「胡蝶の夢」、「抱擁」、「男と女」、自分の書棚にこれらの写真集が置かれている幸運な人は、今、改めて見つめ直しているかもしれない。
戦後日本の写真表現界が生んだ大きな大きな星、細江英公さんが、超新星爆発のように、その生涯を終えられた。しかし、宇宙に飛び放った星のかけらから、きっと新たな大きな星が生まれてくることだろう。細江さんの命は、途絶えたわけではなく、これからも、その命を継ぐ誰かによって、続いていく。
写真家という枠を超えて、芸術家という名がふさわしい写真家は、そんなに多くないが、細江さんは、写真家やアーティストという呼び名よりも、芸術家がふさわしい。
その定義は、人それぞれかもしれないが、間違いなく言えることは、未来世紀の人間が、歴史を振り返った時、過去にこれだけ凄いものを成し遂げた人がいたのかと感心し、存在してくれたことに感謝したいほどの作品を作り出した人は、芸術家にふさわしい。
真の芸術家は、一つの時代のなかでの人気投票のような一過性の評価付けを超える存在だ。
さらに、表現分野の垣根を超えて、その表現のすごさが、圧倒的な力で伝わる存在。
細江さんの『薔薇刑』、『鎌鼬』、『胡蝶の夢』は、まさにそういう作品である。
細江さんは、生涯を通じて、次から次へと新しい作品を作ってきた人ではなかった。
『薔薇刑』、『鎌鼬』の極みまで達した人が、そう簡単に次の一手を打てるはずはない。これらは、歴史上の事件に等しいものだからだ。
近代的自我の強靭な鎧で覆われた三島由紀夫を丸裸にして曝け出した『薔薇刑』。
おそらく、三島由紀夫は、自らの堅牢な自我意識を、細江さんがいかに解体してくれるのか、恍惚とした思いで楽しんでいたのではないか。
この撮影の時のことに関して土方巽さんが述懐していているのだが、撮影の時、細江さんは、三島由紀夫を床に転がしたまま、どこかに消えてしまった。
三島由紀夫は、ひたすら床に転がったまま、じいっと動かなかった。土方さんは、この光景を二階から見下ろしながら、「面白いことしているなあ」と眺めていた。
ところが、次に『鎌鼬』の撮影において、土方さんを撮影する際、細江さんは、土方さんを波打ち際に転がして、同じように消えてしまった。
土方さんは、三島の撮影の時のことを覚えていて、どこまでも待ってやろうじゃないかと腹をくくったものの、次から次へと打ち付ける波が片方の耳にダイレクトにぶつかり続け、中耳炎になるのではないかと心配してギブアップしたそうな。
舞踏の際、自我を滅却して魂を飛翔させている土方さんだが、彼を波打ち際に転ばせて、ついに、自分の身を守るために土方さんが降参したという話は面白い。
私の記憶違いがまじっているかもしれないが、私は、このエピソードが大好きだ。
細江さんの、ご本人はどこまで自覚しているのかわからないが、超然たる心の内が伝わってくる。細江さんは、常人では理解できないところで、何かを掴んでいる。
細江さんが、次にどんな新作を生み出すのか、多くの細江ファンが待っていたのではないかと思うが、私も、その一人だった。
今から15年ほど前、細江さんが館長をつとめていた清里写真美術館の小川直美さんが、「細江さんが、パリでロダンの写真を撮ってきたらしいよ。」と口にしたのを聞いて、すぐに細江さんのところに行った。
しかし、その時、細江さんは、作品のために撮影したという自覚がないようだった。
パリ旅行をする前に生まれて初めて買ったコンパクトデジタルカメラ、1インチセンサーの「GR DIGITAl」を首からぶらさげて、ロダン美術館に行って撮ったらしい。
私は、それでも気になるので、そのデータを持ち帰らせて欲しいと伝え、事務所に戻って確認したら、さすがに細江さんらしい作品になっていた。
その時、制作を進めていた風の旅人の第39号で、杉本博司の放電写真や、安井仲治の磁力写真などを軸にして「この世の際」という特集を組む企画を立てていたのだけれど、細江さんが撮ったロダンの写真も、まさに「この世の際」感が漂っていたので、20ページほどで特集を組みたいと細江さんに伝えた。
細江さんは、企画趣旨に納得して、「いいよ」と言ってくれたのだけれど、細江さんから預かったデータはとても小さく、私は、あたりデータだと思っていたので、「本データをください」とお願いした。
すると細江さんは、「本データって何のこと?」と怪訝な顔。細江さんは、電気店で買ったコンパクトデジカメを何の設定もせず、RAW現像云々の知識なんかもまったくなく、そのままパシャパシャと撮っただけだった。購入時の設定は、観光旅行のスナップ写真向けの設定で、できるだけ数多く撮影できるようにデータサイズが最も小さくなっている。
印刷にすると、最大でも六切りサイズくらいにしかならない。風の旅人では、小さくてもA4、見開きにする場合はA3サイズが必要。これは困ったと思って、細江さんにそのことを告げると、「適当にうまくやってよ」と言う。
しかたがないので、データからそのまま印刷するのは無理だから、とりあえずプリントで六切りサイズを作って、それを入稿原稿にすれば何とかなるかと思い、近くのラボ(プロ用ではなく一般用)で、濃いめ、中ぐらい、明るめに焼いて、細江さんのところに持っていった。
それを見せながら、このように六切りサイズにプリントしていただけると、それを入稿原稿にできるので、プリントを焼いてくださいと伝えたのだけれど、そもそも細江さんはフィルムからプリントを焼くことは慣れていても、デジタルカメラを使って撮影したのは初めてで、そのデータでプリント作成することなど、考えてもいないことだった。
それで、私が持って行った三種類の濃淡のプリントを見ながら、「こんな感じでいいんじゃない」と中ぐらいの濃さを選んで終了。
確かに、小さなデータをもとにプロラボではない街角の家電量販店でプリントを焼いたものだが、写真としての力は強いものがあって何も問題ない、とも言える。
だから私は、それを元に、改めて構成を考え、20ページほどで特集をした。おそらく誰一人、そのデータが、極小サイズで、フォトショップその他の事後処理をしない、パチパチと撮ったままのものだとは思わないだろう。
写真の力が素晴らしければ、機材がどうのこうの、データがどうのこうの、フォトショップでどうのこうのという細かなことは関係ないという確かな証明だ。
細江さんの何が素晴らしいかというと、普通の人は、ロダンの彫刻を見ているわけだが、細江さんは、そこに人間ロダンを見ている。そしてロダンの魂と共振して撮っているのだ。
そして、さらに驚いたのは、その後、なんと銀座で細江さんのロダンの写真展が行われたことだ。
しかも、プリントサイズが、1m以上と巨大だ。
この展覧会の開催中、私と細江さんが対談を行ったのだが、聞くところによると、これらのプリントは、木田俊一さんがプリントしたもので、木田さんは、和紙を使ったプリント技術で超一流の人である。
和紙を使うことで、画素数が少ないデータでも、その欠点があまり出ていなかった。ざらざらした感じになっても、和紙の素材感が、それを帳消しにするからだ。
細江さんの写真の力があってこそなのだが、この特大サイズのプリントがずらりと並ぶ展示を見て、まさか細江さんが買ったばかりのデジタルコンパクトカメラで、観光旅行用の小さなデータサイズで、たった1日で撮ったものだと、誰も気づかなかっただろう。
細江さんは、ふだんはニコニコを穏やかなのだが、カメラを手にすると殺気のようなものが生まれる。
イベントでご一緒した時も、いつも首から小さなカメラをぶら下げていて、隙あればという感じで、いろいろな方向にカメラを向けてシャッターを切っていたが、そのたびに、一瞬、張り詰めた殺気のようなものが細江さんの身体のまわりに漲る。
あれは一体何なんだろう。間違いなく霊的な何かだ。
その霊的な何かの力で、細江さんは、三島由紀夫の近代的自我を丸裸にしたが、同じような霊的な何かを持っていると思わざるをえない土方巽さんや大野一雄さんとの魂をシンクロさせたコラボレーションは、近代的世界のなかの黙示のようだ。
1996年12月16日、細江さんは、戦後文学を代表する埴谷雄高の家の庭で、舞踏家である大野一雄を撮影した。
この時、埴谷さんは病床で寝込んでおられたのだが、その部屋の前で踊る大野さん。どう見ても、大野さんの足がない。
細江さんに確認したら、「うん、ないんだよ」と一言だけ。
その大野さんは103歳まで生きられたが、98歳の時にベッドの上で、ひ孫と身を重ねて横たわる姿を細江さんが撮影しているのだが、これは、大きな爺と小さな爺のようにも見えて、なんともすごい写真だ。これが魂の輪廻というやつか。
細江さんの写真は、一度見たら忘れない強烈な印象があり、そして、他の誰とも異なる。
そのうえで、20世紀という時代と、真正面で向き合って、それを超越する精神の律動が漲っている。
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